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ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

新たな道を模索したハンガリー映画界はドキュメンタリーという分野から多くの手法を吸収することで、新たな黄金時代を築き始めた。今回は共産主義政権が崩壊する前夜にもう一度花開いたハンガリー映画二度目の黄金時代についてご紹介!例の如く長くなってしまうので分割してお届け!

・長編映画の中のドキュメンタリー様式

数多くの長編劇映画がドキュメンタリーの社会的リアリズムと正確性を利用し、心理的に正しい人物を加えることでフィクションの映画を作り上げていった。

コーシャ・フェレンツの『A mérközés (The Match)』(1981)は、法を犯したことで死刑になる人々の実話をフィクションの物語に落とし込んで映画化している。続く二部構成の大作『A másik ember (The Other Person)』(1987)では、二次大戦やハンガリー動乱といった実際の出来事を扱っているが、彼の示した人間の運命は聖書的で非常に愛国的な方法に様式化されていた。シャーラ・シャーンドルも80年代を通してコーシャと同じような道を辿り、『Tüske a köröm alatt (A Thorn under the Fingernail)』(1987)などの作品を残している。両者は愛国的な文学の伝統を映像の中に再構築した特異な劇映画の製作者として、時代を代表する重要な映画監督である。

メーザーロシュ・マルタは実際に起こった歴史的事実を背景に"日記"三部作
『Naplógyermekeimnek (Diary for My Children)』(1984)
『Napló Szerelmeimnek (Diary for My Loves)』(1987)
『Napló Apámnak, Anyámnak (Diary for My Father and Mother)』(1990)
を撮った。この"日記"三部作は、他の彼女の作品と同じくある状況に置かれた女性たちの寓話的な運命を独特な語り口で切り取っている。この作品群は、個人崇拝(スターリニズム)の時代において、時代を先導するエリートたちが、別の主流から外れたインテリたちとどうやって交流していたのかという歴史的な矛盾を説明しようとしていた。両者の共通点は"人民戦線"であることなどが挙げられる。幾つかのややこしい疑問に対する答えがこのような感じで提示され、戦後ハンガリー人インテリ層の進化の特異性に光を当てたのだ。

Erdőss Pálはブダペスト・スクール創設者の生徒だった。初長編作品『Adj király katonát (The Princess)』(1982)は、彼の見出したOzsda Erikaという才能によって、ほとんど啓示のような存在だ。映画は観客を観たこともないような世界へと放り込む。里親を亡くして施設で育った若い女性が、仕事を探して首都へ行き、機織り工場に流れ着く。彼女は人生に渡って乱暴に扱われ孤独だが、それに抗おうと戦いを挑むのだ。

・"教育的な"映画

80年代の"教育的な"映画は50年代のそれとは異なり、どうやって未来に起こりうるだろう完璧な地域社会の要望に沿って生きるかを説くような類の映画ではない。若い人々の生活は社会的変化のせいで散々なものであり、そういった状況をどうやって乗り越えていくかを彼らに"教える"必要があったのだ。

施設で育った子供たちの運命は80年代の一種のモデルとなった。彼らを通して社会のエゴイズムや偽善、無感覚さを明らかにした。同時にこれらの施設が子供たちを育てるのには適していないことも証明した。代表的な作品としてRózsa Jánosの二作『Vasárnapi szülők (Sunday Daughters)』(1979)、『Kabala (Mascot)』(1981)がある。そして、Gazdag Gyula『Hol volt hol nem volt (A Hungarian Fairy Tale)』(1986)が提示したのは、子供たちの基本的人権が踏みにじられ、存在している施設の形式が空っぽであるということだった。映画としては奇跡的なおとぎ話的帰結を採用している。孤児になった10代の少年が施設から逃げ出そうとし、看護師は病院の労働環境の影響で神経衰弱となり、公務員は事務所での非人間的な扱いに抗議する、この三者が出会うことで互いに本当の家族を見出すという物語だ。

・ハンガリーも消費主義社会へ

80年代に入って、消費主義社会へ向かう兆候は一層強まった。多くの人々が合法であれ違法であれどうにか金を稼ごうと躍起になり、多くの犯罪者が誕生していった。それと同時に、家や仕事を得るのが日に日に難しくなっていくのも感じていた。この時代の長編映画は、やはりドキュメンタリー映画から採用された手法を意識的に使うことで、これらの問題を映画にしていった。新たな社会現象を伝統的手法で描写してはいるのだが、その時代よりも敏感に共感を示すことでそれを補っている。代表的な作品に以下のようなものがある。
Lugosy László『Köszönöm, megvagyunk (We're Getting Along)』(1980)
Erdőss Pál『Visszaszámlálás (Countdown)』(1985)
Erdőss Pál『Gondviselés (Tolerance)』(1986)
Fazekas Lajos『Haladék (Not Yet the Day)』(1980)

Kézdi-Kovács Zsoltは『A kedves szomszéd (A Nice Neighbour)』(1979)という皮肉な映画を撮った。安いホテルがマンションに変わり、住民たちが部屋の隅々まで所有権を巡ってご近所戦争を繰り広げるのだ。これは70年代のある社会階級を完璧に切り取った作品となっている。

Böszörményi Gézaの『Szívzűr (Heart Tremors)』(1981)は地方の村に飛ばされた若い医師が、その地での生活に慣れようと奮闘する話だ。ドキュメンタリー映画的な要素も組み込みながら、遊び心のある皮肉な物語になっている。

Szörény Rezsőはドキュメンタリー映画的手法と即興演出を組み合わせる達人だった。『Buék (A Happy New Year)』(1978)を撮り終えた彼は、私生活も俳優生活もめちゃくちゃになった地方の女優を描いた『Boldog születésnapot, Mariyn! (Happy Birthday, Marilyn!) 』(1980)を撮った。


ハンガリー映画史⑬-D につづく

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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