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ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

新たな道を模索したハンガリー映画界はドキュメンタリーという分野から多くの手法を吸収することで、新たな黄金時代を築き始めた。今回は共産主義政権が崩壊する前夜にもう一度花開いたハンガリー映画二度目の黄金時代についてご紹介!例の如く長くなってしまうので分割してお届け!遂にエニェディ・イルディコー登場!

・エンタメ大衆映画の復活

80年代はエンタメ大衆映画が成功を収め、息を吹き返した時代でもあった。Szalkai Sándor『Kojak Budapesten (Kojak in Budapest)』(1980)は、機能不全に陥った社会主義政権を風刺した物語としてその先陣を切った。また、刑事とその上司のコミカルなバトルを描く Piedone シリーズは、ハンガリーの国民的な映画と言ってもいいだろう。Bujtor István 演じる刑事の Ötvös Csöpi は有能だがいつも昇進は他の同僚に回され、 Kern András 演じる上司 Dr. Kardos は無能なのに昇進し褒賞を受ける。シリーズ全作品を以下に挙げる。
Mészáros Gyula『Pogány Madonna (Pagan Madonna)』(1980)
Szőnyi G. Sándor『Csak semmi pánik (Don't Panic, Please!)』(1982)
Bujtor István『Az elvarázsolt dollár (The Enchanted Dollars)』(1985)
Bujtor István『Hamis a baba (False Dolls)』(1991)

Palásthy Györgyも 二本の家族映画を世に放っていた。『Szeleburdi család (A Harum-Scarum Family)』(1981)と『Szeleburdi vakáció (A Harum-Scarum Vacation)』(1987)である。共に非常に楽しめるエンタメ映画であり、我々が求めるようなお約束は全部入っている類の作品だ。 Dobray György はクロード・ピノトー『ラ・ブーム』のような作品を参考に、ティーンを主人公にした大ヒット作を撮った。
『Szerelem első vérig (Love Till First Blood)』(1985)
『Szerelem második vérig (Love Till Second Blood)』(1987)

・レトロな映画

バチョー・ペーテルの『Te rongyos élet (Oh, Bloody Life)』(1983)は、エンタメ映画の中で初めて50年代を扱った作品となった。同作によって、"過去を見つめ直す映画"或いは"レトロ映画"のもう一つの時代が築かれた。例えば、Koltai Róbertの長編デビュー作『Sose halunk meg (We Never Die)』(1992)も国中で大ヒットをとばした。1959年を舞台に、コート掛け売りの主人公が経験する奇妙な日々を綴った。同作の劇中歌もヒットし、チャート入りを果たしたこともあった。90年代の終わりには新たな潮流が興行収入上位を賑わせた。中でも有名なのが Tímár Péter の『Csinibaba (Dollybirds)』(1997)だ。同作はトリックショットや奇妙なサウンドなど映画的でない要素を散りばめることで、舞台となった60年代の夢のような少しずつ衰退していく時代の雰囲気を再構築しようとした。また、 Elek Judit は19世紀のスキャンダルとそれに続く悪名高い裁判を描いた『Tutajosok (Memoirs of a River)』(1989)、50年代を生きた少女の成長譚『Ébredés (Awakening)』(1994)などを撮ってヒットメーカーとなった。

この手の"レトロ映画"はノスタルジーと過去への逃避という当時の人々の傾向によって人気を博した。そして、映画も過去を批判的に捉えないことで、一人ひとりが持つ想い出と映画を照らし合わせることを可能にしたことで、ヒットに繋がったと推測されている。

・社会主義政権の崩壊

80年代の黙示録的な視点を持った Lányi András『Az új földesúr (The New Landlord)』(1988)のような映画は、ある種歴史によって正当化されたようだった。ペーテル・ゴタールは『A részleg (The Outpost in the 90s)』(1994)を撮ることを許可され、続く『Haggyállógva Vászka (Letgohang Vaska)』(1995)では友人レフ・ゴードンとの想い出を映画に焼き付けた。ともに東欧の強制収容所についての物語だった。前者は、破壊された村や雪の降る山々を舞台に二人の人物が繰り広げるドラマであり、陰鬱な雰囲気も女性キャラの内的な強さからどこか明るいものに変わっている。後者は、ある強制収容所で起った超現実的で馬鹿げた物語を、民間説話の詩的なスマートさによって明るく味付けしている。

Rózsa János は1989年の社会情勢変化に素早く反応した。『1/2 álom (Brats)』(1990)はハンガリーとルーマニアで同時に起こった社会情勢変化を描いている。Vajda Péter の『Itt a szabadság (Voila la liberté!)』(1990)は"ウィーンでの浮かれた爆買"の話で、Salamon András の『Zsötem (Je t'aime)』(1991)は速すぎた解放の悲劇的でグロテスクな結果として出てきたピープショーを描いた作品だ。Maár Gyula 『Hoppá (Whoops)』(1992)は、体制の変化に直面した熟年カップルを描いている。Fekete Ibolya の長編デビュー作『Bolse Vita』(1995)は、東欧諸国の体制変化に対する最初の多幸感溢れる短い期間を描いており、Böszörményi Zsuzsa『Vörös colibri (Red Colibri)』(1995)はこの時代から既に裏社会の勝利と変革に乗り切れずに西欧諸国に逃げ出してしまった人々を予見した。

1989年の東欧社会主義政権の崩壊以降、自ら進んで過去の政権を批判したりハンガリー動乱を的確に分析し説明しきる映画は数えるほどしか作られなかった。マック・カーロイ『Magyar rekviem (Hungarian Requiem)』(1990)や Zsombolyai János『A halálraítélt (On Death Row)』(1990)はその時期に製作された、ハンガリー動乱を描いた作品だった。そして、両者ともに40年代から50年代にかけての独裁政権に関して新たな物語が想像だにしない手法で語られるということはなかった。シャーラ・シャーンドルは『Vigyázók (The Watchers)』(1993)と『A vád (The Prosecution)』(1996)で、彼と同世代に当たる専制政治の歴史がどれほど危険であるかを描いた。その他の有名な作品として Simó Sándor は『Franciska vasárnapjai (Every Sunday)』(1996)で、歴史の重圧の中でも、比較的小さな場所に対してでも、人は幸せを見つけられることを示した。Kardos Ferenc は『A világ legkisebb alapítványa (The Smallest Foundation of the World)』(1997)では、偽善的な"良い独裁"によって処刑された政治家の家族親族に向かった罪悪感の辛く憂鬱な物語だ。Tímár Péter『6:3』(1998)は、過去に戻って当時無視していた人間関係を結び直す美しくも悲しい物語を綴った。Böszörményi Géza と Gyarmathy Livia は崩壊前から既に Recsk にあった政治犯の強制労働収容所についての映画『Recsk』(1989)を撮っており、Gyarmathy Livia は同じ題材で『Szökés (Escape)』(1995)を撮った。Sólyom András『Pannon töredék (Pannon Fragment)』(1997)はハンガリー動乱期にあった短い愛と自由と、それに続く長い報復の時代を綴った。

市場経済やコントロール出来ない資本主義による争いや悲劇についての同時代的な映画も少なからず製作された。中でもサボー・イシュトヴァンはこの変化に素早く気付き、『Édes Emma, drága Böbe (Dear Emma Sweet Böbe)』(1992)で、二人のロシア語教師が脆弱な人間性と歴史の中で不運な闘争に苦しむ様子を描いた。
Gyarmathy Livia『A Csalás gyönyöre (The Rapture of Deceit)』(1992)
バチョー・ペーテル『Balekok és banditák (Gulls and Gangsters)』(1997)
Erdőss Pál『Gyilkos kedv (Last Seen Wearing a Blue Skirt)』(1996)
アンドラーシュ・フェレンツ『Törvénytelen (Bastard)』(1994)
Czencz József『Mindenki fél a törpétől (Everybody is Afraid of the Dwarf)』(1996)
といった作品は、こういった現象を詳細に提示したが、そのどれも変革との関係性は説明していなかった。

裏社会の力が増大しバルカン情勢が苛烈さを増してくる中、特に社会への責任感に溢れる中年世代が声を上げ始めた。ソミアス・ジョルジ『Gengszterfilm (Gangstermovie)』(1997)、Grunwalsky Ferenc『Little But Tough』(1989)、『Visszatérés (Return)』(1998)などは、暴力の具体的な動機を明らかにしようとした。

また、実際の出来事に関心を示さなかった監督もいる。Janisch Attila『Hosszú alkony (Long Dusk)』(1997)は女性考古学者の最後の旅を描いている。有名な作家の同じような旅路の話を、十代の頃の経験と並行して語ったPacskovszky József『Esti Kornél csodálatos utazása (The Wonderous Voyage of Esti Kornél)』(1994)も同時期に製作された。サース・ヤーノシュ『A Witman fiúk (Witman Boys)』(1997)では、魂のない厳格な家族の雰囲気から娼婦の"愛すべき"胸の中に逃げ込んだ二人の子供の話である。

★ヤンチョー・ミクローシュ

ヤンチョー・ミクローシュは長い沈黙を破って同時代の出来事についての四部作を発表した。『A zsarnok szíve vagy boccaccio magyarországon (The Tyrant's Heart)』(1981)は80年代後半から90年代前半にかけての四部作のプロローグと言えるかもしれない。
『Szörnyek évadja (Season of Monsters)』(1986)
『Jézus Krisztus horoszkópja (Jesus Christ's Horoscope)』(1988)
『Isten hátrafelé megy (God Walks Backwards)』(1990)
『Kék Duna keringő (Blue Danube Waltz)』(1991)
これら全ては限定され曖昧な空間で起こり、車の隊列が人々を閉じ込め、パラシュートは記憶を消し去り、恋人や伴侶は裏切り者となり、故郷や友人は失踪し、友人は友人を否定し、誰もが撃たれる可能性を秘めていて、少なからず死から生き返る者もいた。ヤンチョーはいつもの手法から離れて、ビデオモニターを使うようになった。それは、重要な出来事へ導く、あるいはそれへと続く物語を紡いだり別の側面を見せたりする作用があった。スクリーンとモニターどちらが真実であるかは曖昧なものとなる。再び長い沈黙の後発表した『Nekem lámpást adott kezembe az Úr Pesten (The Lord's Lantern in Budapest)』(1999)では、新たな撮影監督に Grunwalsky Ferenc を迎えたため、これまでの長回しや完璧に設計されたカメラワークを封印し、世界中の度肝を抜いた。映画はペペとカパという二人の墓掘り人が、共産主義政権崩壊後のブダペストの移ろいゆく現状に付いていこうと必死になる話だ。90年代のヤンチョー作品は低予算で、ウィットに飛んだ自虐的な作品だった。アート系映画にも関わらず興行も健闘し、特に若い人にも人気だったため、ペペとカパのシリーズは以降6作も撮られたという。また、キャリア初期の"歴史への興味"が再燃したらしく、ホロコーストやオスマン帝国支配をハンガリー批判の文脈で映画化することもあった。また、"ペペとカパ"シリーズやそれ以外の若い映画人の作品にも積極的に俳優として参加し、2000年代に入っても名声を獲得し続けた。

・新たな監督たちの登場

Klöpfler Tibor の長編デビュー作『A lakatlan ember (The Man Without an Abode)』(1992)はサブカル環境下で起こる人々の声を拾い上げて物語にした。Ács Miklós は『Éljen anyád (Your Mother Is Free!)』(1991)アマチュア的映画作りの手法をプロの世界にも取り入れた。いつまでも若々しい実験作家 Szirtes Andrásh は『Sade márki élete』(1993)でマルキ・ド・サドについて描いた。発見された18世紀のフッテージのような同作は、サドが警察の尋問として自身の冒険について語り、自由への理想を回顧録から読み聞かせる。Szederkényi Júlia は長編デビュー作『Paramicha (Paramicha, or Glonczi the Rememberer)』(1993)は敢えてアマチュア的な手法を取り入れて、詩的でグロテスクな筋書きをぎこちなく辿っている。Reich Péter『Rám csaj még nem volt ilyen hatással (No Girl Ever Has this Effect on Me)』(1993)は誰とも繋がりのないインテリ世代の感情的貧困を描いている。Sas Tamás の長編デビュー作『Pesszó (Café)』(1997)は、一見女性三人の些細な話のように見えるが最終的に血まみれになる話だ。舞台は街角のカフェであり、カメラは一度も動かない実験的な作品。

・短編映画の増加

また、この頃から短編映画も大量に製作されるようになる。若手の監督たちは、この安くすむ道を選ぶようになったのだ。Böszörményi Zsuzsa は短編『Egyszer volt hol nem volt (Once Upon a Time)』(1991)でジュニア・オスカーを手にし、Iványi Marcell は数分の作品『Szél (Wind)』(1996)でカンヌ国際映画祭短編グランプリを獲得した。Fésős András『Az eltűnt mozi (The Lost Cinema)』(1993)は国内外で絶賛された短編映画の一つだった。
Mispál Attila『Altamira』(1997)
Hajdu Szabolcs『Necropolis』(1997)
Bollók Csaba『Észak, Észak (North, North)』(1998)
など、現在ではハンガリー映画界を背負っている巨匠たちもこのころ短編映画を撮って切磋琢磨していた。

・現代

2004年に制定された映画法案Ⅱによって、ハンガリー国内で地元の制作会社と提携して撮影される全ての外国映画とテレビドラマは、製作費に対して25%の税制優遇措置を受けられるようになった。これによって『ワールド・ウォーZ』(2013)や『ブレードランナー2049』(2017)など数多くのハリウッド映画を誘致することに成功した。映画産業全体が潤い始め、2012年には5本だった国産映画も徐々に数を回復してきている。また、映画学校を卒業しても長編映画を撮れない若手監督たちも、ハリウッドのスタッフとして経験を積むことで未来へ羽ばたくことが出来るようになっている。今、ハンガリーはアツいのだ。

ハンガリー映画史としてハンガリー映画の20世紀を辿る企画は半年近くかかったが終わってしまった。そして、ハンガリー映画の21世紀は我々が体感しながら語り継いでいく番だ。ネメシュ・ラースロー『サウルの息子』(2015)はカンヌ国際映画祭でグランプリ、エニェディ・イルディコー『心と体と』(2017)はメーザーロシュ・マルタ『Adoption』(1975)以来二度目の金熊賞を受賞した。それ以外にもフリーガウフ・ベネデク、パールフィ・ジョルジ、ムンドルッツォ・コーネル、アーントル・ニムロッド、トゥルク・フェレンツなど、世界の中で活躍するハンガリー人監督がたくさん生まれた時代でもある。彼らの新作を心待ちにするとしよう。

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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