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ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)

ハンガリー映画といえばネメシュ・ラースロー『サンセット』が公開され、エニェディ・イルディコ『私の20世紀』やタル・ベーラ『サタンタンゴ』がリバイバル上映される今年は正にハンガリー映画イヤーと言えるかもしれない。

今回は、"プラハの春"事件以降、陰鬱な空気とテレビの登場などによって廃れていく映画芸術が新たな道を模索していく時代をご紹介!1969年から1971年は個人的にもハンガリー映画が一番アツかった時代だと思っているぞ!
そして、今回も長くなるので何回かに分けてご紹介!

・ドキュメンタリーと風刺

このような異様で風刺的な映画は伝統的な物語体系を蘇らせた。これらの"異様で風刺的な"視点はドキュメンタリーの直接的な影響下にあった。70年代の衰退、家庭や職場での諍いにひどく疲れ果てた人々の顔を映し、60年代の本当の英雄たちがどうなってしまったのかを提示した。Gyarmathy LiviaとBöszörményi Gézaは、このジャンルの代表的な作品を作った。彼らは繊維工場の労働者を観察し、彼らの行動や言葉が環境と同じ様な"機械的"なものに変質していく様を、共感と皮肉を以て表現したのだ。彼らの代表作は以下のようなものがある。
『Ismeri a Szandi Mandit? (Do You Know Sunday-Monday?)』(1969)
『Madárkák (Birdies)』(1971)
『Álljon meg a menet (Wait a Sec!)』(1973)

ドキュメンタリー黎明期の古典的作品の一つとしてGazdag Gyulaの『Hosszú futásodra mindig számíthatunk (We Can Always Count on Your Long Run)』(1968)がある。同作は、長距離ランナーの功績と田舎のカフェを開店させることが紐付けられるような、馬鹿げた手法で事実が提示された。また、『A Sípoló macskakő (The Whistling Cobble Stone)』(1971)では、独善的な受動性という唯一罰せられない行為について描いていた。これらミクロな環境を描いた作品以外にも、より騒々しく、より馬鹿げた映画も登場した。代表的な作品は以下のようなものがある。
Kardos Ferenc『Egy őrült éjszaka (A Mad Night)』(1969)
Rózsa János『Pókfoci (Spider Football)』(1976)
Rózsa János『Ékezet (The Accent)』(1977)
Gazdag Gyula『A kétfenekű dob (Swap)』(1977)
Dömölky János『A kard (The Sword)』(1976)
バチョー・ペーテル『Ereszd el a szakállamat (Don't Pull My Beard)』(1975)
バチョー・ペーテル『Zongora a levegőben (A Pianino in Mid-Air)』(1976)
Ferenc András『Veri az ördög a feleségét (It's Rain and Shine Together)』(1977)

・ハンガリーの名撮影監督たち

Kende János、コルタイ・ラヨシュ(Koltai Lajos)、ラガリイ・エレメール(Ragályi Elemér)といった、欧州中に知れ渡った撮影監督たちもドキュメンタリーの仕事を通して独自のスタイルを築いていった。

Kende Jánosもそのキャリアをヤンチョー・ミクローシュの短編ドキュメンタリー『Jelenlét (Presence)』(1965)から始めており、その後も彼の作品を支え続けた。

ラガリイ・エレメールはMagyar Dezsőの『Büntetőexpedició (Expedition of Retribution)』(1970)やSándor Pálの作品で有名な撮影監督である。ラガリイはハンディカメラと繊細で表現力豊かな光のマスターとなり、Balázs Béla Studioのドキュメンタリーでその力を磨いた。

コルタイ・ラヨシュは"光の魔術師"と呼ばれ、80年代から90年代にかけてアメリカで活躍した撮影監督である。ドキュメンタリーで培った独自の手法とは、カラー撮影の中に陰影を色濃く反映するというものだった。ハンガリー時代の有名な作品としては、Ferenc András『Veri az ördög a feleségét (It's Rain and Shine Together)』(1977)、Gábor Pál『Angi Vera』(1979)、サボー・イシュトヴァン『メフィスト』(1981)、ゴタール・ペーテル『止った時間』(1981)などがある。

これらドキュメンタリー的視点から強化され、ユーモアを混ぜたフィクション映画は芸術家たちが政府に対抗する"武器"として有効な手段となったのだ。

・ドキュメンタリーと実験映画

70年代に入り、Bódy GáborのようなBalázs Béla Studioの何人かのメンバーが、映画の形式についての実験を始め、物語の境界をなくそうとした。理論において、Bódy Gáborは"ドキュメンタリーと実験映画のみが物語映画を一新できる"とした。そして、画家や音楽家などの多文化からもこの実験的な活動に参加するものが増え始めた。参加した有名な芸術家としてHajas Tibor、Halász Péter、Jeney Zoltán、Maurer Dóra、Vidovszky Lászlóなどがいる。これらの活動を先導したのは、主にBódy GáborとErdély Miklósだった。

そして、Bódy Gáborは初長編映画『Amerikai anzix (American Torso)』(1975)ではドキュメンタリーと実験映画の手法を融合させた。映画は1848年のハンガリー革命において自由を求めて戦う南北戦争帰りの人々の運命を描いている。彼は特殊な光の演出を用いて、同時代アメリカのドキュメンタリーのような古風なスタイルを築き上げた。常に包括的な表現手法を探し求め、それは映画そのものまで及び、5時間ある大作『Nárcisz és Psyché (Narcissus and Psyche)』(1980)で一つの頂点を迎えた。

Szomjas Györgyも独自の手法で実験的な語り口を展開していき、西部劇ならぬ"東部劇"の二作『Talpuk alatt fütyül a szél (The Wind Flows under Your Feet)』(1976)、『Rosszemberek (Bad Guys)』(1978)で結実させた。"ベチャーズ(Betyars)"と呼ばれる放浪のアウトローやアンチヒーローを主人公にしたこれらの物語は、非常にユニークで皮肉に満ちていて、同時にドキュメンタリーと商業映画を融合させたものでもあった。


ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代 につづく

※ハンガリー映画史これまで

ハンガリー映画史① 黎明期(1896~1910)
ハンガリー映画史② 繁栄の時代(1910~1919)
ハンガリー映画史③ 戦間前期 来なかった黄金時代(1919~1925)
ハンガリー映画史④ 戦間中期 復活の兆し(1925~1932)
ハンガリー映画史⑤ 戦間後期 コメディ黄金時代(1932~1939)
ハンガリー映画史⑥ 第二次大戦期 メロドラマの時代(1939~1945)
ハンガリー映画史⑦ 第二共和国時代の短い期間(1945~1948)
ハンガリー映画史⑧ ステレオタイプと復古戦前の時代(1948~1953)
ハンガリー映画史⑨ 社会批判と詩的リアリズムの時代(1953~1956)
ハンガリー映画史⑩ 人民共和国時代初期 静かなる移行期(1956~1963)
ハンガリー映画史⑪-A ハンガリー映画黄金時代 社会批判、リアリズム、歴史の分析(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-B ハンガリー映画黄金時代 ハンガリアン・ニューウェーブ!!(1963~1970)
ハンガリー映画史⑪-C ハンガリー映画黄金時代 日常の映画と商業映画(1963~1970)
ハンガリー映画史⑫-A 新たな道を探して 耽美主義と寓話(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-B 新たな道を探して ドキュメンタリーとフィクション(1970~1978)
ハンガリー映画史⑫-C 新たな道を探して ドキュメンタリー、風刺、実験映画(1970~1978)
ハンガリー映画史⑬-A 二度目の黄金時代へ 芸術的な大衆映画(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-B 二度目の黄金時代へ 80年代のドキュメンタリー(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-C 二度目の黄金時代へ 格差の拡大と映画の発展(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-D 二度目の黄金時代へ 新たな語り口とその様式化(1979~1989)
ハンガリー映画史⑬-E 二度目の黄金時代へ 繊細さを持った映画たち(1979~1989)
ハンガリー映画史⑭ そして現代へ (1990~)

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