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“継続する”と決めないで


“継続は力なり”なんて言葉がありますが、「何かを努力し続ければ、いつかは成功できる」と考え、「コレと決めたことを継続できる自分になりたい!」と思う人は多くいると思います。
noteを観覧していると、毎日投稿チャレンジをやっている方もたくさんいらっしゃいますね。
「何か一つのことをやり続けることで、達成感を味わいたい。自信をつけたい」と思って“継続する”という試みを始める方はとてもたくさんいますが、「結果的にいつも途中で挫折してしまう」「何をやっても続かない」という堂々巡りに陥ってしまいがちな方へ……私が個人的にとても大切だと思うお話をします。
もしピンとくるところがあれば、今日の記事をお役立ていただければ嬉しく思います。



“継続する”という「鎖」


私たちは子供の頃から学校で、また社会に出てからも「計画性をもって実行実現する」ことの大切さを教えられています。

テスト勉強をするにしても、予め提示されたテスト範囲を元に「今日は課題のワークをこのページ数だけ進めるぞ!」などと自分で決め、定められた期間中に知識を詰め込みます。そして、テストにより知識の理解度を点数という形で評価します。いい点数を取ることで順位が付き、成績に反映されるという仕組みです。
あなたが今学生だとして……、もしテストの結果でいい点数が取れなかった場合、「テスト期間中のテスト勉強が不十分だった」ということで、あなたは「努力」や「計画性」の見直しを迫られるでしょう。

つまり、 “結果”が出ないとき=「努力」「計画性」が足りなかったという評価を下すように、私たちは価値観を育てられたということです。
子供の頃はこの「努力」や「計画性」の検閲を大人の目を通して行っていましたが、私たちが大人になれば今度は自分で自分の「努力」や「計画性」が合格ラインかどうか見張るようになります。
そして、万一自分が思うような結果が得られなかった場合、自分の「努力」「計画性」に問題があると考えます。
あるいは、結果がわかりやすく数字で現れるようなものではなかった場合、自分が順調であることを信じたいがために、より愚直に努力の量を増やすことを試みたりします。

私たちの多くは、「努力すること」に救いを求めています。
努力し継続することで“何かになる”と信じたいのです。
あなたが今もし自己評価が低いのだとしたら、何か自分に続けられる新しいことを始めてみたくなるとき、それは「何かに打ち込むことで、自分にいい評価がつけられるかもしれない」と思っているからです。
「何か努力していないと時間を無駄にしている気がする」とか、「何か頑張っていると安心する」とかは、本当は今のままでは認めてあげられない自分に丸を付けてあげたいだけなのです。

ただ覚えていてほしいのは、別に継続して頑張らなくたって成功する人もいるし、周囲から認められている人もいるし、幸せな人もたくさんいるのです。これは何事においてもそうです。
例えば、YouTubeのチャンネルをやっているなら「多くの人に観られるためには毎日投稿だ!」と力んで頑張らなくても、月一回好きな時に動画を投稿する人が「この月一回が格別の楽しみなんだよ~!」と多くの視聴者に喜ばれる場合もあります。
それどころか、逆に毎日投稿していると「この人の動画は面白いんだけど、毎日全部は追いきれないな」と思われることだってあります。

だから、極論あなたが頑張っても頑張らなくても、いいことが起こるかもしれないし起こらないかもしれないのです。
実は「努力の量」と「成功」の相関関係は、ほとんどないことを知ってください。
それならば、自分を追い立てて努力し続けるより、なんのストレスもなく好きな時に好きなことをする方がいいと思いませんか?

さらにもっというと、波動の法則や引き寄せの法則に沿って考えるならば、むしろその力みが成功の足枷となることだってあります。
「望む現象」を実現したいなら、自分の発するエネルギーを高く軽くしておくことはマストで大切なことですから、むしろ重たいその「自己への制限」「力み」「強迫観念」といったものは捨て去ってゆくべきなのです。

“継続する”という鎖から、自分を解放してください。
「継続しない!」と言い切らなくても、「継続してもいいし、しなくてもいい」と自分に許してあげるのです。
そして、もし途中で取り組むことを辞めてしまったとき、自分を一切咎めないでください。上にも書きましたが、あなたはただ自分に丸を付けてあげたいだけなのです。それならば、「継続する自分にも丸を付け、継続しない自分にも丸を付ける」ただそれだけをしてください。

ここで朗報ですが、実は「継続してもいいし、しなくてもいい」と自分を許してあげられると、なんと結果的に継続力が上がります
次の章から、さらに深掘りしていきたいと思います。


私たちは大体、評価を下すのが早すぎる


例えば、あなたは飽き性だとします。そんなあなたが、「noteの記事を書くことを、新しい趣味にしたいな」と思ったとしましょう。
このとき上に書いたように、できるだけ力まずにいられるよう、これを「継続してもいいし、しなくてもいい」と許可しました。すると、多分ほどんどの場合は何日か連続投稿できても、次第に書く気がおきなくなり、更新はかなり不定期になっていきます。
しまいには、まったく別のこと……ジョギング、園芸、お裁縫……とかをなんとなくやり始めて、記事を書く気が全然起きなくなってしまいました。
かといって、記事以外のこと……ジョギングも園芸もお裁縫も、気が向いては手を付け、すぐに飽き、また気が向いては途中で辞めて……というのを繰り返し、一向に習慣化しません。

こうなると、多くの場合は「また続かなかった」「色んなものに手を付けたけど、結局何も実らないじゃないか」と自分に落胆してしまうかもしれません。
ですが、このときに少し違う見方をしてほしいのです。

基本的に、波動の法則では「今一番気分がいいことをやる」ことがもっともよい、とされています。上に書いた例は、まさにそれに従った例です。
この行動は一見やりたいことが定まらず迷走しているようにも見えますが、実際はそうでもないのです。一か月、二か月、半年……と続けてみてください。すると、あることに気づくと思います。


やりたいことは自然と繰り返す


一か月、二か月、半年……と、「今このとき」やりたいことに取り組む!というのを続けてみると、やりたいことは繰り返すというのが自然にわかってきます。
つまり、あなたが本当に興味をもっていてやりたいことなのであれば……あるときはジョギングをし、次に裁縫にハマり、その次にnoteを書く気が湧いて、またジョギングに精が出て、思い出したように園芸にハマり、その後はまたnoteをやりたくなって……というように、ずっと定期的なリズムでサイクルし続けるということです。

私たちはつい「毎日コツコツやる!」というような目標を立てがちですが、そもそも人間には生まれつきバイオリズムというのがあります。
朝起きて日中は活動的になり、夜は眠くなる……というように、私たちの心身は変化と共にあることが自然です。反対に、同じ状態を無理やり維持し続けようとするのは不自然で、心身に負荷が大きいことというのがわかると思います。
なので、継続できないことは「ダメなこと」ではありません。それどころか、人間にとって「極めて自然なこと、当然のこと」なのです。

そして、多くの人は「継続すること=短いスパンでやり続けること」だと思い込んでいます。ですので、基本的に「ダメだった」と自分への評価を下すのが早すぎるのです。
しかし上記の例の通り、今やりたいことにその都度取り組むというのを繰り返していると、やりたいことが定期的なリズムでサイクルし続けます。このサイクルの状態は、長いスパンという目で見れば継続していると言っていいというのがわかると思います。

これは私の例ですが、私は小学三年生の頃から「日記を書く」という趣味を続けています。かれこれ二十年くらい続いていて、我ながらなかなか長い習慣だと思います。
ですが、日記を続けるにあたり、私は「毎日日記を書くぞ!」と思ったことなど一度もありません。一度も……というのはもしかしたら言い過ぎで、厳密には一度や二度は思ったことがあるかもしれませんが……とりあえず私の覚えている範囲では一度もないのです。
ただ書きたくなったら日記を開き、書き始める。一か月、二か月、半年空いても気にしません。全然乗り気にならないこともあれば、めちゃくちゃ毎日楽しくて書いちゃうときもあります。そしたら気づけば8冊目です。そんなもんでいいのです。

ときどき「note毎日書くぞ!」と宣言したにもかかわらず一日開けてしまって、次回のnoteの記事で書かなかったことを懺悔している真面目な方を見ることがありますが、そんなことをしなくても誰もあなたを裁きはしませんから、もっと気持ちを楽にしてください。
先にも書いたように、あなたを検閲しているのはあなた自身の他にありません。あなたが「罪」としなければ、継続できなかったのは「罪」でもなんでもないのです。


“継続する”を手放すと、継続が容易になる


矛盾することを言っているように感じられるかもしれませんが、 “継続する”というのを手放すと、継続することが簡単になってきます。
先ほども書いたように、「やりたいことがサイクルし続けることで継続になる」というのも理由の一つですが、他にもあります。


集中力とパフォーマンスが上がる


普通何かを「継続する」と決めた場合、今日はやりたくないな~という“怠け心”が出ると、「やると決めたんじゃないのか?」「今まで頑張ってきたのに諦めるのか?」みたいに、自分で自分を見張る“検閲の目”があなたに文句を言ってくると思います。
この「理性が茶々を入れてくる」状態にあるとき、何をするにしてもパフォーマンスが落ちます。なぜなら、これは自分の中のエネルギーが分散されている状態だからです。アクセルとブレーキを両方一緒に踏んでいるから前に進まないみたいなものです。

ですが、こうしたい!という「感情」と、それを見守る「理性」の方向性が合意している状態にあるとき、エネルギーのベクトルが合い相乗効果で、集中力もパフォーマンスも上がるのです。

ここでいう「理性」とは、上に書いた「検閲の目」のことでもあります。
自分のこうしたい!という「純粋な欲求」以上に「理性」に力を持たせてしまった場合、摩擦が起きて消化不良を起こしやすいのです。ですから、理性と協力関係を結ぶためにも、理性に手綱を持たせないようにすることは重要です。

「検閲の目」が緩み「理性」と協力関係にあると、自然と少ない出力でいいパフォーマンスができるようになります。すると、あらゆる「何かにとりかかるときの腰の重さ」も自然と解消されていきます。
その結果、「継続」にかかる困難さも大きく減るというわけです。


最後に:飽きっぽいのも悪くない


ここまで、「継続」するためにヒントになるかもしれない考え方をお伝えしました。
ですが、大前提として「継続できるからえらい」「継続できないからダメだ」という観念は不要なのだということを心に留めておいてください。
皆が信じている「継続が美徳」というのは、これまでの社会通念が作り出した思い込みです。なぜそうなったのかは、これまでの日本社会の歴史を多少なりとも知っている皆さんなら、お分かりかと思います。この「常識」と呼ばれる価値観は、ただの昔の名残です。

西洋占星術によると、世は2020年12月より「土の時代」から「風の時代」に入りました。
これまでの「土の時代」はお金や物質、継続や忍耐を重んじられる時代でしたが、これからの「風の時代」は個性や柔軟性、流動性を重んじられる時代です。そして、この「風の時代」は今年……2024年から、より本格化されていくと言われています。

「飽き性」であったり「継続性がない」ということに悩んでいる方は多くいると思いますが、むしろその個性は流動性を重んじられるこれからの「風の時代」にマッチしています。「自分はこれからの時代生きやすいように、あえてこの個性をもって生まれてきたのだ」とむしろ喜び誇ってください。あなたってめちゃくちゃラッキー、ついてます!!
そして、その個性がどれほど特別なギフトだったかということを、この先十年二十年を使って思い知っていくことになるでしょう。

忍耐力があることや継続力があることも素敵ですが、色んなおいしいものをつまみ食いしなからビュッフェスタイルで人生を味わい尽くすのも最高です。
あなたはそれができる人ですから、楽しんで今好きなことをやりたいようにやってみてくださいね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
応援しています。



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