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仕事はエンジニアをしています/ いろいろな思考に触れることが好き/ 同じようなことを考…

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仕事はエンジニアをしています/ いろいろな思考に触れることが好き/ 同じようなことを考えてる人がいたら嬉しいと思って文章を書いてます/ INTJ-T/LIE/5w4

最近の記事

ディズニーの情報戦化と子供と世界

いまのディズニーは 楽しむためにはハードルが高い。 課金すれば乗りたいものに乗れるし時間の短縮も可能。 無課金の場合もシステムを高度に理解していればそれなりに楽しめる。 でも昔はそうではなかった。 昔は課金しなくても一日待てばなんとか乗れたし、事前にシステムを頭に叩き込まなくても楽しめた。 みたいなポストを見かけた。 最近、ディズニーに行った私としてもそう思う。 いまディズニーではアプリが必須である。 ・パスの購入 ・プライオリティパス ・ショーのエントリー ・(課金すれ

    • 生を強いることの残酷さ

      安楽死を取材したドキュメンタリーを見た。 共感力に自信はないが、感情移入はできる。 自分に置き換えて考えるだけで胸が張り裂けそうな感情になった。 見たことを後悔するくらい。 死について真剣に考えることがあまりなかった、考えないようにしていた、のほうが正しいかもしれない。 考えないですむ、ということは幸せなことだと思った。 ドキュメンタリーを見てから時間が経ったけれど、いまだに考え続けてしまう。 取材を受けていたマユミさん。 希少ながんで治療法がない。進行が早くて悪性度が高

      • 病みそうになったら社用携帯の着信音を変えたほうがいい

        今日、オフィスに出入りしている業者さんの携帯が鳴った。 その瞬間、心臓をつかまれるような感覚がした。 ぎゅっとなってバクバクするあの感覚。 私の嫌いな着信音ふと聞こえてきた音。 前職で使っていた携帯電話の着信音と同じ音だった。 当時は電話が鳴るのがイヤでしかたなかった。 前職を辞めていまの会社に転職して3年くらい経つがいまは平穏である。 当時の会社は中小企業だった。いわゆる経営層との距離が近い会社。金払いはいいが、中身は結構ブラック。さらにワンマン社長。 社長はブルドー

        • 虹ってなに?という子供の疑問と世界の見え方

          なぜなぜ期の子供 どうして虹ってできるの?虹って何? と子供に聞かれてすぐに答えられなかった。 目に映るもの、自分の周りの事象すべてが気になるようだ。 なぜなぜ期の子供の知的好奇心は素晴らしい。 なぜなぜと分析する姿はまるでトヨタ生産方式にかぶれた上司みたいだ 大人になると"そういうもの”として受け入れがちだと思うけれど、やはり本質を知ろうとする姿勢はいい。 人間は、本来知的好奇心にあふれた生き物だと思う。 それが成長していく過程で薄れていくのかなあ、と思ったり。 好奇心

        ディズニーの情報戦化と子供と世界

          noteの下書き機能は優れたアンガーマネジメント手法である

          皆さまはnoteの下書きってどれくらいあるのだろうか。 私は下書きにしたまま眠っている記事が多い。 私の場合、日常生活でネガティブな感情を持つことが多い。そういうとき、どうにか発散しようと思って文章を書く。わりと気分のままに書いてしまうのだけれど、そういうときって文章が汚くなりがちだ。 ここのユーザーはしっかり文章を書いている人が多いし、読むことが好きな人が多いと思う。 noteのようなプラットフォームでは、なおさら文章に対するハードルが上がる気がしている。 ちなみにt

          noteの下書き機能は優れたアンガーマネジメント手法である

          自分で自分を追い詰めがちな性格とその対処法

          社会人になったら勉強しなくていいと思っていた。 大学の勉強が嫌すぎてさっさと就職したいと思っていた。 高校までは私も頭が良いほうだった。大学に入り優秀な友人たちに出会い自分の実力を知った。私の成績は下から数えた方が早かった。 勉強へのモチベも下がっていった。 いま振り返るとおかしかったなと思う。 成績で上位にいることが目的になっていた感じがする。 本当にやりたいことがあれば勉強はそのための手段に過ぎないのに。 目的が別のところにあれば、モチベだって下がることはなかった。

          自分で自分を追い詰めがちな性格とその対処法

          食べるという行為が嫌いだった

          食べるという行為が嫌いだった。 いまは克服できていると思うが、昔はこの行為に嫌悪感を持っていた。 生々しすぎる。人類が猿だったころから何も変わっていない。 普段は理性で本能というか野性性を覆い隠しているのに、何かを食べるときは本能があらわになる。 (同じ理由で性的なものにも嫌悪感があった。) いくら上品に食べようとも隠しきれていない気がした。 他人の食べる姿が気になり始め、それがエスカレートしていつの間にか人前でものを食べることができなくなった。 大学1年生くらいの

          食べるという行為が嫌いだった

          読解力って誰にでもあるわけではない?

          他人のポストを引用して何か書いている。引用元を見に行ったら「そんなこと言ってないよ?」となる場面が少なくない。 勝手に自分の意見を足したり、曲解したり、全然違うこと言ってたり。 この行動についての説明は2つある。 1. 違うことは分かっていながらあえて自分の主張に使っている 2. 本当に読解力がない 1はここでは置いておく。 触れるのは2のほう。つまり、本人は原典に関係あることを言っているつもりで的外れなことを言っているケース。 的が外れてしまう理由としては、読解力が

          読解力って誰にでもあるわけではない?

          優しい出品者に代わって参考書に宿る無念を勝手に晴らす

          私はよく資格試験を受ける。 動機は、会社に薦められたり、単純に自分が欲しいから、だったり。 試験勉強には参考書が欠かせない。 でも参考書って結構高くて、新品を買うのをためらう。 そういうときにメルカリは役に立つ。 資格試験はたいてい年1回とか決まった時期で行われる。 目当ての参考書を探すときに一番いいのは試験の結果発表後だ。 このタイミングは出品数も増えるし目当てのものが手に入りやすい。 参考書は、別にきれいでなくていい。 前に使っていた人の痕跡が残っていても気にしない。

          優しい出品者に代わって参考書に宿る無念を勝手に晴らす

          共感と感情移入について調べたら自分への理解が深まった

          共感力が低いことは自覚している。パートナーにもよく言われる。 相手と同じ人生を歩んできたわけではないし、思考回路も違う。 同じ出来事に対して違う感情をもつことなんて当たり前の話だ。 私とあなたは違う人間なんだから分かるわけないよ、と言いたい。 真の共感とはハードルが高すぎる。 表面だけ共感したふりはできるかもしれないが、その行為に意味が無いと思っている。 一方で、私は映画や本などの作品に登場する人物に割と感情移入してしまうタイプである。 登場人物に「それ分かる~」みたいな感

          共感と感情移入について調べたら自分への理解が深まった

          他責思考でもいいんじゃない

           SNSではいろんな意見を目にすることがあるが、私が理解できないものも多い。理解できないものを切り捨てて目に触れないようにすることもできるが、あえてその考えや心情を読み取ろうとすることもある。 頭の中で考え続けていると、どうしても考えが凝り固まっていくのでそれをほぐすという感じだろうか。 とはいえ、そこに至る心理は分かるけれど私とは相容れないな、と思うものはある。 「~のせいで」 「~させられた」 みたいな論説に思うことを書きたい。 私は、このような他責思考が好きではない。

          他責思考でもいいんじゃない

          友達の友達と仲良くなれるか

          マックで 高校生くらいの3人組がいた。 恋人同士とその女友達。 男子がずっと女の子に抱きつきながらご飯を食べていた。 食事中くらい一人で食べられないものか。よく分からないけど中学生とか高校生くらいならそういうこともあるか。 中学の頃、同級生が男子の膝の上に乗って授業を受けていたのを思い出した。 当時の私は周りに見せつける恋愛が理解できなかったのだが、これについてはいまでも理解できない。 理解できないとはいえ、まぁそういうタイプの人間もいるとして。 もっと分からないのは

          友達の友達と仲良くなれるか

          自分のハンドルは自分で握れ

          たまには語りたい 子供が戦隊モノにはまっている。 いま放送中の爆上戦隊ブンブンジャーを毎週見ている。 いままでの人生で全く触れてこなかった世界なのだが、付き合わされて見てみたらけっこう面白い。 今回はブンピンクこと 志布戸 未来(しふと みら)ちゃんを語りたい。 彼女は第一話から登場し、ブンブンジャーに加入した。 なんというか応援したくなる魅力がある。 そう感じたのは、彼女の決めた生き方に感情移入したからだと思う。 あらすじ 加入までのあらすじとしてはこんな感じだ。

          自分のハンドルは自分で握れ

          結婚式で考える、歴史の繰り返し

          連休中に友人の結婚式に行ってきた。 珍しく神前式であった。 神前式とは、神道の神様に誓うスタイルである。 神主と巫女がいて祝詞を奏上し、三献の儀を行い玉串奉奠、みたいな流れだったかな。 今までほとんど神前式には参加したことがなかったので、どんなことをしているのだろうと興味深く見ていた。 やはり古くから続いているだけあり形式的な印象を受けた。 見ている私にはそれぞれの所作、行為の意味が分からないものも多かった。 私の主観だが、新郎新婦もそれぞれがどういう意味で行われている

          結婚式で考える、歴史の繰り返し

          誰かと過ごす休みは"真の休み"たり得るのか

          私は一人の時間が好きだ。 他人といるのはどうしても落ち着かない。 休みなどは本当は一人で過ごしたい。 というか、一人で過ごすことこそが私にとっての休息だ。 つまりタイトルの答えは "そんなの真の休みじゃない" である。 誰かと会っている間は、他人の目に対して私を演じているような感覚である。 仕事のようなもので疲れてしまうのだ。 昔は、こんな感覚で結婚したらどうなるのか、と疑問に思っていた。 結論としては、たとえ好きな人と一緒だとしてもこの感覚は変わらなかった。 やはり誰

          誰かと過ごす休みは"真の休み"たり得るのか

          高校時代の記憶がない

           寄せ書きも何も書かれていない真っ白な卒業アルバムが実家から出てきた。何も思い出せなかった。  クラスの風景や同級生、教師の名前はほとんど覚えていなくて友人はかろうじて2人くらい思い出せる。学校のイベントなんかも全く覚えていない。 原因は一つしかなくて、 単純に"記憶に残るようなことが何もなかった"のだ。  性格の問題で群れることが好きでなかった私は、高校ではほとんど友達ができなかった。中学までは友達もそれなりにいたのに、おそらく今の性格が形作られたのが高校生くらいの時な

          高校時代の記憶がない