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noteの下書き機能は優れたアンガーマネジメント手法である

皆さまはnoteの下書きってどれくらいあるのだろうか。
私は下書きにしたまま眠っている記事が多い。

私の場合、日常生活でネガティブな感情を持つことが多い。そういうとき、どうにか発散しようと思って文章を書く。わりと気分のままに書いてしまうのだけれど、そういうときって文章が汚くなりがちだ。

ここのユーザーはしっかり文章を書いている人が多いし、読むことが好きな人が多いと思う。
noteのようなプラットフォームでは、なおさら文章に対するハードルが上がる気がしている。

ちなみにtwitterは140字だし、露悪的なものであふれているけれど、そこですら何かポストするときも感情のままではなく一旦整理したりする。

感情を吐き出したいのだが、素直に表に出すことに抵抗がある。せいぜい何かを皮肉る程度だ。
理由を考えてみると、誰かに見られているという意識を排除できないからだと思う。実際、誰でも見られるものであるから当たり前だ。人前に出す以上、ある程度の質がなければならない。

理想というわけではないけれど、外からこう見られたい、というイメージは誰しもあると思う。
思ったまま心情を吐き出したい、と思って作ったアカウントでも結局私は自分の作ったイメージに縛られている。

インターネットでよく見かける理性のなさそうな書き込み
少し考えてから発信すればいいのに、と思ってしまうような文章
これらに少しうらやましさを感じることもある。

閑話休題。

感情で書くと汚くなりがちなので、文章を投稿する前に推敲する。
夜書いたものは、翌朝見直すといいとよく言われる。
時間が経ってから読むと、気持ちをそのまま書いた記事は私からみても面白くないことが多い。

内面にある炎を見ながらテンションが上がって書いた文章は
翌朝、焚火跡に残る炭みたいなもので虚しさを感じる。
自分のテンションも下がってしまって表に出さなくていいか、となる。

アンガーマネジメントの手法として"怒りを感じたら6秒待つ"みたいなものがある。怒りの感情はそれだけしか持続しない、ということみたいだ。
文章は必ずしも怒りの発露というわけではないから一般化はできないけれど、私の場合は負の感情全体にあてはまりそうだ。
翌朝見直すとして12時間も経っていれば、大抵の感情は薄れている。

結局自分で面白いと思えないうえに、熱量がなくなったものは下書きのひとつとして眠らせる。
そうして下書きが増えていく。
表に出ることはなく、私の感情の記録として積まれていく。

翌日の自分が読んでも面白くない文章が多い、それでも文章にしたくなるのは、感情をなんらかの形にしたいという気持ちが強いのだと思う。
noteでウケがいいのは、ポジティブな内容の文章だ。優しくて、柔らかい文章が求められている(気がする)。
綺麗な気持ちで日々を過ごせればもっと綺麗な文章が書けそうだけれど、私がポジティブなものを書いたからといって面白いわけでもなく。

キャンプの朝、澄んだ空気の中で昨日の焚火跡の脇に座り
木々を眺めながらコーヒーを飲むときのような
さわやかな気持ちで過ごせたら
綺麗な文章が書けそうだよね。
でもそれに惹かれるかは別の話。
私は、人の感情が暗く湧き出ているような文章が好きだ。感情をそのままキャンバスにぶちまけたような文章だって面白い。

昔はネガティブな感情を抱きがちな自分が好きではなかったけど、今はそうでもない。私の場合、何か行動を起こすときの原動力はよくも悪くもそういう感情であることが多い。そういう感情のおかげでこの世を生きてこられた気もする。
私が感情を失わない限り、今後もずっと下書きは増え続けるだろう。

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