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読解力って誰にでもあるわけではない?
他人のポストを引用して何か書いている。引用元を見に行ったら「そんなこと言ってないよ?」となる場面が少なくない。
勝手に自分の意見を足したり、曲解したり、全然違うこと言ってたり。
この行動についての説明は2つある。
1. 違うことは分かっていながらあえて自分の主張に使っている
2. 本当に読解力がない
1はここでは置いておく。
触れるのは2のほう。つまり、本人は原典に関係あることを言っているつもりで的外れなことを言っているケース。
的が外れてしまう理由としては、読解力がなく原典の主張を理解できないから、だと思う。
現代文のテストで著者の主張を読み取るのが苦手な人たち。
相手の主張を読み取るという行為、対象は本だけではないと思う。
話すという行為だって、相手の話した内容から意図を読み取る必要があるはずだ。むしろ文章として形に残らない分、読み返すことができず難易度は高いと思う。
思考が追いつかなくなったらまた読み返すことができる文章はよほど主張をつかみやすいのではないか。にも関わらず読み取れない。
よほど難解な文章なら読み取るのが難しいのは分かる。でも平易な文でも読めない人はいる。
そもそも読解って難しいのかもしれない。
昔は、現代文のテストなんか答えが問題の中に書いてあるでしょ、とか思っていた。数学は公式とか理論を知らないとまったく太刀打ちできないけれど、現代文は読めば分かる。
私にとってはそんなものだったから、文章の意味をつかめないとはどういうことか分からなかった。
私はできて当たり前の能力だと思っているけれどそうではない人が一定数いる。
実際に高校生を対象に読解力をテストしたデータを見ると、明確に読解力に差がある。
そういうものかもしれない。
ちなみに読み取るのは何も字面そのままだけではなく、文脈とかそれまでの流れを含めて別の意味を持つこともある。
彼らがハイコンテクストな会話をしていて、ある一瞬の文章だけを読んでいる私がついていけてない可能性もある。
と、ここまで読解力をテーマにある意味傲慢に書いてきた。
この記事は"自分ができることは他人も当たり前にできるだろう"というバイアスが強くかかっている。
狭い視野で書いていることは承知している。
これはある意味自虐で書いているようなものだ。
私と違う特性の人から見れば、私に対して似たような思いを感じているだろう。
私は共感力が低いことをいままでの記事でも述べてきた。共感力がある人間からしたら滑稽だと思う。
この記事を読んだらこう思うに違いない。
「共感力って誰にでもあるわけじゃないの?話を聞けば答えなんて分かるでしょ。」
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