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結婚式で考える、歴史の繰り返し
連休中に友人の結婚式に行ってきた。
珍しく神前式であった。
神前式とは、神道の神様に誓うスタイルである。
神主と巫女がいて祝詞を奏上し、三献の儀を行い玉串奉奠、みたいな流れだったかな。
今までほとんど神前式には参加したことがなかったので、どんなことをしているのだろうと興味深く見ていた。
やはり古くから続いているだけあり形式的な印象を受けた。
見ている私にはそれぞれの所作、行為の意味が分からないものも多かった。
私の主観だが、新郎新婦もそれぞれがどういう意味で行われているか、祝詞が何を言っているのか、三献の儀でなぜ三度飲むのか、大きさの違う盃は何の意味があるのか、そういったことを理解していたかというときっと理解していないだろうと思った。
神前式というスタイル、というか神道の神様に結婚を誓うという儀式が成立したのはきっとすごく昔だろう。
その当時は、それぞれの行為、所作の意味を参列者たちがしっかり理解した上で式が執り行われていたのかもしれない。
私たちの時代では、そういう教養というか知識を持ち合わせた人はそう多くない。少なくとも私はそういう教養はなかった。
そういうわけで、知識に乏しい私は形式的だな、という感想を抱いてしまった。やはり物事に対する知識を持ち合わせていないと形式でしか認識できない。
その行為がもつ重要性、必須性を理解できない者には表面しか見えないのである。
こんな風に世代を経ていくうちに知識が薄れてくると、
「この儀式意味あるの?」
という人たちが現れるのは不思議ではない。
別の視点では、、、
信仰心自体が薄れていく or 信仰の対象が多様化していく社会では、結婚を誓う相手が神様であることに違和感を覚える人もいたと思う。
そういう流れがあって、
・愛を誓う相手が神様ではなくゲストたち
・宗教の儀式にとらわれない自由な演出、進行
という人前式という方式ができたのだろう。
形式は自由、なのだが実際に"自由なのでどうやって進めても大丈夫ですよ"と言われると結構困ると思う。
人前式で検索するとサジェストに進行とかアイデアとか出てくるし、こういうとき他の人たちはどうやってるのか気になるものなのだ。
私が参加したことある人前式でも全く新しいアイデアみたいなのは見たことないし大体似たような流れになっているように思う。
つまり人前式といえばこういう流れ、というのがなんとなくできている。
従来の式から分岐した"自由な形式"を売りにしたスタイルですら、すでに形式的になってきている。
このまま長い時間が経てば、そのうち
「人前式は形式的すぎる。」
「参列者たちに結婚を誓う必要はあるのか?」
みたいな人たちが現れて、新たな結婚式のスタイルが産まれるだろう。
その後は、、、。想像に難くない。
どこの世界にもこういった事象は起きるものだ。
挙式から披露宴までの待ち時間で考えていたメモより。
※実際の結婚式の成り立ちとかそういうものを全く知らないで書いています
事実と違うかもしれないがご容赦ください
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