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鬼とか呪いとか出てくるマンガの時代

最近の漫画を読んでいると、鬼とか呪いとか、いっぱい出てくる。いっぱい人が死んでいくし遠慮がない。いつのまにかマンガは残酷で、複雑な設定じゃないと楽しめない、過激化のインフレーションが起きている気がする。ドラゴンボールとかドラえもんとか、もっとわかりやすくて単純じゃなかっただろうか。

それはともかく(少なくとも)現代社会には倒さなければいけない鬼もいないし、呪いもない。どちらも実際には存在するものではなくて、人の想像力や宗教観が生み出したものだ。目には見えないなにか。

もう連載が終わってたり、始まったのもずいぶん前のマンガのはなしなので、今の時代に合わせたなにかを語りたいわけではない。でも、見えないなにかと戦っている今の時代に流行るべくして流行っているようにも思えるし、それは今に限ったことではなくて、ずっとみんな見えないなにかと戦ってきたのかもしれない、と思う。

男らしく、女らしく、みたいな「呪い」は、結婚して家族になるという契約でより強くなる、良妻賢母なんて言葉は本当に呪いの名前みたいだ。
住宅ローンみたいな縛りは、安心できる家の代わりに男性を「大黒柱」として一生働かせる呪いの増幅装置だ。

鬼も呪いも、そのまま人の弱さとして描かれる。人の弱さがそのまま鬼や呪いになる。それぞれのマンガは、時代も設定も違えど、その描かれ方は共通しているように思う。いわゆるダークサイドに落ちて力を求めるものが、主人公たちの敵になる物語が繰り返される。

わたし達はたぶん、ずっとそういう弱さと戦っている。だれも自分の弱さを受け止め切ることはできないし、弱さゆえに力を求めてみたり、だれかに認めてもらいたかったりする。そういう自分の弱さを、登場人物のだれかに投影し、共感する。物語に登場する弱さは、きっとどこかで身に覚えがあるものだ。

マンガの残酷さがどんどん激化していったのは、そんなふうに弱さと強さのあいだで複雑に揺れ動くありのままの人の姿を描くようになったせいだ。単純な強さを持ったヒーローが、単純な悪を倒す世界ではない、どちらも同じ、強さも弱さも合わせ持ったものとして、現実に近い世界を描いている。

鬼も、呪いも、全く信じていなくても、そこにあるような気さえしてくる。現実に限りなく近い、人の心の動きを絵に描いているから。鬼や呪いは、現実には見えない。でも私たちを息苦しくさせ、生きづらさを感じさせるそれらは世の中にあふれている。




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