キタム

強迫性障害を抱えるひとりの「僕」が、考えたことやあまり考えなかったことなどを吟味したり…

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強迫性障害を抱えるひとりの「僕」が、考えたことやあまり考えなかったことなどを吟味したり吟味しなかったりして綴ってます。日記になってるかどうかはよく分かりません。大昔に書いたことものっけます。

記事一覧

幸福な人生

痛覚のない動物はかわいそうだ。痛みを味わえないから。 幸せなだけの人はかわいそうだ。悲しみを知らないから。 挫折したことのない人はかわいそうだ。失敗を知らないから…

キタム
2年前
3

あなたが美しいのは

『あなたが美しいのは』  きっと初めての空を 飛ぶ鳥の心うつして  誰の胸にも ひたすら待ち望む時があるはず  いつか心を隠す 重ね着をみんなはがして  惑いひと…

キタム
2年前
1

人間関係にキャラは必要か。

こういう逸話がある。 ある病院に行ってうつ病と診断された患者に、医者が、「○○というお笑い芸人のテレビを見なさい、元気が出ますから」。 すると患者が、「先生、その…

キタム
2年前
7

男らしく、女らしくではなく、人間らしくあればよい。

メンズリブという活動がある。 いわいるウーマンリブの男性版。「男性解放」である。 こういった運動がうまれた背景に、ドメスティックバイオレンス(以後DVと表記)がある…

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2年前
3

映画 『精神』

個人的には、精神障害者も健常者も変わらない、と言ってしまいたい。 だが、それを主張するには峻厳すぎる社会の、視覚化された対応の差異が、偏見という形で存在している…

キタム
2年前
4

渇愛と慈悲

何故人は苦しむのか、仏教にはこのような考え方があります。 人間は生きることの実感を求めるために何かに愛着します。それは、色・形、音声、香、味、接触の五種類である…

キタム
2年前
10

偽善とは何か?

辞書で調べてみると、「本心からではなく、見せ掛けでする善」のことを言うらしい。 でも、僕はこの定義を疑問に思う。 そもそも、人間の本心には、善も悪も混在している…

キタム
2年前
3
幸福な人生

幸福な人生

痛覚のない動物はかわいそうだ。痛みを味わえないから。
幸せなだけの人はかわいそうだ。悲しみを知らないから。
挫折したことのない人はかわいそうだ。失敗を知らないから。
この前、ある人がテレビで言ってた。人間の死亡率100%。
生きとし生きるものみんな死んじゃうんだよ。
死んだらどうなるって、楽になるの?
そんなのわかんない。
死んだら、他の世界が待ってるかもしれない。
そこは、僕たちが生きてる現実よ

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あなたが美しいのは

『あなたが美しいのは』

 きっと初めての空を 飛ぶ鳥の心うつして
 誰の胸にも ひたすら待ち望む時があるはず
 いつか心を隠す 重ね着をみんなはがして
 惑いひとつもない 汗をかいてみたいはず
 あなたが美しいのは 愛されようとする時でなく
 あなたが美しいのは ただ愛そうとする時

 きっと霧深い海に 沈ませた宝のように
 誰の胸にも必ず 色あせぬ夢があるもの
 いつか心の底に 輝きをひとつ見
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人間関係にキャラは必要か。

人間関係にキャラは必要か。

こういう逸話がある。
ある病院に行ってうつ病と診断された患者に、医者が、「○○というお笑い芸人のテレビを見なさい、元気が出ますから」。
すると患者が、「先生、その○○が私なんです」・・・。

さて、お笑いはプロが人を笑わせるために作られた職人芸なわけで、当然そこには役割分担があってしかるべきだし、いわばお笑い官僚制とでもいうか、笑わせることにきわめて合理的な役割配分がなされているわけだけれど、これ

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男らしく、女らしくではなく、人間らしくあればよい。

男らしく、女らしくではなく、人間らしくあればよい。

メンズリブという活動がある。
いわいるウーマンリブの男性版。「男性解放」である。
こういった運動がうまれた背景に、ドメスティックバイオレンス(以後DVと表記)がある。DVをするに至る多くの男性が、この社会の、世間の無自覚に形成されてきた価値観という枷をはめられ苦しんでいる。それは、男はこうでなければならない、または夫はこうでなければならないといった見えざるプレッシャーである。
DVは、親から良い子

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映画 『精神』

個人的には、精神障害者も健常者も変わらない、と言ってしまいたい。
だが、それを主張するには峻厳すぎる社会の、視覚化された対応の差異が、偏見という形で存在している。

そもそも健常者と障害者の境界は非常にあいまいである。
健常者といわれる人々においても、本当に健常である人などどこにもいないのだから。
しかし、現に健常者と精神病患者の区分けはどこかでなされている。
その境があるとするなら、それは視覚化
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渇愛と慈悲

渇愛と慈悲

何故人は苦しむのか、仏教にはこのような考え方があります。
人間は生きることの実感を求めるために何かに愛着します。それは、色・形、音声、香、味、接触の五種類であるといわれています。つまりは、財産であったり、名誉であったり、恋人であったり、妻子であったり。しかし、これらはすべて手に入るわけでもなければ、手に入ったとしても永遠に手中に収めておくことはできません。これらはすべて無常です。この世はすべて変化

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偽善とは何か?

偽善とは何か?

辞書で調べてみると、「本心からではなく、見せ掛けでする善」のことを言うらしい。

でも、僕はこの定義を疑問に思う。
そもそも、人間の本心には、善も悪も混在しているわけで、何かのことを考えるとき、そのことに対して、善なる感情、悪なる感情、双方湧き上がってくることは実はほとんどのことに言えるんじゃないだろうか?
たとえば親のことを思うとき、僕は憎む気持ちと愛する気持ちがある。でもそれはいたって健全な反

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