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哲学の散歩道

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思弁哲学シリーズ、等々。
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#哲学

『すべては限定的に合理的である』―合理的な世界に不可欠な非合理―

『すべては限定的に合理的である』―合理的な世界に不可欠な非合理―

どうも、キシバです。
思弁哲学シリーズ、今回は『すべては限定的に合理的である』というテーマについて。

色んな事の土台になるような考え方なので、参照先としても書いておきたかったのですが出来に悩み。最終的に「とりあえず書いてみよう」という結論になったので気軽にいってみます。

この世界は合理的な世界である、と言われたら。
さて、あなたはどう思うでしょうか?

1.「合理的」とは、そこに論理が成り立つ

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『現代の「悟り」があるとすれば、それは何か?』―仏陀と我々の違いと共通項―

『現代の「悟り」があるとすれば、それは何か?』―仏陀と我々の違いと共通項―

思弁哲学シリーズ、今回は『現代の「悟り」があるとすれば、それは何か?』について。

「悟り」とはこうである、と決めるのではなく、「悟り」があるとすればそれはどんな物なのだろうか? という思索を巡らせてみるものになります。

仏教における「悟り」さて、まず本来の「悟り」とは仏教用語です。サンスクリット語の音写でbodhi(ブッディ)と呼ばれており、菩提、涅槃、解脱、あるいは覚悟、証得とも表現されます

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人間は死ぬと『三つの死』を得る――「生物としての死」、「社会的な死」、「自我の死」――

人間は死ぬと『三つの死』を得る――「生物としての死」、「社会的な死」、「自我の死」――



エドワールト・コリール作、1663年『ヴァニタス-書物と髑髏のある静物』

作者不詳、17世紀頃『メメント・モリ』

(『ヴァニタス(空虚)』と『メメント・モリ(死を忘れるな)』は、どちらも死をテーマとした絵画の題材、あるいは思想。時代によって視点も変わるが、人は古い時代から死に想いを馳せてきた)

1.はじめにさて、今回はリハビリがてらに死生観に関する哲学っぽい軽い話を一つ。(この場合の軽さ

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『権利だけがあり、義務はどこにもない』

『権利だけがあり、義務はどこにもない』

思弁哲学シリーズ、今回は『権利だけがあり、義務はどこにもない』というテーマについて。

「我々はそこに義務があると感じることがあるけれど、それは錯覚なんじゃない?」というお話です。アドラー心理学でも似たような主張がありますね。人間はやりたいことをやっているだけなのだ、とか。

さて、今回の対象範囲は思考ができる自由意思を持った存在、この地球上においてはおおよそ人間が対象です。表題を言い換えるならば

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『AIと人類史』――宇宙の誕生から「強いAI」の誕生まで――

『AIと人類史』――宇宙の誕生から「強いAI」の誕生まで――

※このnoteはTogetterにて公開している「好き勝手に語りたいアライさん」アカウントでのテキストを通常の文体に書き変えたものです。執筆者、内容についてはどちらも共通です。

Togetter版:(投稿予定)

今回、『人類史』なんて壮大すぎるフレーズを使っていますが。情報工学や歴史学の話というより、思弁哲学寄りの話です。「AIの観点で宇宙の段階をこんな風に分類できるんじゃない?」とか、「未来

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