見出し画像

誰かとその日の出来ごとを話せる暮らし

佐奈田です。
昨年8月から始まった寄生生活(参照:「なぜ寄生?」)ですが、正直、

すごくいい。

です。

いや、とても生きやすい。

経済的なこと(家賃3万光熱費込み)はもちろんですが、この安心感は、同居生活でしか得られない、人との交流からくるものなのだろうと思います。

明かりのついている家に帰れること、「おかえり」「ただいま」があること、一緒にご飯を食べる人がいること、誰かとその日の出来ごとを話せること、一日一笑できること(参照:「子どものたちの言葉」)。たとえ、遅く帰ってきてみんなが寝静まっていても、食卓の上に私の読みたかった本を置いてくれていたりする(同居人のナギ子は書物に関わる仕事をしている)。良い日も悪い日も、家に帰るとフツーの自分に戻ることができます。

↑4人家族+1寄生住の食卓。
この日はジェームスが作った豚の生姜焼き。

部屋で一人でいても、人の気配を常に感じることができます。子どもたちが部屋に来て、折り紙の作品を置いてくれたり、目覚まし時計を自分の好きな時間(3時)に進めてくれます。一家でお出かけするときは「佐奈田もいくー??」と聞きに来てくれます。お風呂に入っていても、ノックなしでドアが開き、子供たちが「今日デザートあるで」と教えてくれます。

一人でいても、一人じゃない。適度にプライバシーがありながらも、孤独にならない(なれない)、その絶妙なバランスがこの寄生生活にはあります。

社会人になって6年ほど一人暮らしをしていましたが、この寄生生活に馴染んだ今、誰もいない自分だけの空間で生活をしていたことがなんとも不思議です。私は一人でいると、将来への漠然とした不安(”私はこのままでいいのだろうか病”)に襲われるのですが、この8ヶ月間その持病は顔を出していません。「私はこのままでいいのだろうか」と感じる隙もないくらいに、この家の人々との交流や温もりが、私の日々の生活に充足感を与えてくれているのだろうと思います。

私は、32歳で独身で、もし今結婚していたらパートナーと二人で安心感や充足感のある暮らしをしていたのかな、と思うことがあります。でも、きっと家で安らぎや優しさを感じられる生活は、結婚すれば保証書付きでついてくるものでもないのでしょう。明かりのついた家も、「ただいま」「おかえり」も、一緒にご飯を食べることも、誰かとその日の出来事を話せることも、一日一笑も、食卓に置かれた本も、結婚にプリセットされているものでは無いのだと。

いくつかの恋愛をして、結婚にも意欲的だった20代の最後の最後に気づいたことは、「本来の自分で居られない人と結婚しても人生は良くならない(というか生きにくくなる)」ということでした。またときめく人に出会ったら恋愛すると思います。ただ、「結婚=幸せの保証」という幻想から解き放たれた今は、すごく自由な気持ちで、友人一家と友達っぽい家族、家族っぽい友達な関係を築きながら、新しい居住スタイル・家族形態を模索中なのです。

さて、安心感に加え、この暮らしにはお金では買えない面白さがあふれています。その一つが、

「楽しいことだけやるママ」になれること

独身・子なしの私が、育児を体験している。またこれは、別の機会に書きたいと思います。

上記、「お金で買えない面白さ」がこの家にはあると申し上げましたが、現に私は3万円(光熱費込み)でこの家に住み、安心と面白い体験まで得ている。コスパ良すぎませんか?家賃4万にしたほうがいいのかな?って思ってきました。

検討します。