阿部凌大
深夜バイトの帰り道、こんなところにポストがあっただろうかと思う。所々塗装は剥げ落ちていて、新しく設置されたものではないのは間違いないだろう。街灯に照らされたポ…
学生時代の経験として、バッタの死骸から石鹸を作ったことがある。これは何かの比喩や冗談でもなく、本当にバッタの死骸から石鹸を作ったのである。 事の始まりはこの…
おじいさんが一人、道の中央でぐったりと倒れていた。だが通りがかる人々は誰も、そのおじいさんに一瞥もくれず通り過ぎていく。 そんな中でその青年はただ一人、おじ…
妻は魔女だったのかもしれなかった。そして彼女は俺に黒魔術をかけていたのかもしれなかった。 ようやく遺品の整理を始めることが出来た頃には、妻の死から既に一年…
私は毎日六時間だけ人魚になる。一日のうちで十八時から二十四時まで。つまりは一日の四分の一を。なぜかと言えばそれは、私が人人人魚だからだ。 私の母方の祖母は人…
最近やけに後輩の高橋がモテている。悔しい。 女子社員達は何やらヒソヒソと高橋のことを話題にし、楽しげにはしゃいでいる。 高橋といえば良くも悪くも平凡な社員の…
これを舐めれば、ひとたび全て夢になる。そう言われ渡された飴玉はポケットの中に入ったままだった。 その日、私は走っていた。自身の小説家デビュー10周年を記念し…
モグラ叩きのようにポコポコと、不安というやつは次から次へと現れてくるものらしい。ようやっと一つ叩けたと思えば別の場所にポコリと。それを叩けたかと思えばまた別の…
朝になるともう、その鈴の音は止んでいた。昨日テントに引っ付き、盛んに鳴いていたそれを、私は日本から持ってきた荷物にたまたま紛れ込んでいたビニール袋の中に入れ、…
茶柱が立つことはこれまでにも時々あったが、立った茶柱が喋りだすのは初めての経験だった。 「おめでとうございます! 1000億本目の茶柱です!」 目の前の茶柱は…
宇宙一の混浴温泉があるとの噂に、俺はいてもたってもいられずさっさと動き出した。 それは山奥にあった。 一見温泉があるとは思えない簡素な建物に入ると、にこやか…
病に伏せる父から生前最後、これは俺からの形見だと、袋に入った幾つかのバスボムを渡された。 なぜに形見にバスボムを? それを尋ねる暇もなく父は亡くなってしまっ…
ふらりと立ち寄った蚤の市で私が買ったのは、真っ二つに割れた器だった。 「この子だけ端っこに置かれてて、可哀そうだったのよ」 「それは割れてたからじゃないの?」…
線路を噛む車輪の音に目を覚ますと、そこは列車の中だった。手には矢印だけが書かれた切符が握られており、だが私がどこから来、そしてどこへ向かっているのかはわからな…
森を進み所々に見えたのは、大きくえぐり取られたような跡の残る木の幹だった。あたりを見渡せば根元付近からへし折れた木々も見え、その折れた箇所を観察すればみな一応…
一本の木の下に、私は立っている。 あれから幾日、幾年が経っても、この木は何も変わっていないようだった。 この木の下で、私達は幾度も語り合ったり、共に同じ時や…
2022年2月15日 23:18
深夜バイトの帰り道、こんなところにポストがあっただろうかと思う。所々塗装は剥げ落ちていて、新しく設置されたものではないのは間違いないだろう。街灯に照らされたポストは、濡れたような赤黒い光沢を帯びていて、それがなんとも不気味にも思えた。少なくともこんな色のポストは、今までに見たことが無い。 僕がしばらくそのポストから目を離せないでいると、その四角いポストは、ひとりでにゆっくりと開いた。それは扉み
2024年7月13日 23:40
学生時代の経験として、バッタの死骸から石鹸を作ったことがある。これは何かの比喩や冗談でもなく、本当にバッタの死骸から石鹸を作ったのである。 事の始まりはこの本だった。 アフリカでのバッタ被害(蝗害)を食い止めるため、単身モーニタニアへと飛び立った著者の奮闘が綴られる、めちゃくちゃ面白い本である。 前提としてこの本が面白過ぎるので、まずはとにかく全員読んでほしい。自分も恐らく4回くらい読
2023年12月16日 13:49
おじいさんが一人、道の中央でぐったりと倒れていた。だが通りがかる人々は誰も、そのおじいさんに一瞥もくれず通り過ぎていく。 そんな中でその青年はただ一人、おじいさんのもとへ急ぎ駆け寄り、大丈夫ですかと声をかける。 彼の抱きかかえたおじいさんの体は、彼の想像していたよりもずっと軽かった。というよりも、そこに質量というものをまるで感じない。また彼がいくら懸命に声をかけ、おじいさんの安否を心配してい
2023年12月16日 13:48
妻は魔女だったのかもしれなかった。そして彼女は俺に黒魔術をかけていたのかもしれなかった。 ようやく遺品の整理を始めることが出来た頃には、妻の死から既に一年が経っていた。それは一瞬とも、永遠とも思える一年だった。妻との別離による悲しみは時間と共に薄れてくれるどころか、むしろそれは日に日に濃く、重く、苦しくなっていくばかりの気がした。だから遺品の整理に手を付け始めたのも、家の中に残ったあと僅か
2023年12月15日 16:46
私は毎日六時間だけ人魚になる。一日のうちで十八時から二十四時まで。つまりは一日の四分の一を。なぜかと言えばそれは、私が人人人魚だからだ。 私の母方の祖母は人魚だったらしい。そして漁師の祖父と出会い、結婚し、私の母が産まれた。人魚の祖母と人間の祖父との間に産まれたから、私の母は人人魚ということになる。その後、人人魚の母は父と出会い、結婚し、私が産まれた。人人魚の母と人間の父との間に産まれたから
2023年12月14日 13:03
最近やけに後輩の高橋がモテている。悔しい。 女子社員達は何やらヒソヒソと高橋のことを話題にし、楽しげにはしゃいでいる。 高橋といえば良くも悪くも平凡な社員のはずだった。最近大きな仕事をあげてきたというわけでもない。それなのにどうして、みな突然に高橋に夢中なのだろう。 昼飯に誘うと高橋は嬉しそうについてきた。そして俺は問いただす。「お前、最近なんか変わった?」「変わった? 俺がですか
2023年12月13日 17:52
これを舐めれば、ひとたび全て夢になる。そう言われ渡された飴玉はポケットの中に入ったままだった。 その日、私は走っていた。自身の小説家デビュー10周年を記念し、新刊の発売と共に開かれたサイン会に遅刻寸前だったのである。会場が割に近所の書店であったがゆえに油断してしまい、前日の夜中まで執筆してしまっていたのだった。目が覚めてみればサイン会の開始まで優に30分を切っていた。 その書店は散歩
2023年12月12日 17:15
モグラ叩きのようにポコポコと、不安というやつは次から次へと現れてくるものらしい。ようやっと一つ叩けたと思えば別の場所にポコリと。それを叩けたかと思えばまた別の場所にポコリと。必死にそれを繰り返し気づけば、数え切れないほどのポコリポコリに囲まれていたりする。それが不安というやつだと、俺は知った。 就職していくらか無事に経って、20代の終わりには結婚だってした。それから数年が経ったが、仕事も結婚
2023年12月11日 20:31
朝になるともう、その鈴の音は止んでいた。昨日テントに引っ付き、盛んに鳴いていたそれを、私は日本から持ってきた荷物にたまたま紛れ込んでいたビニール袋の中に入れ、その鈴のような音色に耳を澄ませながら昨晩は眠ったのだった。 動かなくなったその虫をしばらくじっと見、ビニール越しに少し突っついてみても、やはり鳴くことはおろか微塵も動きはしない。どうやら僅か一晩で死んでしまったらしかった。いきなり狭い袋
2023年12月9日 17:45
茶柱が立つことはこれまでにも時々あったが、立った茶柱が喋りだすのは初めての経験だった。「おめでとうございます! 1000億本目の茶柱です!」 目の前の茶柱はひたすらにそんな言葉を繰り返す。 理解の出来ない私が恐る恐る茶柱に問いかけると、当然のように茶柱は言葉を返してくる。「待って、今聞こえてるこの声は、……茶柱?」「さようでございます!わたくしは人類始まって以来、丁度1000億本目の茶
2023年12月8日 22:35
宇宙一の混浴温泉があるとの噂に、俺はいてもたってもいられずさっさと動き出した。 それは山奥にあった。 一見温泉があるとは思えない簡素な建物に入ると、にこやかな顔をした男が俺を迎えた。随分と頭の大きな、頭の上部が大きく膨らんだような形の、まるでタコのような男だった。 だがそこは間違いなく噂の混浴温泉だという。そして俺は大きな期待を胸に温泉へと飛び出すも、残念ながらまだ俺以外の人の気配は無く、
2023年12月7日 17:43
病に伏せる父から生前最後、これは俺からの形見だと、袋に入った幾つかのバスボムを渡された。 なぜに形見にバスボムを? それを尋ねる暇もなく父は亡くなってしまった。仕事一筋で無口な父だったけれど、死に際くらい、もう少し話していたかった。 「お父さんね、いつか渡そうとずっと大切にとってあったみたいなのよ」「けどお母さん、形見に消耗品ってどうなの?」「そんなのは気にしないでどんどん使ってあげ
2023年12月6日 17:04
ふらりと立ち寄った蚤の市で私が買ったのは、真っ二つに割れた器だった。 「この子だけ端っこに置かれてて、可哀そうだったのよ」「それは割れてたからじゃないの?」 そう言って笑う夫に私は何も反論できない。 随分と古びた様子のその小さな器に私は何故か惹かれ、気づけば店主に話しかけていた。そして割れたそれを欲しがる私に、これはもう捨てるものだと店主は言う。結局ほとんど強引に買い取ったものの、割れ
2023年12月5日 17:28
線路を噛む車輪の音に目を覚ますと、そこは列車の中だった。手には矢印だけが書かれた切符が握られており、だが私がどこから来、そしてどこへ向かっているのかはわからなかった。車内には私の他に誰もいなかった。 旅をするのは昔から好きだった。結婚してからも子供が産まれるまでは、妻と共にこうして列車に揺られ、様々な場所へ赴いたものだ。子供が一人立ちし、また夫婦二人きりとなった折にはそんな旅をもう一度と話して
2023年7月14日 09:07
森を進み所々に見えたのは、大きくえぐり取られたような跡の残る木の幹だった。あたりを見渡せば根元付近からへし折れた木々も見え、その折れた箇所を観察すればみな一応に、同じようなえぐられた痕跡が見つかるのだった。「これは完全にそうですね」 高橋さんはその跡にそっと手を触れながら僕にそう呟いた。「やっぱり熊とかなんでしょうか?」「いいや、熊にこんな大きな噛み跡、つけられないでしょう」 高橋さん
2023年2月24日 12:30
一本の木の下に、私は立っている。 あれから幾日、幾年が経っても、この木は何も変わっていないようだった。 この木の下で、私達は幾度も語り合ったり、共に同じ時や経験を過ごしてきた。 見上げれば揺れる枝や梢が見える。その先に付いた葉が、その度にひらりと一片落ちていく。 ゆっくりと落ちる木の葉が私の足元まで届き、地に付き、その瞬間私はその葉から響く音を聞いた。その音は声だった。いつか二人で交わし