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ショートショート『整いたいだけなのに』

 最近やけに後輩の高橋がモテている。悔しい。
 女子社員達は何やらヒソヒソと高橋のことを話題にし、楽しげにはしゃいでいる。
 高橋といえば良くも悪くも平凡な社員のはずだった。最近大きな仕事をあげてきたというわけでもない。それなのにどうして、みな突然に高橋に夢中なのだろう。

 昼飯に誘うと高橋は嬉しそうについてきた。そして俺は問いただす。
「お前、最近なんか変わった?」
「変わった? 俺がですか?」
「しらばっくれるなよ。なんなんだ最近、みんなお前の噂話ばかり」
「まぁそれは」
 恥ずかしそうに、けれどもどこか誇らしそうに照れてみせる高橋にまた腹が立つ。
 だがそんな高橋を見てふと気づいた。何かが、何かが以前と違っている気がする。その高橋の顔にどこか違和感を覚えるのだ。
 確かに目の前にいるのは高橋だった。顔を見れば間違いなくそう判別できる。けれど何が違うというのだろう。ハッキリとしたその目元は変わらず同じ、丸っこいがスッと軽い筋の入った鼻も、僅かに厚めの唇も、記憶の中の高橋と恐らくは違いないだろう。
 しかし何かが、何かが違うのだ。
 そしてじっと顔を見つめる俺の様子に高橋も気づいたのか、にこりと笑うと一言言い放つ。
「多分整ったおかげっすかね」
「整ったおかげ?」
「例えば顔とかね、なんとなく前より俺の顔、整ってる気しません? パーツ自体は変わりないすけど、微妙な配置が、一番いい位置に収まったっていうか」
 その言葉にハッとする。そうだ、そうなのだ。言われてみれば高橋の顔は、全体的なパーツのバランスが以前よりも整っている。
「それはなんだ、整形でもしたのか? けどあれって手術後は包帯を巻いたりするんだろ? そんな様子は無かったじゃないか」
「手術じゃないです。サウナです」
「サウナ?」

 随分と辺鄙な場所に建ったサウナだった。町外れのため周囲に他の店などもなく、高橋に聞いた住所の通りに来たものの、正直不安で堪らない。
 だが銭湯のような外観と、サウナと示す看板にかろうじて安心感をおぼえる。看板には「整います」とも書いてある。
 ここ数年、人気も著しいサウナの、その存在くらいは流行りに疎い俺だって知っている。だがいわゆるサウナの「整う」とは、サウナでホカホカになった体を水風呂で冷やした後の、外気浴中に清々しい心地や気分になるその状態を言うのではなかったか。少なくともサウナに目や鼻の位置が変わってしまうほどの効能があるとは、とても思えない。
 俺は恐る恐る建物内へと入った。どこか見覚えのある建物内の景色から、外観と同じく内部構造やシステムもどうやら銭湯と大して変わらないことを知って俺は安堵する。
 入り口横の下駄箱にて靴を脱ぎ、スリッパに履き替え、続く廊下を少し進むと、受付らしいそこには一人の女性が立っている。
「お一人ですか?」
「え、あ、はい、そうです」
 料金設定も手頃で、やはり銭湯と大して変わらなかった。
 脱衣所にて服を脱ぎ、タオル一つで扉をまた一枚抜けると、小ぶりな湯槽がいくつか並んだ、大浴場のような空間が広がっていた。壁沿いにはシャワー台も並んでいる。
 湯船に手をつけてみると冷たい。どうやらこれはみな水風呂のようである。
 その空間の奥には扉がまた二枚あって、片方はガラス扉でその奥には外が見える。おそらくは外気浴のためのスペースだろう。そしてもう片方の扉の奥にあるのは、いよいよ本題のサウナである。
 その時背後の扉がガラリと開いた。見ればそこには不安げな顔をした若い男が一人。彼は恐々と扉を抜けると、キョロキョロと辺りを見渡し始める。
「すいません、もしかして初めてですか?」
 彼の様子と数秒前の自分の様子が全く同じだったために、俺は思わず声をかけた。すると彼は一瞬じっと俺の顔を見、ゆっくりと頷いた。
「なんか、ここのサウナはよく整うって聞いて」
「同じです! 俺もそう聞いて!」
 ほとんど裸の男が二人、わいわいとはしゃぎ合う。そして互いに同じ境遇を得た俺達は、それじゃあ行こうと共にサウナの扉を開けた。
 ぶわりと漏れ出した熱気に、触れた皮膚からは途端汗が噴き出る。重くまとわりつく熱気に身体を包まれながら、俺と彼は隣り合わせに座り、息を吐く。
「とりあえず十分くらいがいいって聞きましたよ」
 そう言って彼はサウナの壁にかかる時計を指さす。
 はじめこそ会話を楽しんでいた俺達だったが、すぐにその気力も失い、ただじっと俯きながら熱さに耐えるだけの状態に成り果てる。
 鼻や喉から体内へと巡る熱気が肺を熱し、内から更に更に汗を噴き出させる。ぼっーと見つめる時計の針は、どんどんと遅くなっていくように感じる。サウナの熱は時間の流れすら溶かしてしまうのかもしれない。
 これが果たして本当に「整う」に繋がるのだろうか? 今のところはただのサウナである。熱い熱い帰りたい。
「もう限界です」
 時計を見ればまだ五分。とはいえもうこれ以上耐えられる自信の無くなった俺は、隣の彼に話しかける。
 そして顔を上げた彼の顔を見た瞬間、俺はサウナの熱などどこへやら、寒気に身を震わせた。なぜなら彼の顔が、溶けていたのである。
「え?」
 どろりと柔くなった彼の輪郭の中で、同じように目や鼻や口がだらりと垂れている。
「……溶けてます。ねぇ、顔、顔が! 溶けてます!」
 まさかサウナの熱がそこまでの効果をもたらすとは。俺は彼に向かい、必死に叫ぶ。だがしかし、彼はしばらくその溶けた顔をじっと俺に向けると、俺の顔を指さすのだった。
「……あなたも」
 立ち上がり、扉の丸窓に僅かに反射する自分の顔をなんとか確認する。そこに写るのは俺の面影を僅かばかり残した、溶けた顔だった。
「嘘だろ」
 その時、丸窓の向こうからこちらに向かう大男の存在に気づいた。
 そして扉は開かれ、大男はむんずとサウナ室に入ってくる。
「ロウリュウと熱波を致します」
「ろうりゅう?ねっぱ?」
 すると大男は手にしていた桶の水を勢いよくサウナ端のサウナストーンにぶっかけた。その瞬間勢いよく熱気が立ち上がる。瞬きもせぬ間に熱気はこちらへと襲いかかり、俺達は歯を食い縛り、のたうつ。
 そして大男は両手でタオルを持つと、それを大きく上へと振りかざし、振り下ろす。熱波。熱の波、というより熱の塊が俺達にぶち当たり、あまりの熱に俺達は息もできず、だがそれでもなお大男は再びタオルを振り上げ、振り下ろし続ける。
 苦痛に歪む顔を互いに向け合う俺達。しかしあまりにも彼の顔は歪み、溶けすぎている。そして恐らくは俺も同じであり、また熱波を食らう度に、緩くなった俺達の顔はさらに歪んでいくのだった。
 俺は一瞬の隙を見、サウナ扉へと向けて駆けた。彼は置いていく。仕方がない自分の身が第一である。大男の傍をすり抜け、俺は走った。
 サウナ室の外の空気は、心地良いこと他ならなかった。  

 結局顔は溶けたまま、時間と共に再度固まり、俺はひどく醜い顔になってしまった。とはいえ仕事は休めず、俺を見る周囲の目は化け物を見るそれである。
「何があったんすか」
 高橋に呼び出され、俺は怒りに震えながら事の顛末を話した。あまりにも話が違う。俺は整うと聞いていたのに、これではあまりにも正反対ではないか。
「あの、水風呂ちゃんと入りました?」
「は?」
「溶けるんですよ、サウナですから。あんだけ熱けりゃそりゃ顔も溶けます。けどね、その後水風呂に入って引き締めるんです。そうするとスッとね、それぞれのパーツがちょうどいい位置に収まるんすよ。それで外気浴で最後しっかりと定着させる。そういう手順です」
「……それ早く言えよ! ちゃんと! ちゃんと言えよ!」

 俺は再び走った。
 だがその建物前で、俺の膝は崩れ落ちたのだった。入り口前に貼られた紙は、突然の廃業を告げるものだった。
「どうすんだよ俺の顔」
 俺は泣いた。何がどうして、こんな顔で今後を過ごさなくてはならないのだろう。俺だって、俺だってちょっとくらいマシな顔になって、ちやほやされたかった。
「隣町にあるよ、系列店」
「へ?」
 顔を上げると、そこには老婦人が一人立っている。
「ちゃんと整えば、人生楽しいから」

 老婦人に教わった住所には、確かにあのサウナ店とよく似たサウナ店が営業していた。
 俺は急ぎ、駆け込む。内部もあのサウナ店とほとんど変わらぬ様子である。
 受付に投げつけるように支払いを済ませ、半ば引きちぎるように服を脱ぎ捨てると、俺はサウナへと走った。
 水風呂の並ぶ大浴場を抜け、一目散にサウナへと入る。
 熱い。やはり熱い。だがこのくらい熱くなければ。俺は再びこの顔を溶かし、そしてようやっと水風呂で引き締め直すのである。
 もはや熱さなどどうでもよかった。この顔よ柔らかくなれ、もう一度溶けておくれと祈り続ける。
 途中入ってくる熱波師の熱波も、不思議なもので何も感じない。水風呂への期待感が全ての苦痛を溶かして消した。
 針の周りが十分を示すと俺はサウナ室を飛び出し、水風呂にざぶんと飛び込む。瞬間、全身を絞られるような冷たさが走る。同時にありとあらゆるものが引き締まってくれる感覚。
 そして水風呂を出ると、今度は外気浴へと向かった。

 結論を言えば、俺の顔は整わなかった。それどころか、元に戻ることも叶わず、どろりと溶けたままの形である。
 だが不思議と、そんなことはどうでもいいのだった。
 たしかに随分と顔が崩れたために色々な不都合は生じていたが、時が経てば誰しも慣れるもので、今や職場に関しては何の不便もなく、むしろコミカルな人間として、以前よりも受け入れられている気さえする。
 さらに言えばあれから彼女まで出来た。美人とは言えないだろうが、そんなのもどうでもいい。一緒にいて互いに穏やかな気持ちになれる、素晴らしいパートナーを得たと思う。
 そんな俺に後輩は言う。
「そのサウナって、外見じゃなくて、きっと内面を整えてくれるサウナだったんすね」
 随分と的を得た言葉に、俺はそうに違いないと思う。

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