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ショートショート『1000億本目の茶柱』

 茶柱が立つことはこれまでにも時々あったが、立った茶柱が喋りだすのは初めての経験だった。
「おめでとうございます! 1000億本目の茶柱です!」
 目の前の茶柱はひたすらにそんな言葉を繰り返す。
 理解の出来ない私が恐る恐る茶柱に問いかけると、当然のように茶柱は言葉を返してくる。
「待って、今聞こえてるこの声は、……茶柱?」
「さようでございます!わたくしは人類始まって以来、丁度1000億本目の茶柱です!」
 デパートでよくある来店1万人目のお客様的なことなのだろうか。そもそも1000億本というのが多いのか少ないのかもわからない。途方もない数ではあるが、人類がこれまで淹れてきたお茶の数を考えれば、1000億本目など少なすぎるのではないか。
「1000億本目を祝しまして、記念にあなた様の願い事を一つかなえて差し上げます」
「え、は、願い事?」
「なお、願い事を宣言する期限はこの茶柱が沈むまでです」
 あまりにも突然すぎる事態に私は混乱しながらも必死に頭を回転させ始める。願い事?だが突然そんなことを言われてもいったい何を?こういう場合はお金だろうか、けど一体どのくらい?1億や2億は流石に欲張りすぎか?いや、不老不死や超能力なんかでもいいかもしれない。けれどそれを手に入れて一体どうするのだろう。そうこうしている間にも茶柱はじわじわと沈んでいく。意外と茶柱の寿命は短いのだ。立っているとどこか幸運を感じる茶柱、もしくは茶柱が立っていれば幸運がやってくるのか。幸運だから茶柱が立つのか、茶柱が立ったから幸運なのか、ああ、どんどん混乱が絡まっていく。
「じゃ、じゃあ、とびっきりの運を私にください!」
すると茶柱は、「かしこまりました!とびっきりの幸運をあなたに!」と高らかな声を上げ、ゆっくりと茶の中に沈んでいった。

 それから幸運にまみれた夢のような生活が始まった。といえばそうではなく、むしろいくら待ってもこれまでと変わり映えのない普通の日々が続いていくばかりだった。
 ただしいて言えば、その日からやけに茶柱が立ちやすくなったのは事実である。
 お茶を入れれば百発百中で茶柱が立った。
 それも一本や二本といった話ではなく、四、五本は当たり前、さらには次第に十本、二十本と、とても信じられぬ数にまで増えていく。やはり茶柱=幸運という話なのだろうか、茶柱の幸運がさらに幸運の茶柱を呼ぶ。そんなループに陥っている気がする。
 だが茶柱の幸運は、次第に不運というか、日常生活への弊害を及ぼし始めた。
 お茶を入れた時以外にも茶柱が立つようになり始めたのである。
 夕食に味噌汁を作ればそこに茶柱、風呂に入ろうとすればそこに茶柱。どこから混入したか分からぬ茶柱が増殖する一方であり、それはもはや幸運とはとてもかけ離れた不安と恐怖である。もしかすれば知らぬうちに私の肉体から茶柱が噴出するようになったのかもしれない。
 また飲食店で働く私は、その勤務中ももれなくその被害を受けることとなった。
 お客様に出したお冷に茶柱が立ちまくるのは勿論、スープも運ぶうちに茶柱が立つ。熱々のハンバーグにすらニョキリと屹立している茶柱に気づいた時は流石に声を失った。
 散々な目にあった末にようやく家に帰り、息をつこうと入れたお茶に百本近い茶柱が立っているのを目にした頃には、もはや呆れて笑ってしまった。

 それからも日夜茶柱は立ちまくり、その数は日に軽く数千本は越えるほどだろう。
 親の顔より目にすることとなった茶柱には、今や何の幸福も感じない。
 そしてその時、私の部屋にはあの声が響いた。
「おめでとうございます!」
 それは紛れもなくあの茶柱の声である。
「待って、茶柱?え、え、どれ?どれ?」
 私の部屋には現在進行形で夥しい数の茶柱が立ち並び、そのどれが声をあげているのか判断が全くつかない。
「おめでとうございます! 2000億本目の茶柱です!」
 2000億本目という数字にも、何の驚きもなかった。何せこれだけ立ててきたのだ。その程度通過して当然だろう。さらには2000億本目ちょうどにまた私がぶつかるのも当然すぎるだろう。
 そして茶柱は高らかに言い放つ。
「2000億本目を祝しまして、記念にあなた様の願い事を一つかなえて差し上げます」
「じゃああんたら茶柱はもう二度と私の前に現れないで!」
 今度は一瞬たりとも迷わなかった。

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