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ショートショート『鈴の虫』

 朝になるともう、その鈴の音は止んでいた。昨日テントに引っ付き、盛んに鳴いていたそれを、私は日本から持ってきた荷物にたまたま紛れ込んでいたビニール袋の中に入れ、その鈴のような音色に耳を澄ませながら昨晩は眠ったのだった。

 動かなくなったその虫をしばらくじっと見、ビニール越しに少し突っついてみても、やはり鳴くことはおろか微塵も動きはしない。どうやら僅か一晩で死んでしまったらしかった。いきなり狭い袋の中に入れたストレスによるものだろうか、それとも口を強く縛りすぎたせいで窒息してしまったのかもしれない。

 その鈴のような鳴き声は、私に幼少期を過ごした田舎の夜を思い出させたが、その虫を鈴虫と呼ぶのは違う気がした。

 なにせ私の知っている鈴虫はもっと小さかった。また日本から遠く離れた熱帯の地であるこの場所に、同じ鈴虫がいるとはどうしても思えなかった。

 この地球上で現在確認されている哺乳類は約6000種、鳥類は約9000種、また爬虫類は約10000種であり、それらに対して昆虫類は約1000000種と圧倒的な数を誇るらしい。だからこの地で、日本ではとても見られないような昆虫と出会うのも、反対に日本で見られる昆虫と限りなく近しい昆虫と出会うのも、どちらもその総数を考えれてみれば全く不思議な話ではないのかもしれない。

 ゆえに鈴虫によく似たその虫は、決して鈴虫では無いのだろうと思った。それにその虫は私の知っている鈴虫よりずっと大きく、全長はその倍ほどあったのだ。だから私はその虫をひとまず心の中で、「鈴の虫」もしくは、「鈴虫のような虫」と呼ぶかで悩み、ひとまず前者を採用した。

 私がその地にいたのは、言語学の研究のためだった。言語学という言葉こそ広く知られた現在であるが、言語学自体はまだまだ未発展の分野であることは間違いない。現にこの地球上には、特に都市化のまだ進んでいない国や地域の奥や隅にひっそりと存在しているコミュニティでは、その内部でしか使用されていない、我々にとって未知の言語がまだ存在しているのだった。

 日本に僅かばかりいる言語学者のその端くれである私は、そんな未知の言語と出会うべく単身その熱帯の地を訪れていたのだった。

 言語学者というのはすべからず金持ちではない。通訳やコーディネーターを雇う金を惜しみ、また自分の若さに理由の無い自信ばかり持っていた私は、一人夜ごとにテントを張りながら、少しずつ熱帯の奥へと進むという無謀な方法を取っていたのだった。

 森や茂みの傍らに広がる、僅かに拓けた草原にテントを立て、眠る。勿論獰猛な肉食獣やまともに意思も通じぬ強盗に襲われる恐れもあった。だがその時の私はなぜか自分の運にも絶大な信頼を置いていたのだった。

 そしてその音に気づいたのは初日の晩だった。一瞬テントの向こうが慣れ親しんだ故郷ではないかと錯覚するような、懐かしい鈴虫の声。テントをめくり、そこに張り付いていたその鈴の虫を捕まえたのは、初日ながら湧き上がってくる日本へのホームシックを、和らげるためだったのかもしれない。

 そして今、袋の口を開き、鈴の虫の亡骸を摘み上げると、僅かにチリリと音が鳴った。まだ虫の息が残っていたのかと、手のひらに乗せてじっと見つめてみるが、やはりもう触覚の先すら動かしてはくれない。私は優しく手で包んだそれを軽く振ってみる。するとまたチリリと鈴の音が響く。

 日本の鈴虫は、高速で羽を動かすことでその音を鳴らしているらしいから、いくらその身体を揺らせど鳴ることはない。だからやはりその点に関しても、鈴の虫は鈴虫では無かった。どうやら鈴の虫は羽ではなくて、その身体の内部にある何かを鳴らす仕組みらしい。

 何度か揺らし、その音が鈴の虫のお腹辺りから鳴っていることを確かめると、私は両手で鈴の虫の上半身と下半身を摘んで、少しずつ力を込めてみるのだった。

 ミシミシと外骨格は裂け、するとその下腹部からポロリと、小さな白い玉が転がり出てくる。そしてそれは同時にチリリンと音を鳴らした。間違いなくそれが鈴の虫の、鈴の音の正体だった。

 その玉を拾い、丹念に観察してみる。その表面は艶やかで、真珠のような輝きを私にみせる。まん丸いそれは硬く、殻のようになっているようで、内部にまた一回り小さい玉が入っていることで鈴の構造を成しているらしい。

 摘んだ鈴を耳元で振る。チリリンとまた鳴ると同時に、その鈴から豊かな香りがすることにも気づく。鈴を鼻先に近づけ、嗅いでみるとそれは日本でいうお香に近い。

 それから私は出発も忘れ、その鈴を眺め、振って音を楽しむことに意識も時間も費やした。まるで精巧に出来た装飾品のようなそれが、昆虫の体内で作り上げられるという生命の神秘を、じっと眺め、聴き、感じ、考えるのだった。

 またそれと同時に私の内部では、一つの悪心が育ち始めているのだった。

 昨晩テントの中で一匹の鈴の虫の音を聴きながら、その奥で、テントの周囲でまた響く他の鈴の虫達の音も私はしっかりと耳に捉えていたのだった。

 結局その日私は自分の研究も一旦横に置き、一切の移動もせず、その場所にとどまることを決めたのだった。夕方までの時間は鈴の音を聴いていればあっという間に過ぎた。そうしてまた私はその心地良い鈴の音の価値を、確かに感じるのだった。

 夜と共に鈴の虫の音が聞こえ始める。私はそれを合図にテントを出ると、その音を頼りにしながら茂みの中に足を踏み入れ、手を突っ込んでいく。もう片方の手にはビニール袋が握られており、私は見つけ出し、捕まえたそれを片端から袋の中に入れていく。鈴の音は確かに綺麗で素晴らしいものだが、とはいえそれは追っ手に居場所を知らせる馬鹿な獲物と同じことなのだった。まさに入れ食いとも言える状況で、袋の中にはみるみるうちに大量の鈴の虫達が溜まっていく。鈴の虫達は暴れ回り、互いに反響し、ぶつかり合った鈴の音は不協和音を醸し出し始め、不快ではあったが、それくらい少しばかしは我慢しなくてはなるまい。何せ金のためだった。要はこの鈴をありったけ日本に持ち帰り、売れば、ある程度まとまった金を手に入れることが出来るのではないかと私は考えたのである。これは金に困った学者が見つけた、千載一遇の好機に思えた。

 テントに帰り、口を塞いだビニール袋の中で鈴の虫達の窒息を待つ。最後の抵抗とばかりに鈴の虫達は暴れ続ける。私は待っているのもなんだと、拳を振り上げ、袋の上から鈴の虫達を叩いていく。鈴の虫の中にある鈴は硬いから、それくらいでは壊れはしない。むしろ鈴の虫達の外骨格をさっさと壊し、殺してしまうのが目的である。そして少しずつ次第に、遂には袋の内側で動く気配が消えた。

 袋の口を開けると、粉々になった鈴の虫達の破片の中に、煌びやかな白い鈴の玉が点々と光っている。私はそれを丁寧に拾い上げ、テントの隅にそっと並べると、再びテントから出て鈴の虫達をまた捕まえに行くのだった。

 音を頼りにその鈴の虫の体を掴んでいると、時々二匹同時に掴むことがあった。おそらくは交尾の途中だったのだろう。そしてテントへ連れ帰り、鈴を取り出す過程で、私はようやく気づいたのだった。オスはその鈴を持っておらず、総じて鈴を持つのはメスだけだった。

 考察するに、その鈴の音はオスを惹き寄せるためのものだったのだろうと私は考えた。日本の鈴虫はオスが羽を鳴らし、メスにアピールするから、丁度その反対の関係性になっていることになる。またきっと、お香のようなその香りも同様にオスを惹きつけるためのものなのだ。そして一つ一つは僅かな香りであれ、山のようになったテントの中の鈴達が今や強烈な匂いを発しているということに、その時まで私は気づいていなかった。
 バチン、パチンとテントの外面に強い雨が当たるような音がしたかと思うと、それは一気に強まり、バチバチバチとゲリラ豪雨のような勢いでテントは四方八方から叩かれ、揺れ始めた。

 何事かと私がテントの入り口を開いてみると、その隙間から途端一気に雪崩れ込んでくるのは、鈴の虫のオスの、その夥しいほどの大群だった。

 その光景に叫び声をあげるが鈴の虫達が聞いてくれるわけもない。視界中、私の体中、テント中を鈴の虫達は嵐のように飛び回る。それらから鈴の音は聞こえないから、やはり鈴の匂いに惹きつけられたオス達が大群を成してやってきていたのだった。私は顔を伏せ、彼らがどこかへと再び飛び去ってくれるのを待ち、耐えるほかなく、短絡的な金儲けを企てたことをようやく反省するのだった。

 鈴の音の代わりにオス達は、ビュッ、ビュッ、と盛んに音を出した。私の体に何かがかかる気配がする。オス達は飛び回りながら体液を吐き出しているらしかった。それは毒かもしれぬが、私は背中を丸め、それが皮膚にかからぬように必死に耐え忍ぶしかない。そして永遠のような数十分が経った頃だろうか、ようやくオス達は去ってくれたようで顔を上げると、テント内には僅かばかり残ったオス達と、その体液に濡れた私やテントの床や、そこに散らばった鈴があるのだった。

 拭くものも持っていなかった私は、ひとまず鈴を濡れたままに袋に詰めるとその口をしっかりと縛った。もうその匂いが僅かにでも外に漏れぬように。

 そしてオスが吐き出していったその体液が、精子だったということに気づいたのはそれからしばらくが経ってからだった。

 メスの持つ鈴はいわゆる無精卵で、オスの精子がそこにかかることで、それは有精卵の形へと変わる仕組みなのだった。要は海のサケなんかと同じ仕組みである。

 そのことに気づけなかった私が、袋の中で次々と孵化が始まるその光景を見、再び叫び声をあげたのも、当然の成り行きだった。

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