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未知

こんばんは。
16時になるともう、外が薄暗くなる時期になりました。
秋から冬にかけての肌寒さと空気の色って
少し寂しい気持ちになります。

辺り一面真っ白な冬の方が、
こういった寂しさが少ない気がします。

今日は「自分を愛すること」について書きますね。
一言で自分を愛するといっても、
これってすごく難しいことだと思うのです。

「自分のことがとても好きです」という言葉を発することは簡単です。
口をそう動かすだけでいいのだから。
しかし「好き」ってどういうことをいうんだろう。

結論からいうと、
私はあと少し、あとほんのもう少し、
もう喉のところまで来ている、くらいの感覚で、
実際まだそれが実現されてはいません。

以前の記事を見てくださった読者さんはまた同じ内容になってしまいますが、初めて見る読者さんの為に再度書きますね。

つい先日、退職を前提にお休みを取ることとなり、
今日は「休職」をすることが正式に決まりました。
休職と聞くと、職場に復帰するのかと思われる方もいらっしゃると思いますが、復職の考えは一切ありません。

理由を挙げたらキリがありませんが、
一つハッキリと言えること。
「自分が一番輝く姿を想像出来てしまったから。」

職場に行けなくなった次の日
私はいつもの休日のように、ノートパソコンと勉強道具を詰めたカバンを持ってカフェに向かおうとしたとき、玄関の扉に映る自分の姿を目にしました。
「あ、これだ。」

到底納得することの出来ない勤務時間や業務量のせいで、
出勤、退勤する時の自分の姿というのは決して、自分が望んでいた姿ではなく、それなのに毎日早く出勤して遅く退勤する。
職場では耐え難いストレスに耐え、
それは院に進学するためだと自分に言い聞かせて意志をコントロールして。
意志のコントロールはもちろん大事なことではあるけど、
身体が意志についていっていないのであれば
それは単純に身体に負荷をかけているだけになりますよね。
私は知らずのうちにそれをしてしまっていて、
結果的に半年のうちに
自分の心にすごくすごく、酷いことばかりしてしまいました。

休職をしてから心や身体に大きな変化があったかというとそうではなく、
ふと動悸が襲って来たりめまいがしたり、
職場に行かない選択をしてから毎日頭痛薬は必須になりました。
それだけ自分に無理をさせていたことが今になって悔やまれる。

後悔というのは、自分の幻想の中で自分の可能性に浸っている行為に過ぎないと思うのです。
だから、もうどうにもならないことを、頭の中でどうにかしようとして、
でもそれって一時的な安心感は得られるけど、その安心感が現実の何かを変えてくれたかというとそうではない。
私は後悔が嫌いです。
後悔という行為が嫌いなのではなく、悔やむ気持ちを脳内でどうにか良い方向に持っていこうとする行為が嫌いです。
でもしてしまうのが人間だと思いますから、すごく矛盾しているけど・・・

で、本題に戻ると、
ノートパソコンを持って、勉強道具がぎゅうぎゅうに詰まった重いカバンを持つ自分の姿が本当に本当に魅力的だと思った。
かわいいとか、素敵だとかそういう言葉とはまた違う、
これだ!っていう。
自分らしさという言葉が一番近いのかな?

社会人生活の中でどれだけ連勤をしても、
どんなに嫌なことがあっても休日は必ず勉強しにカフェへ出かける。
勉強している時間が本当に楽しくて、
そして自分が一番自分に偽りのない状態でいられるのがその時間だった。

そんな自分の姿を見て強く思った。
「ずっと考え、書く人、話す人になろう」

一生学生気分でいるな!というシーンをドラマで見たことがある。
一生学生気分でいることの何が悪いかが分からない。
その年相応でTo do listでも決まっているんだとしたら、
私はそういう生き方はしないなあ。

何歳で結婚するのがベストだとか、
子どもは何歳で考えるのが身体のためだとか。
それは一体誰の基準なんだろうって、すごく思います。

今日「幸せになる勇気」という本を読みました。
難しい内容が対話形式で書かれているのでわかりやすいかと思ったけど、
3時間かかりました(笑)
私って本読んでる最中に全く違うこと考える癖があって
それなしにしたらもっと早く読めるんだろうけど(笑)

やっぱり内容が哲学の専門的なものが多くて
全部に共感ということが出来なくて、
私はそう思わないという項目もあった。

だけどすごく自分にとって新しい考え方になったことも幾つかあって。
読み終わって思ったこと、
「周りが何と言おうと、その選択の責任の所在は自分」
「他人にこう思われたい等の欲求を排除するところから始める」
「可哀想な自分、他の状況だったら今こうなっていないはず等の考えは、今の自分に満足していないから。」
「〇〇だったら△△なのになあという考えや悔しさは煩悩だけどそれを解消するためには今の自分が理想の自分に一歩でも近づく必要がある」
「可哀想な自分を他の人に吐き出すことで一時は楽になるけれど根本的にその感情を解消できるわけではない。話すよりも自分が自分に深く向き合って、感情を全部受け入れてあげることをしないことには自分を愛すということは出来ない(かといって話を聞いてもらうっていう行動が意味を持たないわけではなくて、根本の解決には自分が一番に向き合うことが必要)」

自分がなりたい姿を想像することは容易だけど、
そうなるためにしなければならないことを、
毎日の生活に取り入れて積極的に実現させようと心掛けることが一番に難しいことで一番の課題だと感じる。

「ああ、自分って今どこに向かっているんだろう。」とか、
「この先どうしたらいいんだろう。」とか。
そういった考えで暗くなってしまっては未来の自分に申し訳ない。
もちろん精神的に苦しくなってしまったり、
先の不安につぶされそうになる時があってもいい。
ただその不安の中に居続けてしまうのは過去の自分の勇気ある行動や努力に対して面目がない。

過去の自分より今の自分が目標に一歩でも近づいていること、は
私が今まで常に意識していたこと。
今まで人に対しての負けず嫌いの感情が湧いたことがない。
なんで悔しくないのか考えたら、
いつも昨日の自分が比較対象だったから。

昨日の自分はこうだったから、
だから今日はこうしよう!
毎日の日記にはいつもこういう反省欄を作っていました。
これは今も。

もう進むところが明確に見えてきた気がする。
でも今の自分に必要なのは明確な場所じゃなくて、
自分の気持ちに嘘偽りのない選択。

自分のことを愛すこと、
自分のことを信じること、
今までこれが出来ていたかといえば全くそうではなくて。
遅くなってしまったかな?と思う必要はなくてこれから、
これから本当の意味で自分を愛して、
自分の思考を愛して、自分の思考を信じること。

未知な道が一番苦しくて
未知な道が一番に綺麗だ。

もう2700文字も書いていたようです(笑)
今日はここでおわり!
最後まで読んでくださってどうもありがとう✨

素敵な夜になりますように。






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