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『勝ち組』から『幸せ組』へ

 家庭に仕事は持ち込まないと決めたのは、子供が産まれたからだ。家に帰って、仕事での楽しかった話とかを口にするのは良いと思うが、愚痴を言うのは出来ればしたくない。
 今日死んでも良いように生きたい。私は、悔いのない命日を過ごしたい。だから、家に帰ってまで忌み嫌っている人の話なんかしたくない。そんなことに一秒たりとも消費したくない。家では、家族か自分の為に時間を使いたい。
 負の感情を言葉にして吐き出した時、私の中に邪悪なものが渦巻いていく。それを溜め込むつもりはない。幸せで上書きし、楽しさや嬉しさなどの正の感情で心身を満たしていく。
 私は幸せだ。そう毎日思っている。だから私は、幸せ組である。
 金持ちという意味での『勝ち組』ではないが、精神的な豊かさで至福に達した者。それが幸せ組である。
 理不尽な社会において、『勝つ』とは、悪になるという事だ。
 事件や事故の被害者ばかりが苦しんで、加害者はのうのうと生活して、笑顔になっているのが苦しかった。こんな世界であるべきではないと、そう思った。
 苦しむべきは人を傷つけた側であって、傷付けられた側であってはならない。心の底からそう思うが、納得できない事もあるのが世の中だ。
 私は、幸せになりたい。勝ちたいんだ。その為には悪になるのも致し方ないだろう。私も散々、数えきれない程の苦難に悩まされてきたのだから。
 沢山の人を不幸にしてきたし、幾らも傷付けた。他人に迷惑をかけてでも、幸せを奪うしかなかった。悪党と善人の狭間で葛藤した。邪悪な手段を選んででも、己の幸福を優先する。愚行権の範疇を超えた言動は幾多数多。私は幸せ組になる為に、我が儘に生きると決めたから。
 そんな事を他人に言いふらしたら、「それで本当に幸せなの?」なんて訊きそうだ。もしそう言われたなら、こう返事しよう。
 「もちろん。私は幸せで満たされている」
 他人がほざいている事なんて、本当は気にしたくないんだ。有象無象の戯言に耳を傾けたくない。自分にとって何が幸せで、それを得る為にはどうしなければならないのか。その点を意識して生活する。ただそれだけの事。その為に人生を歩んでいる。
 この道の最終地点は『死』なんだ。いつ死ぬかわからないっていうのに、悪口や陰口なんて聞いてられるか?
 他人の評価なんてどうしようもないんだ。どうにか出来るのは、己の事だけ。じゃあもう自分の事を重視して、他者を軽視するしかないじゃないか。
 自分勝手だとか好きなように言えばいい。どっかの誰かがぴーちくぱーちく言っている間に、私は幸せになっている。
 私は、勝った。

 人の目を気にしている限り、本当の幸せは掴めない。幸福は自分の中にある。

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