JW501 強者を求める詔
【垂仁天皇編】エピソード30 強者を求める詔
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
紀元前23年、皇紀638年(垂仁天皇7)7月7日。
ここは、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)。
久米押志岐毘古(くめ・の・おしきびこ)(以下、オシキ)と、大伴武日(おおとも・の・たけひ)が、命をかけて戦いたいと願う、当麻蹶速(たいま・の・けはや)を連れて参内(さんだい)。
垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)は、面倒くさそうに尋ねるのであった。
イク「どうしたの? そこの獣(けもの)みたいな男は、何なの?」
オシキ「はい。この男、当麻邑の当麻蹶速と申します。『ケハヤ』と呼んでほしいっす。」
ケハヤ「お初にお目にかかりまする。我(われ)は、命がけで戦いたいと思うておりまする。」
武日「そこで、大王に御願いが有るっちゃが。『ケハヤ』に並ぶ力持ちを探してほしいんやじ。」
イク「ところでさぁ、当麻邑って、どこになるの?」
オシキ「えっ? そこが気になるんすか?」
ケハヤ「当麻邑とは、二千年後の奈良県は、葛城市當麻(かつらぎし・たいま)になりまする。」
イク「ところでさぁ、『記紀(きき)』では、ある者が大王に言ったと書かれてるんだけど、どうして『オシキ』と武日が言ったことになってるの?」
武日「えっ? そんげなコツ言われても、この物語では、そういうコツになってしまったんやじ。」
オシキ「とにかく、強者(つわもの)を求める詔(みことのり)、出してくださいよ。」
イク「僕には分からないな・・・。死んじゃったら、膝枕(ひざまくら)もしてもらえないんだよ? 家族が悲しむんだよ? 本当に、それでいいの?」
ケハヤ「膝枕? ご案(あん)じめされまするな。我(われ)が勝ちまするゆえ・・・。」
イク「(´Д`)ハァ…とにかく『記紀』に従えばいいんでしょ? 詔を出せばいいんでしょ?」
こうして、強者を求める詔が発せられたのであった。
そして、大倭市磯長尾市(やまと・の・いちしのながおち)(以下、イッチー)が、報告に来たのであった。
イッチー「エピソード484以来の登場やに!」
イク「そんなことより、誰か見つかったの?」
イッチー「はい。出雲(いずも)に、野見(のみ)という御仁(ごじん)がいるみたいやに。この者と『ケハヤ』を戦わせてみてはどうかと、思うちょります。」
イク「なるほど・・・。『記紀』では、ある者が言ったと書かれているわけだけど、この物語では『イッチー』が言ったことになっちゃったんだね。じゃあ、言い出しっぺの『イッチー』・・・。」
イッチー「はい。」
イク「汝(いまし)を出雲に遣(つか)わそう。よろしく頼むよ。」
イッチー「うちが使者となったのは、台本通りやに。すぐに召(め)し出して来るっちゃ!」
こうして、出雲より、野見が召喚(しょうかん)されたのであった。
野見「我(われ)が野見にござりまする。出雲国造(いずも・の・くにのみやつこ)の息子とされておりまする。」
イク「えっ? 出雲国造の息子? それって、鸕濡渟(うかずくぬ)こと『ウカズ』殿の子供ってことだよね? じゃあ、汝(なれ)は、次の出雲国造となった、襲髄(かねすね)殿ってこと?」
野見「同一人物という説も有りますが、この物語では、別人ということになりもうした。」
イク「そ・・・そうなんだ・・・。」
こうして、当麻蹶速の対戦相手が見つかったのであった。
そして、それから数日後・・・。
ここは、弓月岳(ゆつきがたけ)。
二千年後に、穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)と呼ばれる社(やしろ)。
この地で、当麻蹶速(たいま・の・けはや)と出雲野見(いずも・の・のみ)の相撲(すもう)大会が開催された。
「イク」は、大臣(おおおみ)の尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)と共に解説をおこなうのであった。
つづく
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