かんかん

思想、山登り、レモン、銭湯、人、お酒の雰囲気、が好きです!

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最近の記事

塩尻滞在記 vol.0

最近まで新規事業(今回は移動販売事業)の実証実験をすべく、数か月にわたり通い詰めた(最後1か月半は住み込み)「長野県塩尻」での体験が本当に素晴らしかった。ので、 素晴らしかった要素を以下に書き出します。 ・本気で事業に対して考えたこと 社会性と事業性を如何に両立するのか、会社としての事業の意味は何なのか、更には自分の会社での役割は何なのか、日々日々先輩たちと、一緒に事業をしている方々と真剣に考え続けたこと。 ・自分に向き合ったこと 足しげく、信州健康ランド(地元のおじお

    • とか言って化粧しててほしいんでしょう?

      "あなたは本当は化粧をしたくないですか?" と英会話の先生に聞かれたのだが、どうも返答に困る。 まあ、何にも外見など気にしなくて良い世の中なのであれば、 即答で"したくないです"と答えると思うのだが、 利点込み込みで考えてしまえば、"したいです"と答える。 とりあえずの答えとして "化粧は本当はしたくはないけれど、 自分の利益のためにし続けると思います" と答えておいた。 "女性は化粧をする必要があると思いますか?" という質問に対しては即答で"No"と答えるが、 この

      • 「人への思いやり」に惹かれたり、萎えたりする

        程度の低い人間とはなんなのか。 命の重さに優劣はなく、上も下も存在するわけがない。 一人一人が良くて、そこに対して、価値判断は必要ない。 それぞれの人が完璧な状態であって、素晴らしい。 私だってそう思いたい。 自分の思想がどうかと聞かれれば、上記のように答える。 人の中に優劣はないと。 でも、私は自分が、ひどく程度の低い人間に思えてならない。 「人への思いやり」が私は、人として何よりも大切だと思っている。 だから、知らず知らずに、それを持って人を測ってしまうんだ。 人

        • 愛しているの重量感

          私は"愛している"と行ったことは3度ほどしかなく、 かつ、一人にしかない。
 私にとって、愛している、は重量感があり、 
簡単に言葉にできるものではない。 
だが、その言葉をもっとさらっと使ってみようか、
 って気持ちになって書くnoteがこれである。
 とりあえず、愛している、色々と。 初めて愛していると言った日初めて、愛しているという言葉を使ったのは、 19歳の春で、
1年間留学のために会えなくなる彼氏と、
 最後の夜にセックスをしている時に使った。
 これまでにないほ

        塩尻滞在記 vol.0

          今年の夏の私

          なぜだろうか、毎年、夏はこんなにも楽しい。 夏が好きだ。 今年の夏は、「豊か」と表されるような生活だったように思う。 鎌倉に部分移住をしてみた。 海と山がいつでも近くにあって、 少し自転車でこげば自然にどっぷりとつかれる。呼吸をしていた。 汗ダクダクの山の中で光る木漏れ日は美しい。 夜10時すぎ、友達との待ち合わせのために、自転車をこぎ、 湘南の海の沿岸沿い、夏の生ぬるい、けど心地の良い風を切る、切る。 夜はこんなにも美しい。 リモートワークを3つしてみた。 1週間で3

          今年の夏の私

          創造

          仲良しの美大生の男の子に、 商品化も検討している作品の説明文を見せられた。 その文章は彼のその時の関心であったデザインとファインアートの関係についてのもので、まあ、興味深いものであった。 感想を求められ、自分なりの解釈を加えた後に、 「もし、これが人に何かを伝えたい文章なのであれば・・・」 と、商品化するのであればと、 一部彼の表現的に伝わりにくいところについてアドバイスしようとした。 「それだから、君はつまらないんだよ。 僕はそんなことが聞きたいわけじゃない。」 普段は穏

          気だるさと、チルの解剖

          なぜもこう、「気だるさ」というのは かっこよさというか、チルを演出してくれるのか。 私の好きな曲に、くるりの「琥珀色の街、上海蟹の朝」がある。 歌詞、曲調、PVなどなどシャレ散らかしているのだが、 何がこんなに惹かれるのか。 Suchimos、iri、Indigo la endなどなど、 いわゆる正統派な感じではなく、 湘南とかでいい風ふかしてそうな、ちょっとだけタイムスリップしたような 雰囲気を醸し出す歌手のチルさ。 だいたい女性が惹かれちゃうのも、 気だるい男なのだ。

          気だるさと、チルの解剖

          就活後のリアルな感情へ、 どろっと

          先月、全ての選考が終わり、就活生ではなくなった私だが、 内定先のうちどこに行くか未だ決められずにいる私は きっと就活生(居残り)なので、この気持ちがなくなる前に 書きとめよう。 最初に書いておくが、この記事はもしかしたら 就活生や企業の人事の方、選考に関わっている人にとって 不快かもしれない。 言い方が傷つけたりするものであったらごめんなさい。 全ての選考が終了した翌日の6月7日、私は どうしようも無い虚しさで泣いていた。 まあ、たまにある悲劇のヒロインモードになっていた

          就活後のリアルな感情へ、 どろっと

          誰かを傷つけたいという衝動

          誰しも、本当は心の何処かにあるんじゃないだろうか。 誰かを傷つけてしまいたい、と思う時が。 そんな心の動きはなんとも虚しく、黒く、「良くない」ことで、 そんな感情からは目をそらす。 人に優しく、愛を持って、楽しんで、穏やかに。 そんななんともピースフルな感情こそが美しいとされるから。 誰かを知らず知らずに傷つけることはあれど、 「誰かを傷つけたい」という衝動のもと、動くことは そんなにないのではないだろうか。 けど、確実にあるこの感情。 他の人の心を覗いたわけではないから

          誰かを傷つけたいという衝動

          コロナストレスって知らない間に溜まってそう

          夜になる。 なんだか何もしていない今日。 いや、そんなこともないんだけど。 今日は面接(しかも最終)が二つあったし、 そのためのプレゼン資料も作ったし、 そのあとは二時間懇親会に出たし、 10人以上にメール返したし、 Amazon primeで映画も見たし(おもんなくて20分でやめた)、 履歴書作ったし、 友達に電話したし。 これら全部、パソコンの中。 いやはや、それは疲れるわ。 とか言ったら、パソコン仕事メインの皆さんからはツッコミ入りそう。 上のは合計せいぜい8時間くら

          コロナストレスって知らない間に溜まってそう

          丁寧な食事 @コロナ

          三食、手作りの食事を食べ続ける、 という体験は思えば、記憶がある中で初めてのことである。 小さい頃から親の仕事が忙しく、インスタントで済ませていたり、 学校でも購買のパンがほとんどだったりした。 一人暮らしやシェアハウスをしていた大学生時代も、 忙しなく動き回っていた私は外食が多かった。 小さい頃、よく家の家事をしていたし、 手作りの食事は大好きなので、料理はできる。普通に。結構。 ただ、その工数を考えると、趣味れb流とかになることもなく、 毎食きちんと作りたいとは思わな

          丁寧な食事 @コロナ

          幸せをいつ感じるか

          私は瞬間に感じる。 インドに行った時にボロボロのバスにおばあちゃんとぎゅうぎゅうになりながら乗って、 窓から差し込んだ光が、空に舞う小さな葉を照らした瞬間に。 シェアハウスでみんなでご飯を囲む時に誰か吐露した言葉に対してふと 「ああ、この人のこと好きだな」とジンワリ広がる瞬間に。 転校する時に友達が近所のカラオケで歌ってくれた「旅立ちの唄」を聞いた時に、 感情を自覚するより先に涙が溢れた瞬間に。 瞬間に対して感じて、自分の感情を捉えてなんて幸せなんだろう、と思う。 日々

          幸せをいつ感じるか

          希望につりあわぬちっぽけな私

          こんなにも小さな私に何ができると言うのだろうか。 思い上がりばかりで、ちょっとやそっとの能力を持った気になっているかもしれないが ふと現実に触れた時には心が折れるどころか、 ぎゅっと縮まって小さくしぼんで消えて無くなってしまいそうなくらいなのに。 そうやって自分がちっぽけであると思い知り、 だんだんと、夢も希望も抱かなくなるのだろうか。 自分の周りの小さな幸福のかけらの価値を知ることは尊く、そんな感性を持つ人に憧れるし、私もそうなりたいと思う。 けれど、小さな幸せをあ集め

          希望につりあわぬちっぽけな私

          祈ること、忘れないこと、生きること

          眠る前に、これまで身近で亡くなった人たちの顔を思い出しながら祈る。 祈る、というか、感謝と愛を伝える。 (忙しさにかまけてできない日もあるが) 「おばあちゃん、今日も大好きだよ。 おじいちゃん、今日もあなたの好きな花を見つけました。 じいじ、今日もありがとう。 おばさん、そちらではお元気でしょうか。 、、、」 10名くらい。 そのあと、家族や友達、お世話になった人に祈る。 私には宗教はない。だが祈る。 神に祈るのではなく、私の世界を構成してくれている存在に祈る。 忘れぬ

          祈ること、忘れないこと、生きること

          人って本当に必要なの?自分で世界は完結しないの?

          人には人が必要なのだろうか。 人という字は、人と人とが支えあってできている、人が関わり生産したものに囲まれている現代で繋がりなしでは生きられない、 そんな風に言われているとごく自然に、人には人が必要だと思います。 でも本当にそうなのでしょうか。 私自身、人一倍、情に熱いタイプで、愛情深さもあると思います。 でも、結論から言うと、人には人の存在が必須ではないと、私は、思うのです。 人との繋がりとは、私たちを何よりも豊かにしてくれるものであって強制されるものではないと思うの

          人って本当に必要なの?自分で世界は完結しないの?

          己の誠はどこにある

          今日は、技術の発展により、人の行動範囲は広がり、物資は溢れ、 多様な生き方が増え続け、私たちは皆、たくさんの選択肢を持つようになった。 本当にそうだろうか? 選択に溢れすぎて、選択疲れした私たちは、 どこか他人に結局追従していないだろうか。 インターネット始め情報が広く出回りやすくなったせいで他人と比較して 「王道」を通るように結局思考が囚われていないだろうか。 資本主義が出回ってなんでもお金ベースで考えるようになって むしろ画一化した人間像が生まれてやいやしないだろうか。

          己の誠はどこにある