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己の誠はどこにある

今日は、技術の発展により、人の行動範囲は広がり、物資は溢れ、
多様な生き方が増え続け、私たちは皆、たくさんの選択肢を持つようになった。
本当にそうだろうか?
選択に溢れすぎて、選択疲れした私たちは、
どこか他人に結局追従していないだろうか。
インターネット始め情報が広く出回りやすくなったせいで他人と比較して
「王道」を通るように結局思考が囚われていないだろうか。
資本主義が出回ってなんでもお金ベースで考えるようになって
むしろ画一化した人間像が生まれてやいやしないだろうか。
本当に私たちは多様になったのだろうか。
むしろ似たような人間が大量に発生してやいやしないだろうか。
かく言う私も、自分の思考が他人に似通っていると
どこか残念に思うことがある。
あまのじゃくなだけかもしれないけれど、
ありきたりな思考になっていないか気にする。
こんなことを感じること自体がかなり強烈に他者を意識している。

こんなにも分かり合える僕ら、分かり合えない僕ら

私の専門は途上国開発と呼ばれる領域に近く、
アフリカやらインドやらバングラデシュあたりで暮らしていたりする。
ど田舎のコンクリートの上で寝たり、電気もトイレもない村奥にいたりしたわけだが。
そこには教科書ではかわいそうな人として接されている
物乞いをしている人だったり、日々一食も食べられないような人がいたりするのだが。
想像以上に私たちは同じ感覚を共有している。
(日本人より確実にツボは浅いが)彼らが喜びや幸せを感じるポイントも、
悲しんだり怒ったり、私たちが共有する感覚は想像以上に多い。
いかに私が偏見を持った人間かが露呈する発言でもあるが、
「みんな同じ人間である」ことを切に感じる、触れるたびに。
こんなにも国も住んでいる環境も言語も違っても僕たちはこんなにも
分かり合える可能性を秘めている。

それなのに、こんなにも分かり合えない。
戦争もテロも紛争もなくならない。
日本で同じ人種だったとしても、他人は電車ではおしのけ、
友人の成功をどこかで妬み失敗を密かに喜び、
恋人になったって価値観の違いとやらでいとも簡単に傷つける。
自分自身をわかってもらっているという感覚も無論、薄い。
こんなにもわかり合うことは難しい。
それぐらいに私という人間は複雑で、他者とはこんなにも違う。
画一化なんてとてもしきれない。

「普通なんて言われたくない」「飛び出すのは怖い」

小学校、中学校、高校、大学。わりと「普通」な感じ。
ちゃんと列にも並ぶし、突然大声も出さないし、課題もちゃんと提出する。
普通。
でもどうにか普通じゃないようにいつももがいている自分がいる。
どうにか自分という特別を確立しようとする。
そうもがいていること自体が、
自分を認めてあげられないありのままを浮き彫りにもする。

でも、飛び出して、お金が稼げなくて、貧しくなったらどうしよう。
散々失敗して自分の能力の低さに気づいたらどうしよう。
プー太郎になって周りに見捨てられたらどうしよう。
なんて思って飛び出すのもそれなりに怖い。

こんなにも複雑な私

たくさん考えてきた。感じてきた。話してきた。笑ってきた。泣いてきたし、歌って、走って、書いて、読んで、紡ぎ続けてきた。
その私の思想も感性も誰かに説明する必要はないほどに本当は絶対的で、
説明できるほど単純ではなくもっと複雑でいて、
それでいてまだ見つけられていないだけで内にある軸が
スッと入ったきっとシンプルなものでもある。

ガツガツしていてさっぱりしているくせに、ネチネチ考える癖がある。
理屈っぽいくせに、衝動で動く。
人の心に寄り添う優しさがあるのに、人を傷つける言葉を使うことがある。
好奇心旺盛で広く浅く飛び回るくせに、
恋愛や本当にやりたいことは熱しにくく冷めにくい。
人間が大好きで一緒にいたいのに、ずっと一緒にいると離れたくなる。
繋がっていたいが、繋がり続けるのは苦手。

こんなにも複雑な私は、他の誰ともにつくことはない。
これが私だけでないことは容易に想像がつく。
隣の席に座っているギャルも、今日の昼に面談であった爽やか兄さんも、
コンビニの眠たそうなおっちゃんも、やたら電話かけてくる私の母も、
抱えきれないほどに複雑で、「似ている」なんて言えない、きっと。

己の誠はどこにある

社会から解き放たれた精神を持つことが「自分」であるとは思わない。
私たちは繋がり合わずにはいられないほどに不完全で脆いから。
自分を絶対化するほどに、己の誠が垣間見える予感はする、今のところ。
自分を絶対化するってのは、
思想と感性を広げて深めていくことだと思っている。
私は複雑で、これでいて美しくもあるが、本当にまだまだ浅い。
簡単に他の人のことを気にしちゃうし、自分の感じたことを疑うし、
サボりぐせはなんでこんなにも治らない。
そんな簡単に私の誠は見えない。
あなたの誠もまだ見えない。
毎日、命を燃やすつもりで、考えて考え抜けるように日々を過ごしたい。
それでいて豊かな時間をフラフラと過ごす感性を持ち合わせていたい。
そのバランスなんて関係ないほどに、自分の好きに向かっている
自分の脳みそがスパークする瞬間を自分のために紡いであげたい。
まだまだ見えぬ、己の誠を求めて、もっと自由でありたい。
と、信じたいだけかもしれない、けどそれも考えていこう。

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