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とか言って化粧しててほしいんでしょう?

"あなたは本当は化粧をしたくないですか?"
と英会話の先生に聞かれたのだが、どうも返答に困る。

まあ、何にも外見など気にしなくて良い世の中なのであれば、
即答で"したくないです"と答えると思うのだが、
利点込み込みで考えてしまえば、"したいです"と答える。

とりあえずの答えとして
"化粧は本当はしたくはないけれど、
自分の利益のためにし続けると思います"
と答えておいた。

"女性は化粧をする必要があると思いますか?"
という質問に対しては即答で"No"と答えるが、
この質問には意表を突かれた気分だった。

どこまでいったって外見が印象を牛耳るという事実は変えられないのだ。
「いやいや外見じゃなくて、中身だよ」
という人はたくさんいるし、心からそうな場合も、
認知としてはそう思っている人もいる。
けれど本能として外見が良いのは印象が良く、そして得しやすいのだ。

就活中だって一生懸命に着飾る。
金になりそうな外見のいい人が得をする。
恋人だってそうだ。
可愛くて、あるいはかこよくて外見のいい人が得をする。

そりゃあ、中身が重視なのは当たり前だが、
外見という指標は切っても切り離せないのだ。
男子がよく言う「すっぴんの方が好き」とか言うが、
それは、外見込みで好きになって、中身に惚れ込んだ後だから、
外見といった指標はもはや気にならず
その人そのものを好きになっている状態だと思う。
なんやかんやで、印象を左右するのに外見はある。

あありのままの自分を好いて欲しい、
すっぴんな私を好きでいて欲しい、
と言う気持ちが私にはある。
しかし、初手の印象を良くすることによって得をしたい、
人に好きになって欲しい、いい機会が得たい、都合よく立ち振る舞いたい、
と言う私の感情は変えられない気もする。

別に私は私のことを外見ばかりの中身のないやつだとか思っていない。
外見以上に、精神性や魂に磨きをかけたい。
そこに思いも時間もお金も使いたい。
ただ、本日も少しばかりの
思いと時間とおかんを外見に費やす。
こんなのに引っかかるなんてしょうもないと思うこともあるが、
その導入で、中身に入ってきてもらいやすく、
相手に入り込みやすくなるのだという感覚があるから
これはやめられそうもない。

とは言いつつも、中身のサブであるはずの外見に
なんで今日も踊らされているのだろうと辟易もする。
明日もきっと10分間の化粧をして、
たまに外見どうのの話をして、
それに萎えたり意味もなく小さく盛り上がる。
サブのはずなのに、明日もこうして踊らされる。

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