幸せをいつ感じるか

私は瞬間に感じる。

インドに行った時にボロボロのバスにおばあちゃんとぎゅうぎゅうになりながら乗って、
窓から差し込んだ光が、空に舞う小さな葉を照らした瞬間に。
シェアハウスでみんなでご飯を囲む時に誰か吐露した言葉に対してふと
「ああ、この人のこと好きだな」とジンワリ広がる瞬間に。
転校する時に友達が近所のカラオケで歌ってくれた「旅立ちの唄」を聞いた時に、
感情を自覚するより先に涙が溢れた瞬間に。

瞬間に対して感じて、自分の感情を捉えてなんて幸せなんだろう、と思う。

日々感じる人もいれば
1日に対して感じる人もいれば
過去を振り返った時に感じる人もいれば
「幸せ」の感じ方は人様々である。

なんとも捉えどころのないこの感情を手に入れたくてある種私たちはもがきっぱなしである。

「どうしたら幸せになれるんだろう」
そんななんとも臭い質問を友達に飲み屋でしてみた。
「どう捉えるかの問題であってこの瞬間にも認知の仕方で幸せにも不幸にもなれる」
うん、ある種彼のいうことは正しい。自分の心の持ちようであっていかようにでも捉えられる。

でも、私はなんだか自分で感情の捉え方をコントロールしてしまうことに対しての抵抗感がある。
というか、コントロールできないくらいに感情の起伏があることが好ましい。

幸せだと自覚する間も無く、ふと感じたい。
わざわざ認知すらしなくてもいいくらいに。
そして不幸であってもいいように思ったりもする。
もちろん、ネガティブになんてなりたいわけじゃないけれど、
感覚的に悲しくなったり苦しくなったり、そんな感じで進んでいきたい。

例えば恋愛において、うまくいっていないときに
ポジティブに思考しようとしてポジティブになれるくらいなら
「ああ、この程度の好きなんだ」とか思う。
本当にめっちゃ好きなら、どんなにポジティブであろうとしても悲しい気持ちがつきまとう。
そのくらいの感情の起伏がほしい。

幸せの定義もなく、掴み方もないけれど、少なくとも毎日周りに対して溢れるほど感謝をしていたいし、
愛を持って接していたい(ナチュラルに)。
感謝できる人がいることは本当に幸福だと思うのだ。
このテーマはなんとも表現しにくく、とりとめのない話になってしまったけれど、
うーん、
感謝を溢るるほどに感じれる状態、っていうのは、幸福だねってことが伝えたかったのかな?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?