今年の夏の私

なぜだろうか、毎年、夏はこんなにも楽しい。
夏が好きだ。

今年の夏は、「豊か」と表されるような生活だったように思う。

鎌倉に部分移住をしてみた。
海と山がいつでも近くにあって、
少し自転車でこげば自然にどっぷりとつかれる。呼吸をしていた。
汗ダクダクの山の中で光る木漏れ日は美しい。
夜10時すぎ、友達との待ち合わせのために、自転車をこぎ、
湘南の海の沿岸沿い、夏の生ぬるい、けど心地の良い風を切る、切る。
夜はこんなにも美しい。

リモートワークを3つしてみた。
1週間で30時間弱、フルフレックスで、
貯まりも、赤字にもならず、
ちょうど自分を豊かに養える程度の収入。
何と言っても働きたいときに、どこでも、好きな分、働けたのが良かった。
(会社の人には迷惑をかけて申し訳ない。)
仕事の内容も(成果を出していなくて申し訳ない限りだが)、
アフリカやアメリカと繋がりながら新しいことを重ねる感覚で、
なんとも幸福度が高いものである。

人間関係についても、自分が心地いい程度に揺れていたので
ちょうど良かった。
会社の人たちは3社とも、一緒に働くほどに好きになるような
素敵な人ばかりで幸福を日々感じる。
新しく会った人たちは私に色んな感情を運んでくれたように思う。
前から好きな友人たちは相変わらず私を幸せにしてくれる。
一緒に暮らす人たちとのほんわかした時間の流れも好きだった。
家族との少し遠目の距離もこの歳の私にとっては程よかった。

好きな時間に、好きな人と、あるいは私と、好きなことをする。
どこまでも穏やかで「豊か」を感じる。
そんな私に出会ったのは、ほぼほぼ初めてだろう。
これまでの私といえば
激しさ、新鮮さ、興奮をいつでも求めてやまなかった。
いつでも、この自分にとどまるのが怖かった。
自分で自分を驚かせてあげなきゃと必死だったようにも思う。
特に何もしていない日に、眠いからと昼寝をして
起きて、散歩でもして、風呂でもゆっくり入って、
どぼん、と眠りについてしまう。明日は山登りに、早く起きていこうか。
みたいな、ね。

どこまでも無目的で、どこまでも穏やかな日々に、
もういいかな、と飽きてきたここ最近。
無目的性を愛せるほど私はまだ大人でも、落ち着いていないらしい。
なにゃ感やかっこ悪く、あくせくしている自分に味をしめている。
私を豊かにしてくれる方法なんて、たくさんあるのだけれど、
私はもっと情熱的な方をまた、求め出してみたい。

今年の夏は穏やかで、豊かで、私が広がった。
そろそろ重い腰を上げて、再度走りだそうかな、と思います。
秋の私に乞うご期待。

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