見出し画像

就活後のリアルな感情へ、 どろっと

先月、全ての選考が終わり、就活生ではなくなった私だが、
内定先のうちどこに行くか未だ決められずにいる私は
きっと就活生(居残り)なので、この気持ちがなくなる前に
書きとめよう。

最初に書いておくが、この記事はもしかしたら
就活生や企業の人事の方、選考に関わっている人にとって
不快かもしれない。
言い方が傷つけたりするものであったらごめんなさい。

全ての選考が終了した翌日の6月7日、私は
どうしようも無い虚しさで泣いていた。
まあ、たまにある悲劇のヒロインモードになっていた。
就活の結果自体は悪くなかった。
悪くなかったどころか、一般的には
本当に贅沢すぎる選択肢がさらさらと並ぶ身に余る結果だった。

なぜ私が悲劇のヒロインモードになっちゃったのか。
理由は大きく二つある。(この口調も就活で覚えた)
一つは、就活、あるいは社会のあり方に対する虚しさに対して
もう一つは、私の想像以上に薄っぺらだった思想に対して。

就活って、結局は金を生めるやつ選定なのか

あなたの強みは、弱みは?
上司に〜って言われたらどうする?
大事にしている価値観って?
困難を乗り越えた経験は?

とかとか、こういう質問って、結局は、準備したもん勝ちだったり、
口が上手い人が勝つんじゃないか、とか思う。
私自身、口はうまい方なため、スラスラと
時には話を盛りつつ話していた。
その言葉に対して深くうなづかれたり、共感されたりすると、
どれだけこの人は本当に私のこと見ているのだろうか、と思うことがある。
きちきちと、何度も他の会社でも話してきたことをテンプレで話して、
時には機械的に10分間の話で合否が出て、
私ってすごいのよ、でも謙虚なのよ、って応答を繰り返して、
さし当りのない、でも喜ばれそうな質問をしたりして。

もちろん、自分自身の、話しているその人の、その会社の、
その産業の、そのサービスの、社会の、
知らなかった物事に触れて、新しい価値観を広げてくれる
素晴らしき瞬間もたくさん、たくさんあった。
それに対しての感謝もたくさんある。

ただ、どこか冷静に口から出てくる言葉をトントンと
並べる自分に嫌気がさすことがある。
そんな言葉に頷いて評価を下されることに虚しくなる。
本当の私はそこじゃない。
きっと私が見えているあなたもそこじゃない。

こんな薄っぺらな言葉を発したいわけじゃない。
こんな薄っぺらい言葉を評価してほしいわけじゃない。
もっとガツンと私という存在をぶつけさせて、
もっとガツンとその会社の思想や事業に触れたい。
くだらない評価軸に覆われて
なんだかわからなくなってしまうのは怖いじゃないか。

短い時間の中で見極めるのだから仕方がないのだけれども、
対策と口がしっかりしている「金になるやつ」が勝ち上がっていく構造に
疑問がある。
会社によっては私の芯をついてくる質問が繰り返されることもある。
その時のぶっ放す感覚を求めているのだろう。

結局は他人の評価から抜け出せない

なんで私が一ヶ月たった今でも就職先を決断できないのか。
結局は他人の評価を気にして、気にして、気にし続けてきて、
本当の本当に心が求めているものが見えなくなっているからだと思う。

選考のたびにその会社にカスタマイズして自分の志望動機を作ってきて、
それが自分に染み付いて、
カスタマイズが得意で何にでも興味を示しちゃう私は
広がりすぎて「一番」がわかんなくなってしまった。

根本的にこの企業に好かれたい、就職先を周りに評価されたい、
振りほどこうとしてもどこまでもついてくる
その感情を振り払うことはできずに、
私の心が求めるものすらも見えなくなっている。
決めた結果損をする気がして怖くなる。

評価はされど、結局自分なのに。

就活が私に教えてくれたことはたくさんあるが、
薄っぺらな私という存在と、
それを評価され続ける虚しさと、
なのにその評価から逃げ出せない矮小な自分という
リアルさの詰まったどろっとしたこの感情だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?