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祈ること、忘れないこと、生きること

眠る前に、これまで身近で亡くなった人たちの顔を思い出しながら祈る。
祈る、というか、感謝と愛を伝える。
(忙しさにかまけてできない日もあるが)

「おばあちゃん、今日も大好きだよ。
おじいちゃん、今日もあなたの好きな花を見つけました。
じいじ、今日もありがとう。
おばさん、そちらではお元気でしょうか。
、、、」
10名くらい。
そのあと、家族や友達、お世話になった人に祈る。

私には宗教はない。だが祈る。
神に祈るのではなく、私の世界を構成してくれている存在に祈る。

忘れぬこと、死なせないこと

「人がいつ死ぬと思う?・・・人に忘れられた時さ。」
ワンピースの映画の有名なシーンで、
Dr.ヒルルクが死にかけた時に言った言葉だ。

私がこの映画を見たのは確か小学五年生の時。
ちょうど、一緒に暮らしていたおばあちゃんが亡くなった時だった。

それ以前にも大切な人を亡くした経験はあったものの、
きちんと、自我が芽生えて迎える初めての死だった。
おばあちゃんの死の前日、私はお母さんに聞いた。
「私はおばあちゃんに何か残せたのかな。
迷惑ばかりかけて何もしてあげられなかった。
おばあちゃんの中に私は残らないかもしれない。」
おばあちゃんに私と言う存在を覚えていて欲しかった。
少しでも彼女の人生に関わりを持ちたかった。
お母さんはこう返した。

「あなたが残したものじゃなくて、
おばあちゃんがあなたに残してくれたものが大事なのよ」
ぽつりぽつりと蘇るおばあちゃんとの記憶の中から
もらったものは数え切れない。
おばあちゃんが残してくれたものは尽きない。

お母さんの言う通りで、
おばあちゃんに残せたものはほとんどなくとも
(あわよくば残っていてほしいが)
私と言う存在にどれだけおばあちゃんの存在が必要だったか。
たくさんの愛を注いでくれたか。
これを忘れないことで、私の中だけでも存在を消したくないと思った。

そんな時に出会った
「人がいつ死ぬと思う?・・・人に忘れられた時さ。」
って言葉。
忘れないことで生かせるのならば。死なせないならば。
私だけでも覚えていよう。
そんな思いで始まった祈りの時。

祈ること、生きること

死なせぬように、と始まった祈りの時だが、
この祈りは自分を満たしてくれる時となった。

祈るたびに思う。どれだけの人が自分という存在をかたどってくれたか。
どれだけの愛を注がれ、注いできたか。
本来孤独なこの世の中で、人という存在の大切さを噛みしめる。
尽きぬ感謝を日々感じる。(そう思えなくなる日もあるけれど)

祈るたびに、私は人と生きることを思い出す。
祈るたびに、あわよくば、誰かの存在を死なせない。

祈ること、震災を忘れないこと

来週、10回目の3.11を迎える。
私は何度かボランティアに行ったくらいで、
言い方は失礼かもしれないが、身近な人が被災したわけではない。
だから、何かを言える立場ではないのかもしれない。

それでも、せめてこの時期に祈る。
あの出来事やそこで生きた人たちの存在が生き続けられればと。

この祈りが何かを生むわけではないだろう。
それでも、せめても、祈ることで、忘れないように。
忘れないことで、その存在が生き続けるように。
何もできないけれど、せめてもと、祈る。

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