ぼくが沖ノ島の魅力は、歴史より「人」だと思った理由
こんにちは。ライターの大塚たくま(@ZuleTakuma)です。
今回、文化庁のLiving History(生きた歴史体感プログラム)促進事業のモニターツアーとして企画された「沖ノ島遠望船大島満喫ツアー」に参加してみて、記事を書いてほしい、という依頼がありました。
「大島か。」
大島という地は、ぼくが何となく気になっている場所で。
大島も沖ノ島も宗像市にあり、ぼくの実家は宗像市にあります。ぼくの地元の話なのですが、ぼくは大島に上陸したことがなかったんです。
2016年、大島で彦星になった。
2016年8月。
ぼくの後輩から「大島で行われている七夕まつりの織姫・彦星役のカップルが急に連絡がとれなくなってしまい、大ピンチなので代わりに出ることは可能か?」という連絡がありました。
「どういうこと?」
ぼく、全然知らなかったんですけど、大島の宗像大社中津宮って、七夕まつりの発祥の地らしいんですね。で、結婚を控えている夫婦が彦星・織姫となって結婚の奉告をする神事を行い、七夕まつりに参加するのが恒例になっているそうなのです。
なんだかピンチっぽかったので、了承。
生まれてはじめて、近くて遠い、大島の地に「彦星」として降り立ったのです。
妻と長男・こーくん(当時0歳)
ぼくは2014年11月に結婚し、2015年12月に長男が誕生。すでに結婚して1年半が経っていました。まあ、でも改めてということで。
ぼくはこのナゾの事態を楽しむことにしたのです。
宗像大社中津宮で、結婚奉告の神事を執り行います。
七夕まつりの会場で、大島の皆さんに結婚奉告の神事が済んだことをご報告。ちょっとした披露宴みたいなことをしてもらいました。
織姫・彦星となったぼくらへの、温かい眼差しと、拍手の音。
そこから、この「七夕まつり」が大島の方々にとって、どれほど大切なものなのかを感じ取りました。
夜はみんなで中津宮へ移ります。
大島の島民の方々と、にぎやかな時間を過ごしました。
「とてもあたたかい。でも、なんだかふしぎなところ。」
そんなことを考えながら、ぼくは大島を離れ、いつもの日常へと帰ったのでした。
2020年、ライターになって大島へ再上陸。
あのふしぎな夏から、4年。ぼくの暮らしは変わり、職業も浄水器会社の社員から、フリーライターになりました。
じつはあの時、ぼくは「大島に宿泊できる権利」をいただいていました。大島の民宿に泊まっていいという権利で、とくに期限はないとのことでした。
そんなことをふと思い出し。大島のことを取材してみたいなと思ったのです。そして、書いた記事がこちら。
大島の魅力をどんな方でもわかるように、愛情込めてつくった記事です。その記事を、ぼくはこう締めくくりました。
わかるようで、わかっていない気もする、大島の魅力。そんな中で、今回の「沖ノ島遠望船大島満喫ツアー」体験のお話をいただいたのでした。
2021年、大島へまたまた上陸。
もう、大島には何か縁があるのでしょう。またまた、やってきました。
このツアーの最大の肝は、沖ノ島に接近する船に乗船できること。
……なんとなく、わかったフリをしてきた「沖ノ島」。
「大事なものだから大事」
「重要だから重要」
「歴史があるから歴史的」
正直なところ、そんな認識です。
旅行日程表を見ると、沖ノ島には漁船で往復4時間とのこと。……平然としているフリをしているけれど、これはなかなか、けっこうダルい。
中津宮で沖ノ島遠望船ツアーの安全祈願
宗像大社の中津宮へ。社殿にて、安全祈願を行いました。
中津宮での神事は5年前の結婚奉告以来。あのときは袴を着ていたから、星座をしてもこんなに足が痛くなかったっけ。
明日の遠望船のためにわざわざ安全祈願。神職の方から沖ノ島の禁忌に関してもうかがいました。
知ってはいました。
ただ、神職さんが真剣に話す姿を見て、この禁忌が実際に大昔から現在まで、大切にされてきたものであることをあらためて実感。
その後、我々は大島交流館で沖ノ島や大島について、改めて勉強させてもらいました。
とくに印象に残っているのは「大島のよもやま」という展示コーナー。そこには「大島の年間予定表」と題されたパネルが設置されていました。
超ハードスケジュール。そして「祭」「祭」「祭」の連続。
これほどまでに、大島には沖ノ島に宿る神や、宗像大社への信仰が暮らしと根付いているのかとびっくりしました。大島は年がら年中、何らかの「祭」なのです。
大島には、太陽がふたつある。
この日は、とにかくよく沖ノ島が見えました。
最初に大島を上陸したときも「沖ノ島が見えるね」と島の方々が喜んで、ぼくに教えてくれたことを覚えています。
「毎日見えるわけじゃないけんね」「あんた運がよかよ」「日ごろの行いがよかとやろねえ」
正直、ぼくには島が見えただけで、何がそんなに喜ばしいのかはよくわかりません。沖ノ島が見えること以上に、大島の方々が嬉しそうに声をかけてくれることが嬉しかったことを覚えています。
沖ノ島が見えるか見えないかを気にしている大島の方々に影響され、ぼくも大島にいるときは沖ノ島の見え方を気にするようになりました。
「沖ノ島が今日は見えんねぇ」「雲がかかっとるけんねぇ」「昨日は見えたんやけどねぇ」
沖ノ島って、大島の人たちにとっては、2つ目の太陽みたいな存在なんじゃないでしょうか。この話題が聞こえてくる時、ぼくは「大島に来ているなぁ」と実感するんですよね。
沖ノ島を拝むためだけの「遙拝所」の存在
ぼくは「遙拝(ようはい)」という言葉を、大島で初めて知りました。遙拝とは、遠く離れた場所から拝むことであり、遙拝所はそのための場所なのです。
大島には沖ノ島の沖津宮を拝むためだけの場所があります。それが宗像大社沖津宮遙拝所です。
「何もそこまでしなくても……。」
この「遙拝所」の存在そのものが、いかに沖ノ島が大島で長い間大切にされてきたのかを裏付けるものです。その事実に、迫力を感じました。
遙拝殿ができる前から、ここは遙拝に使われていたようで、その遺構も残っています。
この階段を登った先で、いったいどれだけ昔から、どれだけの人たちが遙拝を行ってきたのでしょうか。
登った先から海を見ると、遠くにうっすら沖ノ島が見えました。
中央にうっすら見える沖ノ島
この景色はきっと、太古の昔から変わっていないのでしょう。そして、私も今、沖ノ島を眺め、遙拝している。もしかすると、1000年後の人もここで遙拝しているのかもしれません。
乗馬や「禊サウナ」で大島を満喫。
その後「musubi cafe」で漁師サンドを食べ……。
大島牧場で、馬の背中から見る大島の広い景色を楽しみ……。
かんす海水浴場で「禊サウナ」を楽しみました。
まずは冷たい海で禊。
禊で冷えた体にテントサウナがしみる。ロウリュの連続で体はむしろ熱くなり、汗が吹き出ます。「もう限界っ」ってタイミングで、テントサウナを飛び出し、あらためて「禊」。
沖ノ島に上陸する人は、沖ノ島の海岸に全裸で入り、禊を行うことが決まりになっています。
明日の遠望船ツアーに禊は必要ありませんが、禊サウナによる「自主禊」で体を清めます。
ととのった。いや、きよまった。
大島の地で魂レベルのデトックスを果たしたぼくら一行は、宿へと向かいました。
気持ちを高め、沖ノ島へいざ出発
沖ノ島に行っていないのに、沖ノ島のことばかり考える一日。
当日ガイドしてくださり、明日もガイドをしてくださる沖津宮、中津宮の両宮奉賛会会長の方から沖ノ島の話をうかがいながら夕食。
「はじめて沖ノ島を見たときは……」と、沖ノ島の興奮を熱っぽく話す姿が印象的でした。
「もう見ただけで、神様がおるっちゅう、感じがするとよ。」
そして、ぼくの「はじめての日」がやってきました。
昨日、一日中沖ノ島のことを考えていたので、期待と緊張が入り交じるような不思議な気持ちです。やっと、沖ノ島に会えます。
はじめての漁船。いよいよ出港です。
往復4時間かけて沖ノ島へ
漁船が動き出し、沖ノ島へ向けてスタートしました。
このまま、沖ノ島まで2時間です。
漁船のスピードに驚きました。こんなに速く進めるんですね。
前日に手漕ぎの船で海を渡っていた話を聞いていたので、なんだか面食らってしまいました。昔の人は今の船を見たら、驚くだろうな……。
周囲には水しかなく、船だけがある状況に少し怖くなりました。海なんだから水だらけで当たり前なんだけど、冷静に考えると、凄い景色。
こんなとこを手こぎボートで進もうなんて、昔の人はどうかしてますよ。
海だらけの地球という星に、自分がちっぽけに存在していることを実感させられます。
沖になればなるほど、漁船から跳ね上がる水しぶきは大きくなります。
最初は「景色が見えなくて邪魔だぜ」と思っていた、このビニールカバーの重要性にも気づけました。だんだん、沖ノ島へと近づいていきます。
はじめての大きな沖ノ島とご対面
出港して2時間ほど経過したとき、声をかけられました。
「前に出て見らんね!」
沖ノ島が現れました。
船の上で写真を撮りながら思いました。「この迫力はこんな写真じゃ、伝わらねえな」と。こんな切り抜きじゃダメです。
こんな写真じゃダメなのよ。
視界の上はデカイ空、視界の下はデカくてコワい海に包まれていなきゃダメだし。
ちゃんと頭をグイグイ動かして、沖ノ島の全貌を確認しなきゃダメ。
ザバーン!って音も必要だし、倒れそうになりながら船の揺れに耐える感覚も大事なんだよ。
写真を撮っても、画面に入り切らない。
いいや。もう写真を撮るのはやめよう。記事を書かないといけないから、写真は必要なんだけど、もういいや。今、この瞬間をしっかりとこの眼で見るんだ。感じるんだ。
「動画を撮らないと」と思って、録画ボタンをタップしてみたけど、何も言葉が出てきませんでした。何を言っても軽くなる気がして。しゃべるのは得意な方なのですが。
ただただ、沖ノ島が今日もここに存在し、ぼくもここに存在しています。それって、すごいことだなあと、ぼんやり考えていました。
間近で沖ノ島を見る時間は、あっという間に過ぎていきました。
沖ノ島の魅力は歴史よりも「人」なんじゃないか。
行きに比べ、大島に戻る2時間はあっという間でした。大島に戻ると、島の方々が食事の準備をして待ってくださっていました。
今回は沖ノ島の現地大祭を再現した直会(なおらい)(祭事が終わったあとの宴会)を開いてくれたのです。
新鮮なアジの煮魚は最高。こんな美味しいアジが、すぐそばの港でじゃんじゃん釣れると、自慢してくれました。
とにかく大島では出てくる魚、出てくる魚がとんでもなく美味しい。
この写真のスマガツオの刺身なんて、もうマジで最高だった。ああああ、また食べたい。
「沖ノ島、どげんやった?」
いやー、すごかったです!デカくて、かっこよくて……!
「今日は天気いいけん、良かったね!波も大人しかったろ?」
はい!
みんなで沖ノ島の話で盛り上がりながら、ワイワイと食事。豊かな時間でした。
たしかに沖ノ島は凄かった。
なにもない海に突然現れるあの巨大な姿。神がいないのなら、逆に不気味すぎます。みんなが大切にするのも納得の迫力でした。
でも、今、この原稿を書いているぼくの頭の中には大島の人の顔が浮かんでいます。大島の人が、沖ノ島のことを話す時のわくわくした顔が。
あの顔を見れば一発で分かります。沖ノ島が大切なものなんだって。歴史なんか教わらなくてもすぐに分かる。
「沖ノ島の裏側を見せちゃるけんね〜」
わくわくしていて、ちょっと得意げ。
今、目の前にいるこの人が大切にしている島だから、沖ノ島が大切なんです。きっと100年前も、1000年前も、沖ノ島はこう在ったはず。
続いているのは「神様」だけじゃない。人の「想い」も続いていきます。
今もまだ、沖ノ島と人が共にあり続けています。そして、きっと100年後も同じ関係性なんだと思います。大島に行くと、その迫力を実感できます。
だからこそ、ぼくにとって、沖ノ島と大島は魅力的なんです。
「とてもあたたかい。でもなんだかふしぎなところ。」
沖ノ島の「島」と「神」だけではなく、「暮らし」や「人」を感じてほしい。これから沖ノ島に近づく人へ、ぼくからのメッセージです。
今日は大島から、沖ノ島は見えているのかな。
サポートをいただけた場合は、今後の取材活動のために使用させていただきます。