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相談者の作法

相談を受ける専門家はあれど、相談するプロっているのかしら?

不意に思い立ったので、今回はこのテーマで書いてみようと思います。

相談を受ける方は、傾聴であったり、かかわり技法であったり、さまざまな方法が確立されていますが、相談する側の作法って聞かないな…と思います。

これって、よくよく考えれば問題だと感じませんか?

相談を受ける側が、相談をする側から信頼されるような態度を取り、相談者の課題に寄り添い解決の道を探るって、視点を変えれば、完全に搾取される側とする側に分かれませんか?

自分の問題を自分で解決できないと、格差社会に取り残されてしまうとか、おかしいのではないか?と私は思っています。

ですから、相談をする側の作法…というか心の在り様って大事です。

対等な関係で臨むには、いろいろ考えてみる必要がありそうです。

男性・医師・メンター・コンサルタント・相談・カウンセラー

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いきなりムチャなことを提示しますが、相談事は本当に八方塞がりになる前に相談するのが良いと思っています。

解決策を求めるのではなく、アドバイスや意見を求めるといったニュアンスで在るべきです。

どうしようもないことは、誰がどう頑張ってもどうにもならなかったりします。

そういった場合、相談する側は憔悴しきってしまい、問題解決よりも心のケアを無意識に求めてしまう傾向にあるように思います。

それを相談を受ける側は心得ていますから、まず心のケアを行い、問題については「リフレーミング」して、新しいスタートを切りましょうと論点をズラしたりします。

悩みぬいたあとに、そのような言葉をかけられた場合、従うしかないのではないでしょうか?

ですから、そうなる前の段階で、正常な判断ができるときに相談し、その相手が本当に信頼できるか精査する余裕があった方がいいと考えています。

ギリギリまで一人で抱え込むのは、美徳かもしれませんが生産的ではありません。

書店・本・出版物・書籍・陳列・新刊

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例えば、数多くの相談を受けてきた方が書籍を出版したとします。

「たくさんの悩める方を見てきた結果、その経験をより多くの方に届けたい…」と。

これは、ほとんどの人の場合は本心でしょう。

しかし、中には「数多くの相談を受けてきた」という言葉自体が売り文句で、悩みを抱えている方を見込み客のように考えて出版告知しているのかもしれません。

相談を受ける側も気をつけなければならない要素ですが、誰の言葉も鵜呑みにしてはいけません。

まずは、疑う。

そこから始まるからこそ、最終的に信頼関係が構築できたとき、相互に成長できるのだと私は考えます。

ただ、ちょっと難しいことを書きますが、疑っていることを気づかれてはダメです。

「受容」といって、どんな言葉も受け入れた上で、自分なりに咀嚼する必要がありますし、だからこそ、八方塞がりになる前に相談するべきではないでしょうか?

標識・シンボル・行き止まり・デッドエンド・看板・青空・黄色

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もちろん、今回の話はエビデンスのない個人的な見解です。

偏った価値観の下で書いているかもしれませんが、相談する側は申し訳ないと思う必要はありませんし、相談を受ける側はそのように思わせたらいけないと思います。

いつだって対等であることが人としての尊厳を相互に守るために必要だからです。

…ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。

今回の投稿は以上です。

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