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仏様に繋がって

あぁ、なんて楽ちんなんだろう✨💗😄
ほら、
こっちこっち
ここだよ
ねぇ、つかまりなよ

わたしは
しっかりとこれをサコッシュに収め
どこまでも
仏様といっしょに歩いた









西国三十三所巡りの旅
御朱印帳の旅、
間違いなく
心を満たしてくれる旅

今から42年前の昭和54年に
始まったこの御朱印帳の旅は
令和3年の晩夏に終わろうとしている



この御朱印帳を
最初に手にしていたのは
祖母と父の二人であった

ナビなどのない当時
高速道路が整備されていく
全国地図を見ながら
ドライブ好きな父は
祖母と連れ立って
ご朱印帳巡りを始めた

言い出したのは祖母だっただろう

第一番から順に行くものと思って
日付をたどると
案外遠方の寺から
御朱印は押されていて
順で言えば最後の方に参るはずの
高野山、善光寺にはすでに
行ってあった
なんだか父らしいな、と思い出されて
クスリ(笑)となった

二人は
5月の連休の気候の良いときを中心に
集中して巡っていたようだ
花もきれいだっただろうな、と
もう聞くこともできないんだな、と
線香の匂いを感じながら
記された年月に思いを馳せた

旅の開始当時、私は小学生だった
何年生かというのは、ボヤ化しておこう
サバを読む必要もないが
ユーモアを忘れないのがうちの
遺伝子DNAの良い部分だ


どのうちにも
人に言えないこと、
寒い出来事があるだろう
逆に聞いてほしい、事だってあるだろう
それらはほんとうに
色々あるだろう

理解している、と思っている
その向こうまで
旅をするのも楽しいに違いない🎶
途中でやめても良い、とゆるい気持ちで
私はドアを開けてみた



うちには
ニート、と呼ばれるであろう叔母と
引きこもりの祖父がいた


幼かった私にとってそのことが
どう影響したか
かれこれ一ヶ月
この記事をしたためて続けている
積極的にではないが
書いてみれば
目の前にあるブロックから
光が差し込む気がしている

開放することには勇気がいる
書いてみよう
何が書けるか
何がでるかな
何が起きるか
何も起こらないよな


私を取り巻く環境は
なーんにも変わらない
ただ私の中でだけ
他人の感情への免疫反応が起こる
また抗体のレベルを上げるのだ
最高値を未だ更新しないのは
抗原のパワーが落ち着いてきたからか


感想も付け加えて記事を書き終える予定だ


優しい手

ひ孫を抱っこできたときの
祖母の手の感触は
幼い頃手を繋いでくれた時、
そのままだった

しわしわだけど柔らかい
そんな手の祖母だった
そばにいて
背中を擦ってくれた大好きな手
この手にどれだけ癒やされただろう

母も
肩こりや頭痛のあるときには
よく手当てをしてもらっていた

母が働いていたこともあって
私は祖母に懐き、おばあちゃん子と言われた物心ついたころに祖母ばかり後追いする私を、悲しそうにみる母を見て
母に悪いことをしたと知った
それからわざと祖母と、疎遠になった時期があった

亡くなるときにさえ
仕事があるから、忙しいからと
わざと会えなくして
とうとう会ったのは遺影にだった

孫の中で1番付き合いの長かった私なのに
周りは
なんて冷めた人間か、と思っただろう

だからといって
母に甘えられたわけではなかった
長女という役割を演じ
褒められることが
気持ちよくてずっとずっと
その役割を手放せなかった

私はしっかりしているから
間違えない
誰の手も借りたりしない
幸せは人からもらわない
だから心配しないで

ごく自然に
私は頑張るお利口さんで
たくさん褒められ
満足気だった

反動で、ワルイコトもした
人のいないところで弟に意地悪をしたり
一緒にワルイコトを企んだ

たぶん今、少しまともでいられるのは
一定の境界を超えなかった、からだ

表向き
お利口で、要領も良かった私はどれほど
周囲の期待に応えてきたのか

この歳になって
思い切って期待外れなことをしてやろうと
方向転換した私は
滑稽に映るだろう
でもそれも
用意されていたことのような気がしているから、やはりまともであり続けている
おそらく、の範囲で





母がずっと
私に寄り添い思ってくれていたことを
口に出されて始めて知ったこと、
たくさんたくさん
愛をもらって生きてきてたんだと
母の思いがなかったら
いまの私はいなかったんだと
気付いたのは結婚のタイミングだった


私は、冷たい人間か
愛ある人か
素直な人にはちゃんと見えているはずだ
私は裸じゃない、よね

後悔することがあるというのは
ちょうどよかった

ほどほどでも
できることはある


「どうせ」
魔法の言葉


おばあちゃん子の私は
「どうせ」の使い方が上手だった


ひとりで絵を描いたり
ぬいぐるみを友達にしたり


海辺の景色の明るい
キラキラ、キラキラしたところと
日暮れ青寒いのザワザワした
音しかないところを
行きつ戻りつしていた

引き込まれていく方へ
身を任すように「とことん」行くのだが
戻ってくる呪文を持っていた
それが
「どうせ」だった

どうせ、は
良くない言葉かというと
そうでもないのだ

どうせ、同じこと、
どうせ、変わってしまう、
どっちなのだろう

真理につながる諦めを
知らず知らずいつも眺めるように思った


その中で私は強くなった


祖母を取り囲む娘と夫
私にとっての叔母と祖父は
その祖母の優しさのキャパを超えて存在した


おそらくは
父と母、
私への小さくない影響となって
そこに当然あるものだった


ニートになりたくて
なっている人はいない
とニートな人は思う

ほんとにそうだ

伯母がずっとうちにこもっていたその間
その叔母の放つ言葉は、
母をずっと嫌な気持ちにさせていた

祖父がうちにこもってお酒を飲んで
怒ってばかりいたその間
うちに出入りしていた従兄弟たちや
その親たちは何かを苦しんでいた

幼い私はそのまま
すべて受け入れていた
理解できずとも


人は勝手な機嫌で生きていいのだな

無力に我慢している母や父が
悪い、と批判的にもなり
学んだ気になっていた

それなのに知らず知らず
母を真似ている自分に
近頃気がついた

鏡の中にまさかの母の姿

しわの増えた私が
私を見ているのだから
これ、誰?と口に出るほど
驚き、二度見ならぬ
三度も四度も
確かめた
やはり、似ているのだ
笑うしかない

いずれ父や祖母、
祖父も出てくるのかもしれないぞ、
覚悟しておこうと思った



成長とともに
よそのうちと違うと感じて
父や母から説明を聞くことがあった

叔母は足が悪く
今なら障害手帳を取得して
その上で自立する方法があったのに
祖母からの愛情を受けて
その機会を失った
その足の怪我の原因が
祖母にもあったかも知れなくて祖母は自分を責めていた
叔母はイヤな人を隠そうとせずに
働けていいわね、とことあるごとに電話してきた
私の進学に際して、女の子なのに大学へ行くの、とも言った


何かがひとつズレていたら
そんな思いはしなくてよかった



伯母がずっと祖母を責め立てていたことは
ただの親子喧嘩として
私は受け止めていた
終わらない喧嘩だと


喧嘩を終えた叔母は
今誰よりも元気だ



祖父は
子どものいたずらに
真正面から怒鳴って追いかけてくるほど
真っ直ぐな人だったから
人から責められる前に
自分で自分を責めることなど
たやすいことだった

体が弱く
戦争に出兵できなかった
このことをトラウマとして
責め続けて生きていた
長生きした分
体が弱い、というレッテルが
自分を苦しめた
部屋からうめき声の聞こえる夜もあった

この叔母と祖父は
親子ではあったが
ずっと
理解し合うことを拒み続けた

悔しい
家族が憎み合うなんて



病名が
人を救うことなどない時代
どちらかといえばそれは隠され
触れてはいけないことのようだった
働いて一家を養うのはすべて
父と母にかかっていた

バブルへ向かう成長期に
それほど金銭面で
苦しい思いはしなかったが
それが母の気概でもあった



祖父は家族にとっては
人の意見を聞かない
頑固で意固地な人に映ってもいた

それでも私は、
ほとんど外出しない祖父と山を散歩するのが好きだったし
目的はほぼ石集めだったのも嬉しかった
飼っているインコの水彩画を描くのをじっと見ていた
祖父は何度も何度も
水筆でやり直すのだった
紙が破れてもそれは繰り返され
何もなかったかのように
きれいな絵は完成していた





笑いたい
私は
笑いたいな



何がどうなれば
みんな幸せだったんだろう


私に理解力と優しさがあれば
家族は幸せだったのか

でも
私は私を責めない

どうせ
責めたって同じなんだから


誰も責めない
自分も責めない

どうせ
人は自分のことしか考えない

どうせ
人のことは分からない

そしてそれでいい


みんな幸せだったんじゃないかとさえ思える

私が幸せな気持ちで夕飯を思い出せるなら
それは幸せだ

うちの寒い出来事は
実際にはそんなでもなく
それぞれ
ステージを変えられないと
激しく思い込んだ人間たちの集まりだった

ユーモアという
せっかくのうちの遺伝子DNAの
持ち味も活かしきれなかったのだ


その日の命を輝かせるためにだけ
プレイすれば
それを見ている人がいる
必ず受け取る人がいる



終わりがいつか
それだけが不明瞭で不安なのだ
御朱印帳だって
納め終わったら
また
集めることができるんだから 
ひょっとしたら
終わりなどないのかもしれない
始まりさえ
不明瞭ではないのか


途中から母も加わり
三冊になった御朱印帳を
一冊にまとめ、私が完成させよう

私が持っていこうと思っている

あちらへ


先日は
夫に連れて行ってもらって谷汲山へ参った
息子や娘と3人で那智山や勝尾寺や京都へも行った
誘われて友人と宝厳寺にも行った




おうち歴史を綴じた
古めかしい紺色の表紙の一冊
白檀の匂いのするこの御朱印帳を
とてもとても有り難く思う


40年って長い旅だ

最後の最後は奈良の南円堂にしようと思っている
ここへは
母が大好きなところ
何度も参っているにも関わらず
御朱印をもらっていないのは
いつも持っていくのを忘れるのだった



あとから
あら、御朱印帳もらえたのにうっかりやねー、と言っていた
やはり似ているのだ、と
またクスッとなった

どんなときも
クスっと笑うことが、一番の
クスリなのかもしれない


苦しいこと
悲しいこと
嬉しいこと
楽しいこと


それは、私にちゃんと準備されている

笑顔が見たい
みんなの笑顔
私はお利口さんだからね
きっと
待ってくれている
持っていくね
いつか

南円堂の御朱印をもらうまで
まだかかるかもしれないけど




あとがきー

あぁ、ちょっと疲れました!
夕飯は、おつカレー🍛でも食べて
また
お絵描きする


野菜デカい?

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