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人は見たい形でしか世界を捉えられない。

私たちヒトは「見たいものだけを見て、信じたいものだけを信じる生き物」だ。

この事実を知った時、衝撃が走ると共に、深く安心をした事を覚えている。

この現象は、「チェリーピッキング」と呼ばれている。偏見から来るヒトの行動を表したことばの一つだ。簡単に言うと、意識下、無意識下に関わらず、好みのモノだけ選ぶということだ。

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導入「見たいようにしか見えない世界」


私たちが日々の生活の中で無意識に行っていること。

例えば、好きな人の長所ばかりが目についたり、嫌いな人のちょっとした言動が気になって仕方がなくなったり。

この「見たいようにしか世界を見ない」という特性は、時に私たちを苦しめる。

ある日、誰かに対して激しい怒りを感じたとしよう。その怒りの原因は、本当に相手の言動だけだろうか?

もしかしたら、過去の経験から、無意識のうちに相手に「こうあるべきだ」という理想像を押し付けているのかもしれない。

囚われの世界がもたらす負の側面

また、漠然とした不安に襲われることもある。その不安の正体は一体何だろうか?

冷静に考えてみると、自分の思い込みや、見たいように見ている世界の歪みから生まれている不安も多いのではないだろうか。

コミュニケーションにおいても、この特性は大きな影を落とす。私たちは、自分の常識や価値観を基準に他者を理解しようと試みる。


しかし、育ってきた環境や文化が違えば、常識や価値観も異なる。

それにも関わらず、「自分の常識=相手の常識」と思い込んでしまうために、誤解が生じ、関係がこじれてしまうのだ。

では、私たちはどのようにすれば、この「見たいようにしか世界を見ない」という呪縛から逃れ、より良く生きることができるのだろうか?


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可能性の扉から見えてくるもの

まず、自分自身と向き合うことだ。自分の内面に意識を向け、感情の動きに気づく練習を重ねること。

瞑想やマインドフルネスは、そのための有効な手段となるだろう。

そして、自分自身の「見たいように見ている世界」を自覚すること。

自分が何に囚われ、何を信じたいと思っているのかを客観的に見つめることで、初めて私たちは固定観念から自由になれる。

同時に、他者への深い理解と共感も不可欠だ。相手の話に耳を傾け、その背景や文化、価値観を理解しようと努めること。

そして、「自分とは違う」ということを前提に、対話を通して互いの理解を深めていくこと。

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終わりに。無限の色彩と輝きを放つ世界へ

見たいようにしか世界を捉えられないという現実は、時に私たちを苦しめ、傷つけ合い、世界を分断する。

しかし、同時にそれは、私たち人間が持つ想像力と創造力の源泉でもあるのだ。

例えば、私たちが異なる文化や価値観に触れるとき、最初は戸惑いや違和感を感じるかもしれない。

しかし、そこから一歩踏み込み、なぜそのような違いが生まれるのか、その背景にある歴史や考え方を探求することで、私たちの視野は大きく広がる。

「見たいようにしか見えない世界」は、裏を返せば、まだ見ぬ可能性と出会いに満ちた、広大な世界のほんの一部を映し出しているに過ぎない。

私たち一人ひとりが、そのことに気づき、心のシャッターを開放した時、世界は無限の色彩と輝きを放ち始めるだろう。

そして、そのとき初めて、私たちは本当の意味で「繋がる」ことができるのだ。

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