大北和彦 @お墓ディレクター1級

お墓を建てること、が今の仕事です。「言葉」の力に気づいて、それを道しるべにここまでやっ…

大北和彦 @お墓ディレクター1級

お墓を建てること、が今の仕事です。「言葉」の力に気づいて、それを道しるべにここまでやってきました。「書くこと」と「話すこと」が私の裏テーマです。 お仕事のお問い合わせは、http://ohkita-sekizai.com/contact-2 まで。

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死とは、恐るべきことではないのかもしれない。

死んだらどうなるの? ホントに怖かった記憶っていろいろありますが、小6の頃、祖父が亡くなりました。その時の恐ろしさは今でも心の奥底に残っています。 初めて人の死、というものに直面した瞬間でした。 しかも、とても近しい人。 つい先日までは生きていて、会話ができた人。 小さな頃から記憶の中に存在した人。 しかも私をいつもかわいがってくれた人。 そんな近しい人がこの世からいなくなる。しかも、消えてなくなるのではなく、亡骸(なきがら)として明らかに生きていた頃の痕跡を残しつつ、

    • 石材店を見分ける「JISマーク」のようなもの

      先日、お墓の相談の電話に対応しました。「全国お墓相談ダイヤル」の相談員です。つまるところ、お墓に関してトラブルになってしまった相談に乗るわけですが、ほとんどは「石材店」に関するトラブル。 最初は40年前に義理の父(旦那のお父さん)が民間霊園に墓地を買って(永代という名目の所有権を、です)お墓の一部を設置。40年経過しその義理の父が亡くなったのでお墓を建てようか、と、なり相談にその霊園にいったら、担当者が酷い対応で、勝手に相談者の管理名簿を削除してしまい、誰かわからない状態。

      • 「世界に一つだけのお墓」って見てみたい

        そんな噂を聞きつけました。 「世界に一つだけのお墓があるみたいですよ。一度見に来ませんか?」 そういわれて心が動かないのは、お墓のプロとしては失格。 当然興味津々なわけですよ。ちょー前のめりで 「おい、それ場所を教えろよ!!」(と、心の中では思っていたのですが。。。)一見、無関心を装い、 「へ~~、そうなんだ。。。 で、どこにあるの?」と興味なさげに。。。 そのネタを持ってきたのは、ほんの少し取引させてもらっている「南印度洋行」という会社の「放浪しながら吟遊しつつ石屋さ

        • 「お墓物語」という置き土産

          私は石材業界の団体、日本石材産業協会というところに所属していて、 ここは少し変わっております。​ ​石屋さんの全国組織 石屋さんの団体って言えば、 「寺内貫太郎」みたいな親父が集まって仕事のことを相談。で時々、石屋同士でけんかして、そのけんかした同士が親睦旅行で仲直りする、みたいな団体を思い浮かべますが、ここは全然違います。 全国1200社ほどの石材店や関係業者の会員ですから、いろいろな人がいます。いろいろな考えを持っています。中には「商売のタネを探しに」来ている人もい

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        • 松原靖樹さん
          0本
        • 災い転じて福となす
          4本
        • お墓建てる人になるまでの話
          4本

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          「お墓」が失った機能を探して

          こんにちは。 兵庫県豊岡市のお墓のアドバイザー、大北和彦です。 「昔のお墓」と「今のお墓」では機能が全く違うというお話をします。 目次 お墓って何? 「墓」という字をよく考えてみると、 この字は「莫(ばく)」という文字と「土」が組み合わさった文字です。 「莫」とは、くさむら(艸)の中に日(太陽)が隠れて見えない、という意味です。 つまり、土(の中)に大切なもの(太陽の比喩)が隠されていて見えない状態、が「墓」という字です。 あなたにとって、何よりも大切なもの、ご

          「お墓」が失った機能を探して

          「つながり」がないな、と感じた人へ

          人はほとんど何らかの人と繋がって生きています。 何のつながりもない人は事実上、いないわけです。 引きこもりの人も、誰かに食事を作ってもらうか、自分で作るか。 自分で作っているとしても、じゃあその食事代は誰が出しているのか? つまり、必ず誰もが何らかの他者の助けを必ず必要とします。 でも、時として、 繋がりはあるんだけど、繋がりを感じられない時は存在します。 誰からも必要とされていない、と感じた時。 誰からも認められていない、と感じた時。 誰ともつながっていない、と感じた時

          「つながり」がないな、と感じた人へ

          全ての日本人に読んでほしい~「シン・ニホン」安宅和人

          僕らはどんな未来を残すつもりなのか。 それが今、一人ひとりに問われている。 ずいぶん時間かかってしまいましたが、読了しました。「シン・ニホン」安宅和人著。今年、いやこの数年で読んだ本の中で、最も価値ある本だと思います。 この本を読んだ率直な感想。 「焦りとワクワクする気持ち」 とにかく若い日本人。10代、20代、30代。の皆さんに読んでほしい。 「2019年秋現在、日本には不安と停滞感、現実を直視しない楽観、黄昏感が満ちている。悲観論や批判ばかりの人、危険を煽るだけの

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          災い転じて福となす④~ディレクターって何だ?

          第一回「お墓ディレクター1級試験」迫る。 私の心に炎が点火されました。🔥🔥🔥メラメラです。🔥🔥🔥 なぜ。。。それは、私が「意識高い系」だから。。。(^_^;) 新しい資格が出来たなら、獲ろうじゃないの!! 「意識高い系」はそう思うのが当たり前なんです。。。きっと、馬鹿なヤツって思われていることも薄々分かっていますが、もう止まりません。。。 ところで、「お墓ディレクター」ってなんだよ。 簡単に言えば、「お墓のプロの資格」です。(簡単すぎるよ。。。) もう少し詳しくお伝

          災い転じて福となす④~ディレクターって何だ?

          災い転じて福となす③~go hospital

          病院で、ありとあらゆる検査をしていただき、 最後はお尻に指突っ込まれて、判明しました。(汗) 出血性胃かいよう です。 そのまま入院。で、そのまま止血します、と言われました。 どうやって?? 胃の中の出血を止めるの? と思っていると、胃カメラ(内視鏡)を胃に入れて、クリップで止める、とのこと。胃カメラか。。。 実は以前、胃カメラはやったことあったんです。けっこうキツイです。涙なしにはいられません。でも、まあ経験済みなので、さほど心配せず、やりました。 挿入から、30

          災い転じて福となす③~go hospital

          災い転じて福となす②~go home

          「家に帰らなければ。。。」 それだけのために、私の体の全てをフル稼働させる。 めまいは多少ましになったけど、まだ立ち上がったら、世界が傾く。。。吐き気とともに。。。 万全の体制で(倒れるなら草の上(^_^;)  一歩一歩踏み出した。 まるでクララのように。。。 見た目は全く違うけど。 倒れそうになりながらも、倒れた瞬間、トラックのドアのハンドルを掴む、いや掴めて、何とか乗り込んだ運転席。 運転席でしばらく目をつむっていると、めまいと吐き気は納まってきました。大丈夫、少し

          災い転じて福となす②~go home

          小学校、中学校向け卒業式祝辞(PTA会長用) 2014年3月 longversion

          2014年、私が小学校のPTA会長の頃(一番下の子供が卒業したとき)実際に卒業式で話した「祝辞」です。 (実際に書いたのは2013年の夏頃です) 著作権フリーでいいので、卒業式に話すことがないなと思った人は、この文章を使ってください。でも、すごい勇気がいりますよ。長いし、変なエピソート入っているし。。。卒業式自体あるかないかわからないしね。。。 ーーーーーーーーーーーーーー みなさん、ご卒業おめでとうございます。 小学校を卒業される皆さんに一つだけ、誰も知らないけど、知っ

          小学校、中学校向け卒業式祝辞(PTA会長用) 2014年3月 longversion

          私の小さな楽園

          私は田舎の小さな石材店をしております。 三代目の石材店店主です。 私の子どもの頃、まだ昭和40年代後半から50年代前半の頃 石材店もまだのんびりしていた時代でした。 私の父も石材店というより、石屋の親父として、お墓を建てる仕事をしていました。 その父と母の結婚の仲人となって頂いた人は、なんと、石屋の親方でした。 私の父より一回り年上で私の父と祖父とのちょうど間の世代でした。 どちらかというと、私の父は職人肌で無口であまりしゃべらない人でしたが、その仲人の親方、仮に石森さん

          災い転じて福となす~ピンチとは常にチャンスの始まり

          最近自分を深堀りする機会があって、なんと、自分が「意識高い系」だと気づいて、ちょっとショックを受けている、兵庫県豊岡市のお墓と墓石のアドバイザー、大北和彦です。 2004年の話です。 ずいぶん昔の話だな。。。 この仕事初めて9年目だったと思う。 アテネオリンピックで北島康介が「チョー気持ちいい!!」と叫んだり、 イチローがメジャーで大活躍、「冬のソナタ」が大ヒットした、そんな年です。 台風23号がやってきて、豊岡市は円山川が決壊し、大きな被害を被りました。当時工事してた

          災い転じて福となす~ピンチとは常にチャンスの始まり

          私の原点ともいえる体験です【アメブロ過去記事】

          おはようございます。 兵庫県豊岡市でお墓を建てるというニッチで、ローカルなしごとしております。大北和彦です。 今、ホームページに記事をごくたまに(一週間に一回くらい)書いてますが、昨年まではほぼ毎日書いてて、1300くらいの記事があります。お墓のことは書きつくした、といつも考えているんですが、時々書きたいことが出てきて、書いてます。これだけ書いてもまだ出てくるんですね。。。(^_^;) で、実は、これ以前にはアメブロにも書いていて、こっちはもっと自由に書いていて、実は私の

          私の原点ともいえる体験です【アメブロ過去記事】

          お墓を建てる仕事って。。。④~阪神淡路大震災

          父の元で仕事を始めました。お墓を建てる、という仕事。 やりたい、と思って始めた仕事ではなかったので、モチベーションは地の果てよりも低かったです。 ほぼ、9時~17時以外は仕事を僅かでもしたくなかったです。 むしろ、ほんとにずる休みする気満々でした。。。今から思えば、とんでもないですがね。 仕事の本質、というのが全く分かってなかったんです。自分の体を動かしたから、その対価をもらう、でしかなかったんですね。働くって。 でも、これが私のスタート地点です。 働き出して数年目だ

          お墓を建てる仕事って。。。④~阪神淡路大震災

          お墓を建てる仕事って。。。③~何度目かの挫折

          新聞社って、当時就職率は極めて100%に近い売り手市場だったバブル末期の頃でもかなり強気な採用方針でしたね。4次面接か5次面接までありました。4次以降は役員面接という設定の新聞社が多かった気がします。何とか必死に勉強して、3次面接まで進んだ新聞社もありましたが、まあ、結局、新聞社への就職は叶いませんでした。 「さて、どうしよう。。。」 でも新聞社以外は全く就職活動してなかったので、他に就職する宛てもありません。 どうするんだ。。と思いながら、心の中では「家に帰って父の仕事

          お墓を建てる仕事って。。。③~何度目かの挫折