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「つながり」がないな、と感じた人へ

人はほとんど何らかの人と繋がって生きています。
何のつながりもない人は事実上、いないわけです。

引きこもりの人も、誰かに食事を作ってもらうか、自分で作るか。
自分で作っているとしても、じゃあその食事代は誰が出しているのか?
つまり、必ず誰もが何らかの他者の助けを必ず必要とします。
でも、時として、
繋がりはあるんだけど、繋がりを感じられない時は存在します。

誰からも必要とされていない、と感じた時。
誰からも認められていない、と感じた時。
誰ともつながっていない、と感じた時。

誰とも繋がっていないと感じた時(実は繋がっているんですが)、
「もうこれ以上、こんなつまらない映画、見ていられない」と思って、劇場を後にするのかもしれません。「自分の人生」という映画を上映している劇場から。

そんなことは避けたいじゃないですか。
だから、私は厳重に「繋がり」を見えるように何重にも張り巡らしております。


・地元の幼なじみ、小学校の同級生とは稀に会って飲み会をします。
・高校時代はあまり思い出したくない記憶ばかりだったんですが、私が率先して、同窓会幹事をして予想外に盛り上がりました。
・子どもが小学校、中学校時代はPTA活動も行い、会長も務めて、たくさんの仲間を作ることが出来ました。
・そして今、一番力を入れているのは、石材業界の全国組織、(一社)日本石材産業協会です。全国各地の石材店などのメンバーといろいろな事業をしております。

私はこのようにたくさんの友達、知り合いと繋がって生きているという実感を常に持っているので、「人生、楽しくないな~」という瞬間ってほぼないですが、時として、孤独を感じて、死というものに向いてしまう時あります。

人は生きている間は常に「繋がり」を感じていないと生きていけない生き物なのかもしれません。

ずいぶん大変な、しんどい生き物ですね。場合によってはそう感じる人もいるかもしれない。すごくわかります。私もそちら側の人ですから。

20代、30代は敢えて「人との繋がり」を避けてきた、ように思います。それが私の自然な形かもしれません。が、仕事も関係しているかもしれませんが、「人との繋がり」をあえて自分に課して作ってきたのが40台、50代でした。最初は敢えて、だったんですが途中からそれに勢いが加わり、当たり前になって、むしろこっちが本当の自分? となってきたかもしれません。

確かに敢えて、つながりを確認しながらの人生って、荷物をしょっているような、履きなれない靴を履いているような、多少の違和感と疲労感はあるのかもしれません。昔の私がそうだったように。

いい方法があるんですよ。

あなたの繋がりを確認できるものがあるんです。

「お墓」です。あなたのお墓です。あなたのご両親、おじいちゃん、おばあちゃんのお墓です。

たとえ一人も友達がいなくても、
飲みたい時に誘ってきてくれる人が一人もいない時でも、
今日一日、どうしても誰かに話したいことがあっても、付き合ってくれる人がいない人でも、
必ずお父さんとお母さんがいます。おじいちゃんとおばあちゃんが二人ずつ4人もいます。

「会ったことねえよ」という人もいるかもしれません。
「お前なんか生まれてこなければよかったのに」という責任転嫁も甚だしい凶器のような言葉を受けたかもしれません。

でもね、結論を急ぐ前に、確固たる事実を確認しましょう。

あなたを生んでくれたおかあさん、優しい言葉をもらったことないかもしれない。でも、生んで育ててくれたことは事実です。子供を育てるってホントにホントに大変です。

「育ててもらってないよ」という人がいるかもしれません。でも、誰か他の人に育ててもらったはずです。ヒトは育ててもらわなければ生きられません。

その確かな、確固たる証が「お墓」だと思うんですけどね。
誰が否定しようとも、誰が拒否しようとも、お墓がある事実があなたには大切です。そんなあなたにとってのアイデンティティのようなお墓。簡単に粗末にあつかっていいのでしょうかね。

ここはよく考えてほしい部分です。

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