見出し画像

私の小さな楽園

私は田舎の小さな石材店をしております。
三代目の石材店店主です。
私の子どもの頃、まだ昭和40年代後半から50年代前半の頃
石材店もまだのんびりしていた時代でした。
私の父も石材店というより、石屋の親父として、お墓を建てる仕事をしていました。

その父と母の結婚の仲人となって頂いた人は、なんと、石屋の親方でした。
私の父より一回り年上で私の父と祖父とのちょうど間の世代でした。

どちらかというと、私の父は職人肌で無口であまりしゃべらない人でしたが、その仲人の親方、仮に石森さんと呼びますが、その石森さんはどちらかというと、私には優しく、いつもおやつをくれたり、声をかけてくれたり、
大好きな大人の人でした。

父と石森さんとは、とても馬が合うらしく、いつも一緒に仕事をしていました。そして、その石森さんの工場へ父は私を助手席に乗せて、軽トラックでよく通っておりました。

石森さんの工場はとても狭く、雑然としていました。
いろいろな道具があり、石の加工の道具もあったんですが、
町中にあり、近くには寺院があったり両隣は民家が迫っていて、当時だからあまり気にせず仕事が出来たんでしょうが、今ならとても石材の加工による騒音や粉じんで苦情が来るはずの工場でした。

私は、その石森さんの工場が好きでした。

狭くて、雑然としていて、ほこりだらけでしたが、いかにも石屋さんらしい道具が揃っていて、その中で、石森さんはいつもいつも、粉じんで体中真っ白になって石と格闘されていました。そして、私が行くと、その真っ白の顔でニコッと笑われるんですよね。
それがなんだか、すごく好きでした。

お菓子をくれたり、近くの丹後屋さんという食堂でラーメンを食べさせてくれたり、とにかく、父の隣に乗って石森さんの工場へ行くのがその当時一番の楽しみでした。

石森さんの工場の裏は公園になっていて、巨大な樹が茂っていました。
その脇の路地を隔てて隣は散髪屋さんで、私も時々その散髪屋さんで散髪してました。その隣は魚屋さん、自転車屋さん、食堂、おもちゃ屋さん、石森さんの奥さんがやってた雑貨屋さんなどが軒を並べていました。

そして、石森さんの工場の前の通りは寺町通りと言って、大きなお寺が何軒かあり、飲み屋さんもあり、商店街の裏通りとなっていました。
私の父の工場はどちらかというと田舎の石屋だったので、その町中の雰囲気がすごく新鮮で、とにかくいろいろ目新しいものがあり、店があり、とても楽しい場所でした。
幼いころ、病院で長い入院生活を過ごしていた私にとって、友達は少なく、遊ぶと言えば一人遊びばかりだった私を不憫に思った父が時々連れて行ってくれた石森さんの工場。

そこで、真っ白になりながら、お墓を作り、
お墓の文字を彫刻されていた石森さん。
「なかなか上手く彫れないな。。。」って言いながら。
時間をかけて、丁寧に、文字を彫刻されていた石森さん。


そんな石森さんの小さな工場は、私にとって、小さい頃の楽園であり、一番のお気に入りの場所でもありました。

あれからもう40年以上、石森さんも亡くなり、父も亡くなり、私の小さな楽園は、月極駐車場となってしまいました。

寺町通りのお寺のお墓工事に行くことがごくたまにあります。
帰り道、私の小さな楽園だった石森さんの工場跡の前をゆっくりと通りながら、お墓と向き合っていた石森さんの姿を思い出すとき、私はお墓を作っているときはいつも石森さんの背を追っているように思えます。

「なかなかうまく彫れないな。。。」って言いながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?