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介護の言葉⑩「年齢に不足はないのでは」

   この「介護の言葉」シリーズでは、家族介護者に対して使われたり、また、介護を考える上で必要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

   今回は、第10回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います。


(私自身の経歴につきましては、このマガジン↓を読んでいただければ、概要は伝わると思います)。

    この「介護の言葉」シリーズとしては、今回は、かなり個人的な感覚ですし、もしかしたら、広く使われていない可能性もありますし、反発を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも、お伝えしたいと思いました。

 もし、ご意見や疑問などがありましたら、お伝えくだされば、うれしく思います。

「年齢に不足はない」

 亡くなった方に対して、それは、亡くなった人やそのご家族と関係が近い場合に限られるとは思うのですが、長寿の方、例えば、90歳を超えた方が亡くなった時に、「年齢に不足はないでしょ?」といった言葉がかけられることがあります。

 それに対して、以前の自分でしたら、そんなに異論はなく、例えばそんなに介護が必要でもないまま、亡くなられた場合でしたら、特に同意していたような気がします。

 その上、100歳を超えて亡くなった方がいらっしゃった場合には、「100歳を越えると、おめでたいと言ってもいいのでは」というような声を聞いた記憶があります。

 こうした「年齢に不足はない」や「100歳を超えると、亡くなってもおめでたい」といった言葉を聞いたのは確かですが、もしかしたら、私が知っているだけのことで、狭い世界の常識なのかもしれません。それでも聞いた時には、それほどの抵抗感もなく、そんなものかと思っていました。

言葉への違和感

 ただ、それは、自分が介護を始めて、介護を続けていく中で、こうした言葉に関して、微妙に違和感を抱くようになりました。もしかしたら、それ以降は、聞く機会自体が減っていたのかもしれません。

 介護を始めて8年がたって、母親が亡くなった時、まだ(というのは違うかもしれませんが)80歳前半になったばかりということもあり、「年齢に不足はない」といったようなことを、思いませんでしたし、言われることもありませんでした。

 さらには、介護を続けて19年がたってから、義母を亡くしました。
 その時には、103歳でした。
 それでも、その時に「100歳を越えるとめでたい」という気持ちにはなれませんでした。

 家族介護者の勝手な発想かもしれませんが、その時の義母は、まだ数年は生きると思っていました。何の根拠もないのですが、いつまでも続くと思わないと介護は続けられないということもあるでしょうけれど、たぶん、あと数年たって亡くなったとしても、同じような気持ちだったのかもしれません。
 
 義母は、亡くなる直前まで、自分で食事をとっていましたし、意識を失う朝も食事をして、いつものようにデイサービスに出かけたせいもあって、余計に、亡くなったことが突然で、家族として、飲み込めなかったのかもしれません。

 もし、その時に「100歳を超えたら、おめでたい」と言ったことを言われたら、その場で怒りはしなかったと思いますが、でも、何か嫌な思いになってしまった可能性はあります。

 ですので、「年齢に不足はない」「100歳を越えて、亡くなるのは、おめでたいと言ってもいいのでは」という言葉は、もしかしたら広く使われていないから、余計な心配になるかもしれませんが、でも、使うには、慎重になった方がいい言葉だと思います。

遺族への言葉

 著者は、2007年に「遺族外来」を設置しているのですから、かなり先駆的な試みだとは思います。その一方で、潜在的な需要はかなりあったことも想像ができます。

 この書籍は、介護をした家族ばかりが取り上げられているわけではないのですが、家族を亡くした遺族が、その後、心身ともに調子を崩すことがあり、そのきっかけの一つとなるのが、周囲からの「言葉」であることが少なくないのを、豊富な例とともに書かれています。

 遺族が言われて「傷ついたこと」や「嫌だったこと」も、遺族外来の医師によって、あげられています。これは、今でも「悪気なく」かけられている可能性があることだとも思います。

「落ち着いた?」「気持ちの整理はつきましたか」
 これは遺族に対して探りを入れているだけで、何の慰めにもなりません。落ち着いていない時、気持ちの整理がついていない時はどう答えればよいのでしょうか。
「元気そうね」
 死別から半年〜一年ぐらいの遺族が言われて傷つく言葉の一つです。
「あなたの気持ちは分かります」
 相手に対して共感の気持ちを出していますが、多くの遺族が嫌がる言葉の一つです。
 遺族の周囲の人は(中略)「悲しみに浸る時間を持たせてほしい。そっとしていてほしい。寄り添っていただくだけで十分です」を忠実に守ればいいのです。

 ただ、こうしたことが「常識」になるまでは、まだ時間がかかりそうですので、今、著者はこのような工夫↓をされていますが、これは、もしかしたら、家族を亡くし、介護が終了し、遺族となった方にも、場合によっては必要なことかもしれません。

 遺族を教育し、詮索されても心が傷つかないようにするしかありません。

介護を終えた家族

 こうした出来事とは別に、特に家族介護者に共通することとして、介護中と、介護後の環境の違いが気になることがあります。

 これは、「介護の言葉」というテーマとは直接関係ないのかもしれませんが、介護中は、介護サービスや、医療との関わりがありますから、多くの場合は、ケアマネージャーや、介護士や医師や看護師など、その利用者本人だけでなく、家族介護者も、気がついたら多くの人との交流ができている場合も少なくありません。

 それは、時には煩わしいこともあるかもしれませんが、一緒に介護をしている「仲間」のような気持ちになることもあると思います。

 それが、介護が終わった瞬間に、そうした関係者は、潮が引くように一斉に目の前からいなくなってしまいます。介護関係者も、医療関係者も、介護が必要な方に対してサービスを提供しているので、それは当然のことなのですが、家族介護者が、これで一人暮らしになってしまう場合は、あまりにも環境の変化が激しくなってしまいます。

 そこも何かしらの形で、継続して支えられれば、と「介護相談」をしながら、いつも考えているのですが、介護の専門家の方々も、お忙しくて難しいとは思いますが、介護終了後の家族介護者にも、様子を見ながら、声をかけていただく機会を作っていただければ、と勝手ながら思っています。

 ただでさえ、介護終了後は、家族介護者は、心身ともに調子を崩しがちなので、そうした心遣いによって、メンタルヘルスの維持に大きく関与すると思いますが、いかがでしょうか。

 その際に、どのような言葉をかけたらいいのか?ということも含めて、今回、少し考えをすすめられたように思います。


 今回は、以上です。

 私だけでは、まだ、見えていない点も多いかと思います。
 いろいろと疑問点、ご意見などございましたら、コメントなどで教えていただければ、とてもありがたく思います。
 よろしくお願いいたします。




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