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介護の言葉⑤ 「そのうち、いいことあるわよ」

  この「介護の言葉」シリーズでは、家族介護者に対して使われたり、場合によっては、直接言葉としてかけられたり、また、介護を考える上で必要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

  今回は、第5回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思います。よろしかったら、読んでもらえたら、ありがたく思います。

 これまでも、かなり、「それがどうして、言葉をかけられた方の負担になるのか?」という疑問が出てくるようなことが多かった気もしているのですが、今回も、特にそう思われそうな言葉です。

「そのうち、いいことあるわよ」

 女性言葉のようになっていますが、確かに私自身も女性の方から言われることが多かったということが、まずあります。男性は、そういう言い方をしないというか、そもそも介護関係のことに自分自身が関わっている以外の場合に、話題になる確率が低い、という印象もあります。

 そして、この言い方自体が、かなり共感的というか、本当に、こちらの気持ちに添おうとしている場合が多いのも事実です。


 それでもなお、「そのうちいいことがある」という言葉については、こんな出来事があって、印象に残っています。

 もう10年以上前のことになりますが、ある女性介護者と話をしたことがありました。私自身も、まだ家族介護者の頃です。

 最初は、普通のトーンで話をしていて、そんなに大変なんですね、といった気持ちで聞いていたのすが、急に涙を流しながらの言葉になったのは、こんな話題の時でした。その人は家族を介護し、終ると次の介護がやってくる、という何人もの介護をされた方でした。

「そんなにみているんだから、そのうちいいことあるわよ、と言われるんですよ」。

 どうして、その言葉が、涙につながるのか。その涙は嬉し涙というよりは、その口調も含めて、やはり辛さにつながることのように感じましたし、同時に、それがどうして辛さにつながるのか、といったことを、わざわざ聞くこともできず、ただ聞いていました。それは、本当に何人ものご家族を介護されてきた方しか分からないような大変さだということを、話を聞いて、想像するしかない時間でした。


 私自身も、介護をしている時に、「そのうち、いいことがあるわよ」と言われたことがあります。それは、複数の方から言ってもらいましたし、善意な上に、私のことを、本当に考えてくれて、それこそ心配までしてもらっていたので、恐縮しつつも、ありがたい気持ちにはなりました。

 それでも、なんとなく微妙な違和感がありました。介護をしていて、余裕がない時は、そのことを考える気力もなかったのですが、その女性が涙を流すのを見て、「そのうち、いいことがある」には、やっぱり、どこか辛さにつながる可能性があるのだと改めて思いました。。

どうして「そのうち、いいことがある」が負担になるのか?

 介護が長くなると、介護の終わりを願うのは、要介護者の死とイコールでもあるので、それを思うこと自体が自責の念につながることもありえます。

 それもあって、いつしか、介護の終わりのイメージにつながることもある「そのうち」を思考するのを避けるようになるのが、家族介護者の傾向のようにも思います。


 さらに、介護の期間が長くなればなるほど、家族介護者の意識は、介護を続けていくこと自体だけに集中するようになり日常的な感覚から少し遠ざかることにもなりますが、そうしないと、「いつまで続くかわからない」介護環境に適応するのは難しくなるはずです。

 介護が長くなるほど、大変なことばかりではないとはいえ、やはり辛い出来事は増え、記憶も蓄積されます。その中で、「そのうち、いいことがある」という希望を持っていると、どこかで「いいこと」を待ってしまうこともありえます。

 ただ、5年、10年と介護が続き、疲労が蓄積される中で、希望を持って、かなえられない、というのは、負担だから、それならば、最初から希望を持たないほうが気が楽、それよりも目の前の介護のことだけを考えたい。という状態になっていくのではないでしょうか。「そのうちいいことがある」というのは、あくまでも、日常的な感覚の時に生きてくる言葉だと思います。

 繰り返しになりますが、わたし自身も、善意から「そのうち、いいことがあるわよ」といったことを言われたことがあります。その気持ち自体は、嬉しく、お礼もいいましたが、その言葉自体には、微妙なもやもやが残ったのは、おそらくは、そういう理由ではないか、と思います。

 そんなに厳しい介護環境でなかった私でさえ、そう思うのですから、涙を流しながら話をしてくれた人のように、介護が終わったと思ったら、次の介護が始まり、さらに、その次も、という時間の中にいる人にとっては、いいことがある、と思っていたら、それこそ、介護が続けられないことを、わかっているのかもしれません。

 厳しい介護環境にいる人ほど、希望を削り、未来をあきらめるような毎日を過ごしている印象があります。それも辛いのですが、「そのうち、いいことがある」と思って、それが叶えられない日々を過ごしたほうが、辛くなることが多いのを、介護の最中にいる家族介護者は、肌でわかっているのかもしれません。

今の状態を見ていない可能性

 「そのうち、いいことがある」日常的な希望を持っていると、「いつまで続くか分からない」介護生活には、かえって辛くなるのではないだろうか、という印象を持ったのですが、「そのうち、いいことがある」を言われて、微妙な気持ちになるのには、もう一つ理由があるかもしれない、と思うようにもなりました。

 「そのうち、いいことがある」と言う言葉の「そのうち」に関しては、介護をしている時間は、含まれていないように思います。介護後に、「いいことがある」というニュアンスが強くないでしょうか。

 私自身の個人的な経験に過ぎませんが、介護のことを聞かれて、答えると、特にややハードな状況の時の話は、聞き手の気持ちが、少しひいていくのを感じることは少なくありませんでした。それでも、相手の方が、何か言わないと、という励ましの気持ちがある場合に、「そのうち、いいことがある」と、言われていたように思います。

 だけど、考えたら、大事なのは、いつも「いま、ここ」で、ましてや介護をしていると、過剰適応かもしれませんが「いま、ここ」だけへの集中力が増しています。「そのうち、いいことがある」と言われるのは、「いま、ここ」の否定と表現するのは、言葉が強すぎるのかもしれませんが、少なくとも、微妙に目を背けられているような印象を受けました。

 それは、場合によっては、善意から発した言葉にもかかわらず、介護の間は「いいこと」はない、と言われているような気持ちになる可能性もあります。それで、「そのうち、いいことがある」は、励ましのようでいて、何かもやもやしたのだと思いました。

 もちろん、そうした言葉をかけてくださった方々を、責めているのではありません。言葉を向けてくれる方々は、すごく善意もあって、なんとか力になりたいと思うから、そう言ってくれたので、今でもありがたい気持ちはあります。

では、どう言えばいいのか?

 たとえば、家族介護者の方が、今の介護のことを話しているというのは、聞き手を信頼しているのだと思います。基本的には、その状況を想像できるように、ただ聞くのがいいのではないでしょうか。

 かなり具体的に細かく語ることがあるかもしれませんが、その語り方が細かいほど、辛さが強い傾向があると思っています。辛さは「つらい」という言葉よりも、その細かい描写にこめられているような印象があります。

 聞き手の側が、何かを語るとすれば、聞いていて、大変そうなことがあったら、できたら自然にねぎらったり介護に対しての具体的で控えめな賞賛の言葉のほうが、届くように思います(もちろん、個人差はあります)。それは、話をきちんと聞かないと、出てこない言葉だから、かもしれません。あくまでも、本当に思った時に、その言葉が、届くような印象もあります。

 今回も、「そこまで気を使わなくてはいけないのか」と感じられたかもしれません。ただ、厳しい介護環境にいる家族介護者にとっては、周囲の方の一言によって力づけられたり、逆に傷付いたりすることがあると思いますので、言葉に関しては、少しでも気を使っていただければ、ずいぶんと変わってくると思っています。


 今回は以上です。
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