見出し画像

「家族介護者支援を、改めて考える」⑳「介護者支援」の必要性を感じた「原点」から振り返る(前編)。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることが出来ています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


家族介護者の支援について、改めて考える

 この「家族介護者の支援について、改めて考える」では、家族介護者へ必要と思われる、主に、個別で心理的な支援について、いろいろと書いてきました。

 ただ、当然ですが、「家族介護者支援」ということを考えた時に、そこには、様々な幅の広い要素や、今まで少しは知っていたつもりだったことに関して、実は、とても考えが足りないことに気がつかされることもあります。

 もしくは、現状について、これまでのことをもう一度、できれば丁寧に振り返ることによって、「家族介護者支援」について、自分の何が足りないのか。を改めてわかるかもしれません。

「家族介護者支援」に関して、細々とながら仕事として関わるようになって10年目を迎え、改めて考えようと思いました。

原点

 この20年間、介護に関わってきました。

 最初は、家族介護者として、途中からは細々とですが、支援者としても介護に携わってきました。

 そして、ずっと家族介護者には心理的で、個別な支援が必要という思いは変わっていませんし、そのための支援をしてきましたが、そうした思いを強く持っている専門家には、ほとんど出会った記憶がありません。

 ですから、自分でそうした専門家になろうと思って、幸運なことに介護者の心理的支援をする相談窓口で細々とながら仕事を始められて10年が経とうとしています。

 私は、自分にできることをしていけば、それは微力ながら、少しでも介護者の力になれるかもしれない、ということは、具体的な実践で続けてきたつもりです。

 そして、同時にこれももっと小さな力ですが、介護者の心理の理解を少しでもしてもらうために(自分が代表しているとは思いませんが、自身の経験や研究や支援の経験も含めて)伝えようとしてきましたが、 この年月での誤算は、そうした支援の窓口も、介護者の心理の理解も、思った以上に広がらなかったことです。

 そう考えると、自分の考えてきたこと自体が、もしかしたら違うのかもしれないなどと思うこともあるので、もう一度、その原点から振り返り、それを伝えることでも、少しでも介護者への理解が広がるかも、とも思いましたし、介護者の心理的支援の必要性を、繰り返しになりますが、伝わるかもしれないと考えました。

 今回は、できたら少し丁寧に振り返ったほうが、その必要性が伝わると考えましたので、前編と後編にわたり、少し長くなり申し訳ないのですが、読んでくださると、ありがたく思います。

介護のはじまり

 何度も繰り返しになって申し訳ないのですが、1999年に親に介護が必要になりました。当初は、何もわからず、あれが路頭に迷う感覚だとあとになって思ったほど、自分がどこにいるのかもよく分からず、とにかく起こったことへ対応しようとするの繰り返しで、だから、頭で考えている、というよりは、体が反応して、やっと介護をし、自分もなんとか生きている、という状況だったと思います。

 毎日のようにメモをしていたので、それは、気持ちを少しでも楽にしようとする行為のはずでしたが、そのおかげで、その当時のこともなんとか思い出せるのですが、もしも、そういう記録がなければ、あまり記憶がなかったと思います。

 それだけ、ただ必死でした。

 自分の気持ちが動かずに、まるでロボットのような感じがすることもありました。

 そういう混乱の中にいて、そして、怒りも強かったように記憶しています。それは、考えたら、かなり危ない状況だったようです。

 そして、どうやら、こうした心理状況は、私だけではなく、突然(だいたいが急ですが)介護が始まって、家族介護者にならざるを得なくなった介護者には、共通することなのではないか、と思うようになりました。

 それは、まるで介護者になった当事者としては、体感としては災害(という表現は適切でないかもしれませんが)に巻き込まれるような「異常事態」に近いのだと思います。

 そういうことさえ、その時は気がつかず、ただ何もわからずに必死でした。

ヘルパー

 少しでも介護のことがわかるかもしれないと考え、地元の社会福祉協議会の主催するヘルパー(訪問介護員:現在はなくなった資格)講座を受講しようとして、何度も応募ハガキを出して、当選して通えるようになったのが、介護生活に専念するようになってから、4年目の頃でした。

 ヘルパー3級、2級と続けて受講して資格を取得することができ、さらには、一緒に受講した同期の方々とも、一緒にお茶に行ったり、何年か後まで同期会のような集まりもあったので、とても恵まれていたと思います。

 そして、社会福祉協議会での講義での講師の方々にも恵まれていたことを、後になって知るのですが、それでも、その講義中に、時々、引っかかることもありました。

 例えば、細かいことかもしれませんが、教材ビデオの中で、在宅介護での様子を再現する場面で、“家族が介護を続けたのですが、素人のため歩行が困難になりました”といった言葉が流れたときは、「素人」という表現が、やはり気になりました。

 ただ、そんなことを話しても、え?何が問題なのでしょうか?といった反応がほとんどで、それはそうだろうとも思うのですが、同じように、違和感を覚えていた人が一人だけいらっしゃいました。その方も、家族の介護をされていました。

 その方と話すと、その違和感については、共有できましたし、もし、この教材ビデオのような視点での専門家に支援してもらったとしても、なんとなく嫌な気持ちになるのではないか、といった予感までしました。

 こうしたことが、どうしてそこにいる多数の人、それも介護の専門家になろうとする人たちに自然に理解されないのか。それは、この時点でシンプルに、ただ不思議な気持ちがしていました。

専門家

 ヘルパーの実習があり、それは、利用者の方のお宅を訪ねていくプロのヘルパーの方に同行して、その補助をするというものでした。

 そのとき、そのプロの方は、当時の私よりも年下だったので、相手の方が、やりにくいのでは、とも思ったのですが、その人は、とても的確な距離感と、あとは何しろ現場での仕事ぶりは手早く、しかも、利用者との会話なども含めて、親切な感じがしていて、すごいと思っていました。

 同時に、私は、その頃はすでに40歳になっていたので、年齢のこともあるし、とてもああはなれないという凄みのようなものも感じていました。

 それで、その実習の移動の最中に、こちらのことも聞いてくれました。それは、無駄に緊張させないという心配りだったと思いますし、まだ、いわゆる働き盛りの男性が、こうした実習を受けているのが珍しかったせいもあるかもしれません。

 そのとき、自分の母親に介護が必要になったので、少しでも参考になるかと思って、といった話をしたのですが、そのとき、「受け入れるのが大変だったのでしょう?」と、柔らかく聞かれました。

 それは、ねぎらいも気遣いもされている言い方で、それ自体はとてもありがたかったのですが、その言葉の内容自体が、一瞬、何を言っているのかわかりませんでした。

 どうやら精神症状の母親を介護している息子、という存在に対して、母親の変化を受け入れられない、というような常識が、介護の専門家の間で共有されているようでした。

 それは、勉強している人ほど、その傾向が強いみたいだったのですが、そのことを少し知ったときに、何か、妙に力が抜けて、ガッカリしたことは覚えています。

 すでに、症状が出ていたとして、その人を介護しないといけないとしたら、受け入れるとか、受け入れないとか、の前に、まずは、その人の不快をなるべく減らしたい。さらには、どうすれば、少しでも精神的にも安定するのだろう、そういうことを考え続けていました。

 その前に、病院の対応にミスもあったので、医療関係者も信用できなくなっていたせいもあるかもしれませんが、どうして、介護をする人のことは、理解されないのだろう、と感じるようになっていました。

 介護保険の制度も始まっていましたが、当然ながら、介護を受ける高齢者の方が中心であり、介護をする家族に関しては、その背後に見えているから、興味の中心にはないのかもしれない、とは思っていました。

 ただ、そういう引っ掛かりが、その後10年以上も、ずっと続くとは、その頃は思っていませんでした。

がんばらない介護

 介護に専念する時間で、孤立感と孤独感は両方とも強く感じていました。

 ヘルパーの資格はとったものの、ただ家族の介護をしているだけで精一杯で仕事としてはできませんでした。その時間があれば、家族の介護のために使いたい思いでした。

 介護を始めたのが、私自身が30代後半で、同年代で介護をしている人がほとんどいなかったことも、孤立感や孤独感とも関係あると思います。さらには、私自身は心臓の発作を起こしたこともあって、仕事を続けるのを諦め、介護に専念せざるを得なくなった生活も、より孤立感を強めたようでした。

 幸いにも、母の年金や、父が亡くなった後に残してくれた貯金もあり、少なくともそれがなくなるまでは、介護に専念しようと思っていました。そのあとのことは考えないようにしていて、ダメなら死ねばいいや、的な発想でしたから、あとから考えれば、やはりどこか「異常な心理状態」だったと思うのですが、その時の自分にとっては普通の選択でした。

 介護の途中で心房細動の発作を起こし、それは過労とストレスが原因で、次に大きい発作を起こしたら死にますよ、と医師に言われ、仕事と介護の両方はできないのは明らかでした。しかも、母だけではなく、妻の母親である義母にも介護が必要になってきたから、という理由もありました。妻と二人で介護に専念する年月が続きました。

 誰かに、自分たちのことを話すと、あまり肯定的に捉えられることも少なく、優しい説教を受けることもあり、そのうちに人と会うことも避けるようになっていきました。

 介護年数が長くなるほど、ケアマネージャーや、介護福祉士や、ヘルパーなど、介護の専門家や、医師や看護師とも知り合うようになり、そして、話すことは、介護を受ける母や、義母のことが中心であり、自分たち介護をする人の話はほとんどする機会はありませんでした。

 それは、時々、今の辛さのようなものを話をしても、具体的に介護サービスをどうするのか?といった話はされましたが、介護者の気持ちそのものを聞かれることはありませんでした。それが、介護に関わる専門家の正しい姿勢だとは思っていましたが、なんとなく、モヤモヤがたまっていったような気がしていました。

 それでも、マスメディアなどで、介護者へ向けてのアドバイス的な言葉に接することもありました。それを見るたびに、そうした発言をする方々の立派な肩書きを見ながら、どうしてこんなに介護者の気持ちは理解されないのだろう。と思いながら、理解されることに関して、諦める気持ちにもなっていました。

 ただ、2000年代初頭に、特定の誰か、というよりも、一種の流行のように言われていたのが「がんばらない介護」で、それを聞いた時は、明らかに心の中で怒りがわいていました。

 その言葉を発している人に、こんな言葉を心の中で、吐いていました。

「そんなことはわかっている。頑張らないで済むなら、そんないいことはない。だけど、頑張る以上のことをしないと、今の介護はできない。もしも、がんばらないで済むようにさせたいのだったら、それを言っているアナタが、週に1度でも3時間でも来てもらって、代わりに介護をしてもらえませんか。それならば、ほんの少しですが、がんばらないで済むかもしれません」。

 そんなことを思っても、考えても、無意味なことだと分かっていました。だけど、そういう怒りは、どうあっても家族介護者の気持ちは理解されないんだ、という確信になっていったと思います。

この先も変わらない

 10年間は、ただ介護をしていました。

 病院に通って、母の「通い介護」をし、家に帰ってきてからは義母の在宅介護をしていました。家族以外にはほとんど人に会わず、そして、状況を説明しても、下手をすると説教されることになるので会いたくなくなっていきました。

 土の中で、さらに息を潜めて生きているようでした。

 そんな時、ふと死にたくなる気持ちに襲われる時がありました。あとから考えると、それは、先が見えすぎるような気がしたときでした

 毎日、介護だけをしていて、そして、この生活が続くのは確実です。もちろん介護をしている相手-----母親、義母が亡くなれば、介護は終わります。

 だけど、その頃は、全くそのことは考えられませんでした。だから、ずっとこの介護だけをする生活は続いて、そして、その生活は、確実に負担が増えるのだけは分かっていて、だから、ただ介護が続くだけではなく、その毎日は、重みが増えていく日々です。

 同じような介護の作業をしていく自分の姿が、無限に続くイメージがやけに明確になって、そのことに怖くなることもありました。

 その変わらない、という絶望が人を死にたくさせる、ということはあると、あとになって知りました。

 このとにかく終わらない。というのが、特に介護のもっとも厄介な負担感であることが、介護者の間では、かなり一般的であることも、やはり後になって知りました。介護の肉体的な負担にはなれても、この終わらない時間には慣れることはできませんでした。

 その頃、ある意味で不遜かもしれませんが、とてもわかるような気がしたのは、収容所生活を書いた本でした。

 終わりが分からない生活が人間にとってもっとも辛いことである、というのを、きちんと書いている本だと思いました。

 こうしたことを考えてくれる介護の専門家は、私の知る限りいなかったと思います。

セルフヘルプグループ

 年月が経つほどに、介護の行為にも慣れてきましたし、少しずつ同じように家族を介護する人たちと知り合うようになりました。母の入院する病院で、患者さんへ渡す誕生日カードを制作するボランティアを始めるようになり、それまで自分は大変だと思っていたのですが、他の人たちは、みなさん優しく柔らかく接していただいたのですが、少し話を聞くと、私どころではない大変な介護生活をされているようでした。

 そういうことを、他の方は比べることもないのですが、私はひそかに、自分は大変だ、などと思っていたことが、恥ずかしくもなりました。さらには、そのボランティアの場所にいる人たちは、病院へ家族に入院してもらい、そこに「通い介護」をしている方達ばかりでした。

 少し話すと、これまでにあまり経験したことがないほど、こちらの話を理解してもらえる感触がありました。表立って、同情したり、大変ね、と言われることもないのですが、そのことで、とても救われる気持ちになりました。そのうちに、何か困ったりしたことも話すようになり、それを聞いてもらえるだけで、気持ちが少し楽になったように思いました。

 これまでは、そうしたことを話す機会には、何かアドバイスをされたり、ひどいときは、私の介護に専念する選択は、自分の将来を捨てるようなものだといった「正論」を言われたり、「説教」に近いことまでありました。

 それは、プライベートでもありましたし、それよりも、介護の専門家に言われることがつらく、もちろん口調は優しいものではありましたが、とても気持ちは重くなり、だんだん、人と話すのが嫌になりました。

 だから、同じような境遇にいるボランティアでお互いに話すと、こんなに気持ちが違うのが不思議なくらいでした。自分でも、他の人の話を聞くようになり、さらには、同じような、介護の時に遭遇する困ったことに対して一緒に話をして、それで共感を得たりすることもありました。

 そういう時間が月に1度あるだけで、最初は分からなかったのですが、少しずつ自分が変わっていくようでした。それは、死にたいと、ふっと思うことが少なくなっていた変化でもあったみたいです。

 あとで、こうした集まりはセルフヘルプグループに近い働きをしていたことを知りました。そこで知り合った方々には、その後も、とてもお世話になっていて、ずっと感謝しています。


精神的な支え

 自分が感じていた辛さや、悩みのようなものは、自分だけのものではなく、そこにいらっしゃった何人もの介護をされている方々にも、共通する気持ちがかなりあることを知りました。

 ほとんどの方が、在宅介護も経験され、身体介護や認知症の介護など、さらには、私は母親と義母を介護していましたが、親子だけではなく、夫婦や、義理の親など、様々な関係の方を介護されていました。

 だから、もちろん違いはあるのですが、特に「いつまで続くのか分からない」ことに関しての負担感や、さまざまな専門家と接することによって生じてくる「介護をしないと分からない」違和感に関しては、一緒にため息を吐くように話したこともありました。

 そんな時間を重ねることで、介護の行為に関しては、一概には言えませんし、もちろん大変さは変わらないのですが、どこか慣れることがあるようだと思いました。それに比べて、精神的な辛さのようなもの、特に「いつまで続くか分からない」ことや、「介護をしないと分からない」というような無理解に接する辛さのようなものには、慣れることは難しいようでした。

 その点については、私自身も感じていたのですが、他の方々にも共通することのようでした。

 そして、精神的な辛さをなんとか和らげていたのは、たとえば、私の場合は、一緒に介護をしている妻がいましたし、そして、こうしてボランティアで知り合った、同じように介護をしている方々は、30代後半で介護を始めていた私よりも、もっと大人の方々で、それもあって、とても適切に気持ちを支えてもらったように思います。

 それはのちにセルフヘルプグループの働きをしていたのを知るのですが、これだけ、共感してもらえるようなグループが自然にあることが、とても恵まれていたことも、同時に知るようになりました。

 だから、介護をしている人にとって、介護の行為の負担を減らすための介護保険は必要なのはわかりましたし、病院など医療関係者にとても助けられていて、そうしたシステムがなければ、とても介護を続けられないのは事実ですが、やはり5年も、10年以上も介護生活を続けるためには、精神的に支えるシステムが必要だと痛感するようになりました。

 それも、グループだけではなく、場合によっては、1対1できちんと理解してくれる、もしくは理解してくれる相手がいれば、かなり違うのに、と思うようになりました。

介護殺人のニュース

 こうした時間の中で、介護殺人や介護心中のニュースは途切れることなく、目にしていました。その話を聞くたびに、他人事とは思えませんでした。自分でも、際どい瞬間はありましたし、これから介護の負担が増えるのが確定しているのに、本当に、そうした事件を起こすことなく、介護を続けられるかに関しては不安でした。

 もちろん、自分が介護をしているから、こうしたニュースに敏感になっているのはわかりましたが、想像していた以上に、こうした事件が多いとは思っていました。そして、他人事ではない、などと思うことが、今は、幸運にも事件を起こさずに済んでいる介護者の不遜な発想なのだろうとも思っていました。

 ただ、誕生日カード作りのボランティアの場所で、こうした事件のことも話題になるのも少なくなかったのですが、全くの他人事と捉えている人はいませんでした。それだけ、それぞれの人が、私よりも色々な意味で大人の人たちも、やはりぎりぎりであることに変わりはないのだと感じました。

心理の専門家

 この先も変わらない、というより、同じようなことを永遠に続ける毎日がやけにはっきりとイメージできて、さらに、その負担感が増すことはあっても、減ることがないのも自然なことで、それが見えたような気がしたとき、絶望というような気持ちになり、こんな未来しかないのだったら、全部を終わりにした方がいい、と冷静に思ってしまうようなことは、どうやら、介護者であれば、多くの人が経験する気持ちのようでした。

 ただ、私は、一緒に介護をしていた妻だけではなく、ボランティアのグループで、同じような立場の家族介護者の方と知り合ったおかげで、そこで月に1度は一緒に作業をしたり、話をしたりすることで、なんとなく気持ちが分かってもらえるような思いになったせいか、そのせいで、全部終わりにしたい、といった気持ちが少しずつ薄れていたような気がしました。

 さまざまな介護の専門家がいて、私は介護保険が始まってから介護を始めて、ケアマネージャーという「新しい」専門家にも、もちろんサポートをしてもらい、母は入院を続けていたので、そこで医師や看護師や介護の専門家とも知り合うようになり、さらには、義母の在宅介護でデイサービスや、ショートステイを利用するようになって、そこでもさまざまな専門家とも関わるようになりました。

 そういう中で、私たち家族介護者に対して、アドバイスをされることもありました。それは、どの言葉も本当に正論で、私自身の知識は、ヘルパー2級の資格を取得したくらいで、仕事として介護をしたことはなかったのですが、そうした言葉の数々が正しいのは分かってはいました。だけど、毎日がギリギリで、もうこれ以上はできないのも自分でも知っていました。

 だから、そうしたアドバイスは善意と正しさだけでできているのも分かったのですが、それは、できないと思って、心の中でため息をつくような状況でした。

 そのうちに、誕生日カード作りのボランティアでの「気持ちを分かってもらえる経験」もあったせいか、やはり介護をする人にとって、肉体的な負担を支えるための介護サービスは、もちろん必要ですが、何しろ、精神的な負担感をサポートする専門家も必要ではないかと思い始めました。

 そういう話をチラッと、同じ家族介護者の方にすると、かなり賛同を得ることができました。介護をするときに、気持ちを少しでも支えてくれる専門家がいたら、とてもありがたい、といった言葉も聞くことも少なくありませんでした。

 それは、こうして知り合い同士でできることもあるけれど、外の存在である専門家の方が話しやすいというようなこともあるようでした。

 自分の提案のようなものが、こんなに100%に近く、支持されることは少ないと思いました。実は、それからの10数年でも、家族介護者にこそ、心理的なサポートが必要、という提案に対しては、私個人の狭い範囲内ですが、その人も介護をしていれば100%支持を受けてきました。

 ただ、自分が介護に専念していたころ、心に関する専門家といえば、個人的な知識としては、カウンセラーしか知りませんでした。

臨床心理士

 図書館で「カウンセラーになるには」といった本を借り、一番最初に紹介されていたのが、臨床心理士でした。訓練期間や学習期間が長いことで、この資格を取ろうと思いました。

 介護を始めてから、何年も経って、これまで、さまざまな専門家が介護について語るのを目にし、耳にしてきました。その中には、介護の元当事者の方もいたのですが、「自分の家族の在宅介護をするのなら○年が限界」といった断定をし、それ以上は危険といったことを話す人もいました。

 それは、本当のことだと思います。ただ、それが分かったとして、その年数が経つ頃に、在宅介護から、施設入所などがスムーズにできる人が、どれくらいいるのでしょうか?

 その方は、自分の経験に基づき、話をされているようでしたが、私は、自分だけの経験に頼るのは危険だと思うようになり、だからなるべく、学習や実習などがきちんとされる場所に行って、自分の経験を外から見ることも必要だと考えるようになっていました。

 そういう経験を積まないと、介護者の支援をきちんとできる心理の専門家になれないと思っていました。

 そして、介護をしながら大学院に通い、臨床心理士の資格を取得し、細々とですが、家族介護者の個別の心理的支援である「介護者相談」を、ボランティアで始めた後、某区役所での仕事を紹介され、その相談窓口で、家族介護者を個別に心理的支援をする仕事も始めることができました。

 自分の力の限界もありますから、どこまで有効かわかりませんが、「介護者相談」の継続利用をしてくださる方が今もいます。

 同時に、最初は、こうした相談窓口の有効性に対して懐疑的であっても、一度、利用してもらえると、その必要性と重要性は、すぐに理解していただけるように思っています。

 そうして、10年が経とうとしています。



(※「後編」へ続きます)


(他にも、介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




#介護相談       #臨床心理士  
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援    #介護
#心理学       #推薦図書 
#家族介護者   #臨床心理学   #今できることを考える
#児童虐待  #高齢者虐待 #心理職
#家族介護   #介護家族 #介護職 #ケア
#介護相談 #心理職   #支援職  #家族のための介護相談
#私の仕事      #介護への理解
#専門家  #介護者相談 #自己紹介



この記事が参加している募集

自己紹介

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。