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介護の言葉⑪家族介護者は「強迫的」。

 この「介護の言葉」シリーズでは、介護の現場で使われたり、また、家族介護者や介護を考える上で必要で重要な「言葉」について、改めて考えていきたいと思います。

 今回は、第11回目になります。どちらかといえば、家族介護者ご本人というよりは、支援者、専門家など、周囲の方向けの話になるかと思いますが、よろしかったら、読んでいただければ、ありがたく思います。


(私自身の経歴につきましては、このマガジン↓を読んでいただければ、概要は伝わると思います)。

 

 この「介護の言葉」シリーズとしては、かなり個人的な感覚ですし、もしかしたら、広く使われていない可能性もありますし、反発を覚える方もいらっしゃるかもしれませんが、それでも、お伝えしたいと思いました。

 もし、ご意見や疑問などがありましたら、お伝えくだされば、うれしく思います。

「強迫的」という表現

 今回の言葉は、介護の現場、もしくは、家族介護者に関して、それほど一般的に使われていないかもしれません。

 ただ、介護に関して、さらに詳しい方だったり、専門的な知識がある方でしたら、一度は聞いたことがある表現ではないか、とも思います。

 強迫的。

 それほど一般的でないかもしれませんが、とてもわかりやすくすれば「とても神経質」というようなニュアンスになると思います。

 ただ、専門家が使う時には、おそらくは「強迫性障害」までいかないけれど、場合によっては、そのようにさえ見えるほどの状態というようなニュアンスを感じることがあります。

家族介護者は「強迫的」

「家族介護者は強迫的な傾向がある」といった指摘は、特に医療や心理の専門家の著書でも見かけることは少なくなく、実際に、そのような言葉を使っている人もいらっしゃいます。

 今回は、個別な発言について取り上げて、そこを問題にしたいわけではないので、具体的な引用などはしませんが、この記事を読んでくださっている方でも専門性が高いほど、この言葉を使われているかもしれず、このことは、一種の常識のようになっています。
 
 ただ、私は、この表現を最初に聞いた時に、その見方に対して、違和感を抱きました。
 そして、それは今も続いています。

「介護環境」が生んだ特性

 例えば、専門家にとって、診察室や、問い合わせなどで顔を合わせる家族介護者は、要介護者のことに対して、「そんなことまで気にしなくても」と言いたいほど、細かいことまで「こだわる」ように見えてしまうこともあると思います。

 「強迫的」という表現を使いたくなってしまうのも無理はないという気持ちもあります。

 そして、おそらく、私自身も、介護者であった時には、十分に「強迫的」に見えたと思います。

 個人的には、介護を始めるまでは、私自身は、どちらかと言えば鈍く、ややぼんやりとしている方でした。今でも、基本的には、細かく気がつく方ではありませんから、仕事(臨床心理士/公認心理師)をしているときは、これまでのトレーニングや知識を総動員して、かなり気がつく人になるように努力しているのだと思いますので、元から細やかな人は、すごいと思うことも多いです。

 少し話がずれました。すみません。

 そんな私であっても、介護を始め、そして年数を重ねるほど、外から見たら「強迫的」になっていったと思います。それは個人的な経験に過ぎませんが、それでも同じように家族の介護をしていた方、されている方には、ある程度、共感していただけることだとも思いますので、少し例をあげます。

 介護をしていて、身体介護だけでなく、認知症などの症状が加わった場合、特に在宅介護であれば、責任は家族介護者にかかってきます。

 そして、症状の進行具合によって、違いはあるとは思いますが、思いもかけない出来事が起こってしまうことが多くなりがちです。

 それが、台所の火に関することや、排泄介助に関わることでしたら、その怖さや、もしくは後処理の大変さがあって、具体的な負担だけでなく、予想しにくいことでしたら、その分、ショックもありますし、前もって分かっておけば防げたのに、どうして気がつかなかったのだろう、といった後悔みたいな気持ちも強くなる傾向があります。

 そうなると、わずかな物音、微妙な気配の変化などで、前もって先回りして、少しでも負担を減らしたいし、要介護者の安全も確保したいし、と思い続け、行動し続けると、その結果として、おそらくは専門家から見たときに、「強迫的な家族介護者」になるのだと思います。

 だから、「強迫的」な人が、介護者になるのではなくて、介護者になり、ある意味では「過酷な介護環境」にいることによって、「強迫的」にならなざるを得ない、という意味では、介護環境への適応と考えた方が、実情に近い印象があります。

 災害時の支援の際にも使われる考え方なのですが(と言っても、介護が災害というわけではありませんが)、災害の被害にあった方の状態が、「異常」に見えたとしても、それは「異常な状態の中での正常な反応」と考えた方が、より有効な支援に繋がりやすい、といった「常識」が一般的には言われていると思います。

「家族介護者が強迫的」に見えるのは、そのニュアンスに近いのでは、とも思います。

原因と結果

 特にベテランの家族介護者に複数会われた「専門家」にとっては、そこに共通する要因として「強迫的な傾向」を見出してしまうでしょうし、それは、多くの場合は、表面的には「正解」だとは思います。

 ただ、そうした見立てに、私自身が今でも抵抗感があるのは、元が「強迫的」なのではなく、介護環境にいたことの「結果」として、「強迫的」に見えるといったように思っているからです。ですので、その逆のような見立てには、どうしても疑問を持ってしまいます。

 もちろん、この私の見方が、絶対の正解ではないとも考えていますが、それでも、もしも、「家族介護者は、強迫的」と感じていらっしゃる方がいたら、今回の記事を参考にしていただければ、介護者への見方も少し変わる可能性があります。

 もし、よろしかったら、考えていただければ、幸いです。個人的な見方ではありますので、ご意見、疑問点などありましたら、お聞かせ願えれば、ありがたく思います。よろしくお願いいたします。



(他にも介護のことを、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。


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