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「介護booksセレクト」⑫『河合隼雄のカウンセリング入門』

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。
 おかげで、こうして書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/ 公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

「介護books セレクト」

 当初は、いろいろな環境や、様々な状況にいらっしゃる方々に向けて、「介護books」として、毎回、書籍を複数冊、紹介させていただいていました。

 その後、自分の能力や情報力の不足を感じ、毎回、複数冊の書籍の紹介ができないと思い、いったんは終了しました。


 それでも、広く紹介したいと思える本を読んだりすることもあり、今後は、一冊でも紹介したい本がある時は、お伝えしようと思い、このシリーズを「介護booksセレクト」として、復活し、継続することにしました。

 もし、ご興味があれば、読んでいただければ、幸いです。

 今回も、「介護」とは直接関係はないかもしれませんが、特に「支援」という行為を考える時には、不可欠なことが書かれていると思い、紹介することにしました。

河合隼雄

 河合隼雄、という名前は、臨床心理士や公認心理師であれば、知らない人がいないくらいの存在です。

1928年兵庫県篠山市生まれ。臨床心理学者。京都大学名誉教授。京都大学教育学博士。2002年2月から2007年1月まで文化庁長官(民間人からの文化庁長官就任は17年ぶり3人目)を務めた。

1952年京都大学理学部卒業後、アメリカ留学を経て、スイスユング研究所で日本人として初めて、ユング派分析家の資格を取得。その後、国際箱庭学会や日本臨床心理士会の設立等、国内外におけるユング分析心理学の理解と実践に貢献。

 私のように、直接、教えを受けたわけでもなく、ただ書籍などを通して間接的に知っている、ただの一心理士が、何か評価的なことを言うことが、許されるわけでもありません。

 そうした大きい存在ではあるのですが、臨床心理学の外の世界にいる人にとっては、こんなふうに語られても、大げさではないかとも思われる可能性もありますが、それでも、臨床心理士の中では、おそらく世間での知名度もトップクラスだと思います。

 それは、臨床心理学者として幅広い活動をし、さまざまな分野の方との対談なども積極的に行った成果だと考えられます。

河合隼雄は、自身の専門であった臨床心理学にとどまらず、日本文学をはじめ、児童文学、絵本、神話、昔話などの研究、また音楽や楽劇についての考察を深めるなど、常に文化全般にわたる探求心を絶やさず、文化庁長官としての活躍を最後に79年の精力的な歳月を生き抜きました。その人生は、文化を創造し、心を豊かにすることを目指すものでありました。

 そうした人ですから、私も心理士(師)になる以前、臨床心理学を本格的に学び始める前から、名前も知っていましたし、著作も読んでいました。そして、大学院でも、参考文献に必ず入っている存在でもありました。

 それでも、恥ずかしながら、最近まで読んでいなかった本もあります。
 今回、紹介する書籍もその一冊です。

『河合隼雄のカウンセリング入門:実技指導をとおして』

「実技指導をとおして」とサブタイトルがついているように、実際に、カウンセリングを教えている姿をもとに、書籍化したものです。それも、臨床心理学を専門に学んでいる学生ではなく、普段は教師として仕事をしている方たちなどが、その指導を受けています。

 ですので、たとえばもっと専門性の高い書籍などと比べると、かなり率直であり、教わる側の方々が、カウンセリングに対しての信頼と理解から始めようとしているので、微妙なぶつかり合いが感じられる場面もあります。

 その分、カウンセリングとは何か?が浮き彫りになっているように感じ、だからこそ、読んだことで、カウンセリングができるようになるのは難しいとしても、支援職に関わる人が人にとって、聴くことは、避けられない大事なことだとも思いますので、この本は、有意義なのではないかと考えました。

 こういった書籍の一部分を抜き出すと、単なるコツやスキルに思われてしまう危険性もあるのですが、カウンセリングの基本が「聴くこと」であるのを、少し経験を積んできた人間にとっても、もう一度、振り返ることができました。

 ただ、これも、引用している部分だけで成り立っているのではなく、様々な対話の中で出てきた言葉であることを意識していただけると、理解が深まるのでは、と思います。

忠告して直る人は、放っておいても治る。 

 何か、有益そうなことを困っている人に伝え、納得し、その通りに行動し、解決する。そんなイメージは、昔の教育関係のドラマにもよくあったと思いますが、おそらく、そういったことこそがフィクションなのは間違いありません。

 そのことを改めて、示している言葉だと思います。

聴くこと

 傾聴という言葉も一般的になりましたが、この書籍では出てきません。繰り返し「聴く」という表現が使われ、何度も何度も、そこに戻ってくるように感じます。

 そして、その大事さは、個人的にも、心理士(師)として仕事をすればするほど、重く迫ってきます。仕事をするたびに、本当に聴けていただろうか、と振り返ることになります。

こちからから尋ねたりしないで、ひたすら聴いていく。

万策つきたところからカウンセリングは始まる。 

聴いて聴いて悪いほうへ行くというのはめったにありません。

環境が変わっていないのに、非常に悪い環境であるのに、それにもかかわらずその人が自分の力で立ち上がってくるんですね。この人間の立ち上がってくる素晴らしさは、残念なことに、自分がそういう経験をしない限りなかなか納得できません。(中略)しかし、考えてみると、僕らがカウンセリングをやるたった一つの拠り所というのはこれです。それしかないんです。 

「救う」という点から考えてみるとおもしろい。一般の人が考えるように僕が「救った」というのは一つもないんです。僕は「人間は夜店の金魚とは絶対違う」といつも言うんです。そんなにパッパパッパすくえるもんやない。向こうは実際生きた人間ですから。向こうが立ち直るんです。

 とても本質的な言葉ばかりですが、これだけ読むとできそうにすら思えます。それでも、心理士(師)として仕事をはじめて、私はまだ短いキャリアですが、いくら経験を積んでも難しいことではないだろうかと、改めて思います。

カウンセラーとしての姿勢

 そして、「聴くこと」を支える普段からの姿勢の大事さも、同時に、何度も示されています。

 それほど僕らは、自分のクライエントというのを大事にしなければいけませんね。「尊敬する」と言ったらいいでしょうね。 

 クライエントによって自分が成長しないようなカウンセラーだったらクライエントは治らない。患者がよくなっているときは、何らかの意味においてセラピストもどこかで成長していなかったらだめです。それは本当に相共にするものです。

僕らは、カウンセラーとして「限界」ということを言うときには、「私の限界です。私は参りました」という気持ちをどこかで正直に認めなければならない。

心の揺れ具合いを知るためには、僕らは、少なくとも自分の気持ちに対して敏感であり、忠実でなかったら駄目です。もちろん相手の気持ちに対しても敏感でないとだめですけれども、相手に対してだけでなく、自分に対しても忠実でなければならないんです。


 こうしたことを形だけではなく、心の底からできるかどうか。それがカウンセラーの条件というのが分かりながらも、その難しさは、年を追うごとに感じるようにはなっています。

 改めて、「聴くこと」の凄さや大事さ、その怖さを考えるためにも、重要な本だと思いました。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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