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『「介護時間」の光景』(186)「伝言」。12.20。

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます
 おかげで書き続けることができています。

(この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2003年12月20日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います)。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。


「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、私自身が、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的で、しかも断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないかとも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2003年12月220日」のことです。終盤に、今日、「2023年12月20日」のことを書いています。


(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

2003年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は長期療養の病院に入院したのですが、私は、ただ病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に在宅で、義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあったせいで、うつむき加減で、なかなか、医療関係者を信じることができませんでした。それでも、3年がたつ頃には、この病院が、母を大事にしてくれているように感じ、少しずつ信頼が蓄積し、その上で、減額措置なども教えてもらい、かなり病院を信じるようになっていました。

 それでも、同じことの繰り返しの毎日のためか、周囲の違和感や小さな変化にかなり敏感だったような気がします。

 2003年の頃には、母親の症状も安定し、病院への信頼も増し、少し余裕が出てきた頃でした。これまで全く考えられなかった自分の未来のことも、ほんの少しだけ頭をよぎることがありました。

 それでも毎日のように、メモをとっていました。

2003年12月20日

『午後4時45分頃、寄るところがあったので、いつもよりも少し遅く、母の病院に着いた。

 母親と一緒にテレビを見て、時間が経って、午後5時30分から夕食なのだけど、病棟で「忘年会」があったそうだ。

 それから、昨日の「クリスマス会」の話もしてくれた。
 どうやら、外部から人が30人くらい来て、歌ってくれたそうだ。

 夕食が40分くらいかかる。

 全部で、年賀状はだいたい40枚ほど書いてくれていて、助かる気持ちになった。

 もう書き終わったことに感心もする。

 夜になっていたけれど、母のツメを切った。

 午後7時頃、病院を出る』。

伝言

 暗い道を通って、道路を渡って、いつもの系列の病院へ行く。
 そこから、駅近くのところまで送迎バスが出るからだった。

 病院の近くに来ると、その入り口が明るく見え、その端っこに緑色の公衆電話がある。携帯も持っていないので、その電話の存在が自分にはちょっと周囲から際立って見える。

 そこから、家に電話をする。

 呼び出し音が鳴って、妻が用事があり、そばにいないみたいで、留守番電話が出る。公衆電話で、いくつかの暗証番号などを押すと、入っている伝言が聞こえる。

 今日、夜、義母は食欲がない。
 昼も、少し戻した、という。

 妻からの言葉で、この前、80代後半で、手術をしたことが間違いだったのか、と思ったりもする。あれだけ、医師とも相談して、安全だと言われ、妻とも、本人とも相談して、これからの生活の快適さを考えてのことだったのに。

 耳も聞こえず、立てなくもなっているが、食欲もあって、いつも元気に見えていた義母も、手術自体はうまくいったのだけど、思ったよりも傷跡の治りがとても遅くて、入院期間が長くなった。

 ただ、電話の伝言を聞いているだけなのに、そんなイメージと記憶と後悔が頭にバラバラに浮かぶ。

 そして、気持ちは暗くなる。
 未来、という形のないものも暗くなっていくのがわかる。

                      (2003年12月20日)
 
 
 この生活は、まるで終わらないように続いたのだけど、その翌年、2004年に、母親の肝臓にガンが見つかった。
 手術をして、いったん落ち着いたものの、2005年には再発し、2007年には、母は病院で亡くなった。
 義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。

 2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間の介護生活も突然終わった。2019年には、公認心理師の資格も取得した。 
 昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。


2023年12月20日

 今日は、友人と立川で待ち合わせをした。
 妻と一緒に電車を乗り継いで、集合場所に行く。

 駅の改札は5つあることを初めて知った。

 そこで、なんとか友人と会うことができて、一緒に歩く。

 モノレールをたどっていくと、ほとんど記憶にないのだけど、すごくきれいで、おしゃれな店が並んで、まるで別の街に来たような気がした。

展覧会

 目的は、鹿児島睦の展覧会だった。

 初めて行く美術館で、初めて行く場所で、少し迷ったけれど、そこは、ちょっとした空中庭園のような、楽園のような場所だった。

 展覧会も、よく考えられた設置がされていて、気持ちのいい時間を過ごせた。

伝えること

 今週は、とても恵まれたことに、高齢期に関する情報を、若い人に伝える機会を与えてもらえている。

 自分自身も、これから高齢期に近づいていく中で、やはり、以前とは、感じ方も変わってきたのだけど、そうしたことも含めて、伝えられたら、と考えている。


 


(他にも介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)


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