『「介護時間」の光景』(154)「バス」「バレーボール」。4.26.
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(※いつも、この「介護時間の光景」シリーズを読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年4月26日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年4月26日」のことです。終盤に、今日「2023年4月26日」のことを書いています。
(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2001年の頃
個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。
仕事もやめ、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。
入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。
それに、この療養型の病院に来る前の違う病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。
ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。2000年の夏に心臓の発作を起こし、そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
気持ちは、かなりすさんでいたと思います。
2001年4月26日
『昨日、知人と認知症のことなどで、声がかれるほど、しゃべった。
押しつけがましいかもしれないけれど、話さずにはいられなかった。
でも、やっぱり、余計なことだったかも、と悩む。
夜、酒を飲んで、酔っ払っている夢を見た。「お、心臓、大丈夫だ」と思ったところで、目が覚めた。
昨年、母の介護をしていて、その時の病院に追い込まれたこともあって、私自身が、心房細動の発作を起こし、自分でも死ぬと思ったし、循環器の医師には、次に発作を起こしたら、死にますよ、と言われていた。
だから、少しでもその確率を減らそうと、減量も始めたし、アルコールは一切やめた。
でも、時々、飲んで、大丈夫だとホッとする夢を見る。
午後5時頃、いつもよりも少し遅い時刻に母の病院に着く。
思ったよりも穏やかで、変化も少ない。
「どこも悪くない」
「お風呂は入っていない」
「昼食は食べない」
そのことを、今日も母は繰り返す。もちろん、どれも、事実とは違っているのだけど。
それでも、おととい、妻も一緒に、ここに来たことは、かすかに覚えていてくれているようだった。
2日で、バナナは四本なくなっている。ジュースはそのまま、外のテーブルに置いてあるから、1つは捨てた。
テレビを見たり、母の爪を切ったりして、時間は過ぎた。ニュース番組などで、田中真紀子が話している姿を思ったより、熱心に見ている。
病棟の中を一緒に歩いたり、夕食を食べたりして、2時間は、割と早くすぎる。
いつもと同じ。いつもと同じ。
お金は確実に減り、自分の未来も減っていく。
午後7時頃、病院を出る』。
バス
いろいろ考えると、改めて、孤独という事が抽象的ではなく、今の自分の状態に近いのかな、などと思ったりもする。病院の中の事しか毎日見えていない。行き帰りの電車の中もなんだかぐったりしているだけだ。
帰りのバスの中で、心臓が止まるような、体の周囲が何かに包み込まれて、しみ込んでくるような妙な疲れと眠気がゆっくりと、でも止まらずに押し寄せてきた。心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前です」と言われてから、まだ1年たってなかった。
世の中に生きている感じが薄くなっていく。駅に着いた時、ここがどこか分からなかった。孤独というより、孤立なんだろうな、それも社会的な孤立というものなのかも、と変に冷静に考える。
バレーボール
夜。電車の車内。30代くらいのサラリーマンらしき何人かが話をしていて、話題はバレーボールとバスケットボールのことになっていた。
…9人制って、ローテーションないんだよね。
ものすごく昔の、おそらく、その中の人間にとっては誰も見た事がないような、伝説のような、昔話を語る時のような口調だった。
おそらく、もう2度と広く普及する事はない常識。
なんで、9人制ってあったんだろう?と、あそこに9人いたら狭いだろう、と今だと思う。
(2001年4月26日)
それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、義母が103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2023年4月26日
起きたら、雨が降っていた。
今日は、妻が高校時代の友人と久しぶりに会う日で、ほどなくして、カサをさして、出かけていった。
見送った。
雨が降っていると静かで、足元も悪いので、ちょっと心配な気持ちになるが、楽しいといいな、と思う。
雨
昨日は晴れていて、風が吹いていて、4月から、ゴミの収集が午後2時頃になってしまったので、カラスが狙ってくるのが気になり、鳴き声が聞こえたら、何度も外へ見にいって、できたら追い払うようにしている。
そのとき、家の庭を振り返ったら、この前、かなり切り落としたはずの柿の枝が、もう伸びていて、葉っぱも茂り、家につながっている電線か何かが引っかかっていて、風が吹くと、線も大きく揺れていた。
このままだと、切れてしまうのではないか、と怖くなり、脚立を持ってきて、ハシゴ状にして、妻に支えてもらって、枝を切った。切った枝が、ちょっと線にからまりそうになったが、なんとか、下に落とせて、ホッとしたのだけど、その枝は重なり、庭に盛り上がり、今日は、雨で濡れている。
テレビ
一人で家にいると、やたらと静かに時間が流れる。
作業をして、昼食を食べながら、録画していたテレビ番組を見る。
不安につけこむ詐欺は、本当になくならない。
その方法は巧妙になってきているのを知る。
連休
妻から電話があって、楽しかった、というので、良かったと思う。
それから、50分ほどが経って、妻が帰ってきた。
やっぱり、ホッとする。
明らかに感染者は増えてきた。
このまま、ゴールデンウィークに入ると、今年は、コロナ明けのように振る舞う人が多そうなので、感染者は、さらに増えるはずだ。
そうしたことに関しての関心が低くなってきたことが、より不安につながる。
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