#コラム
僕なりの、創作意欲の保ち方
創作には二種類あると思っています。ひとつは、「手段としての創作」。楽しい、ワクワクするというように、自分が心地よくなるための手段として「創作をする」こと。こたつで描いたマンガのように、人に見せるためでなく、自分のための創作です。
もうひとつは「目的のための創作」。コンテスト受賞や書籍化など、何かを実現するための創作です。僕が仕事でするデザインもそうです。デザインは、ある課題を解決することが目的で
書くために、書かない時間
最近、僕は文章を書かない。いや、書いてるんだけど書かない。また、なんかおかしなこと言ってるけど。
このnoteもそうだけど、人は文章を書く。
なにか伝えたいこと、言葉にしたいこと、そんなんじゃなくてとにかく読まれたくて書きたい人もいる。じゃなきゃ、こんなに世の中に文章が溢れてこない。
それは、べつ悪いことじゃない。
昔みたいに、文章を書いてリリースするのが限られた人たちだけなんてつまらない
未来を見てすすむ人、過去を見てすすむ人
最近、人には未来を見ながらすすむ人と、過去を見ながらすすむ人がいるのではないかと思っている。
未来を見ながらすすむ人は、自分の将来やこれから起こることを楽しみにしたり、目標をきめたり、ああなりたいと憧れをもったりして、それを原動力に前に進むことができる。
過去を見ながらすすむ人は、自分の今までしてきたことを積み上げて、そこから材料をあつめてこれからすることを決めて前に進むことができる。
「夢
僕は共感しないスキを押す
人には2つの生き方がある。
「人とわかり合える」と思って生きる派と「人はわかり合えない」と思って生きる派。パクチーを気にする派と気にしない派のように。
自分はどっちなんだろう。
マジレスすると、わかり合える部分もあるし、わかり合えない部分もある。
いや、そんなの誰だってそうだろってなるとそこで話は終わる。そうじゃなくて、前提の話だ。
人とは基本的にわかり合える前提で付き合うのか、わかり合
フレッシュな感性でいられるために
時間を共有するおもしろさ、というものがあります。
たとえば、一時間の「対話の場」があったとして。その空間に入って行き、共にその時間を過ごすことと、それをデータ化したものを後から見ることは、同じようでいて、どこか違います。もっと言うと、大事なポイントを抽出して文章にしたり、編集して短い映像にしてしまうと、実際にそこで起きていた内容とは、もはや「全く別のもの」になってしまいます。
ぼくたちは日々の
好きでやってるだけを増やしたい
不意打ちだけど、めっちゃそれと思った。かおるさんのツイート。
「下手の横好き」って言葉があるけど、もしかしていまってネガティブに捉えられてる? 下手なくせに何熱く語ってんだろうとか。下手なのに見せてよく恥ずかしくないねとか。
かおるさんも言及してたけど、いまって「自分の好き」がSNSでも何でも可視化されるから、ちゃんと評価される「好き」じゃなければ「これ好き」って出しづらい風潮あるのかもしれな
やることを決めるために「自分のサイズと持ち物のチェック」をした話
今から9年前、わたしは30歳で、シングルマザーになって5年ほどたったころ、「半分の時間で倍稼ぐ」と決めたことは、今ふりかえっても自分にグッジョブと言いたい。
ただ、そう決めたのは、野望でもなければ憧れでもなかった。むしろしかたなく、そうするしかなかったのだ。
友人たちと旅行に行ったとき、娘のあーちんも一緒に連れて行ったので、毎回食事代をふたり分払う。もちろん旅費も宿泊費もふたり分払う。それはあ
世界は「夢組」と「叶え組」でできている
ここのところ、脳内プチテーマとして「やりたいことがある人」と「やりたいことがない人」について考えていた。
ちなみにわたし自身は「やりたいことがない人」で、今のメイン仕事のクッキー屋さんも、決して「やりたかったこと」や「夢」ではない。シングルマザーが子供と生活するのに「お金と時間がない」というのがイヤで、「ひとの半分の時間でひとの2倍稼ぐ」という目的のために、自分のできることから消去法で削り出した
自信がなくても別によくない?という話
「どうやったら自信がもてるんですか」とときどき聞かれることがあるけど、いつも「わたしも自信なんてないよ」と答える。
「自信」という言葉をどのようなイメージで使っているか人によって多少ちがうので調べてみると、こう書いてある。
じ-しん(自信)[名](スル):自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。(デジタル大辞泉より)
やっぱりわたしは自信をもっ