カリグラフィーが生み出したアップルは書くという文化を奪うのか
スティーブ・ジョブズが世界に誇るアップルは彼がカリグラフィーを学んだことで生まれた。
そう言っても過言ではないと思います。
もし、私が大学であの授業に飛び入りしていなかったら、Macには多数の書体も、字体間を一定幅にする機能もなかったでしょう。そしてWindowsはMacを単にコピーしたものなので、パソコンがこういった特徴を持つことはなかったかも知れません。もし、大学をドロップアウトしなかったら、カリグラフィーのクラスには参加することもなく、パーソナルコンピュータが今あるような美しい書体を持つことはなかったでしょう。
(スタンフォード大学でのジョブズ氏のスピーチより)
人が”何か”と出会うのはやはり必然だと思います。
今でもアップルがデザイン系の人間に愛されるのはこの書体、コンピュータフォントの美しさへのこだわりが原点なのだと思うのです。
ジョブズがカリグラフィーのクラスに参加しなければ今のMacはなかった。
PCにおけるフォントに誰が目をつけるでしょう。
ここにこだわった。
この感性が世界を制したのだと思うとゾクゾクします。
カリグラフィーとは西洋の書法ということになりますが日本では書道になると思います。
この書道。
誰もが学校の授業の中で学び、墨を硯に擦って墨汁を作りというあの経験を通ってきました。
ところが”書く”機会が私の子供の頃と比べても現在は圧倒的に少なくなったように感じます。
自分のサインをホテルのチェックイン時や契約書に書くくらいしか書く機会を失っています。
資料はワード、手紙はメールに代替され書くという行為を失って久しいです。
いざ、手紙に手書きで書こうと思っても漢字が出てこない、そんな経験があるのではないでしょうか。
私は書家のマネジメントを行なっている期間がありました。
日本には五書体も書体があり、その書体の中でも隷書はとてもデザイン的で美しいものと感じていました。
私がマネジメントを携わっていても中国やタイといったアジアはもちろんスペインやフランス、イギリスなどヨーロッパの展覧会や博物館、美術館への作品の展示や収蔵の要請は数多くありました。
“わ”アート・プロジェクト/アートメゾン・ビエンナーレ 2011
世界から見て東洋のデザインとしてとても価値の高いものと捉えられていた。
そう実感することがたくさんありました。
書道は余白の美です。
これは私が担当した書家がいつも言っていたことですが余白をイメージして書くので常にバランスや空間の調和といった感覚が研ぎ澄まされていたと思います。
そして直線や曲線を操る手先の感覚。
アスリートのように毎日、毎日その鍛錬は続けていないと衰えていくとそう言っていました。
文字というものが生み出す美しさは西洋においてはアップルという世界一の会社を生み出しました。
その西洋の書法を超える伝統を持つ書道という芸術が生み出すフォントの美しさ。
私は一時、この美しさに魅了され手書きで日本語フォントを作り出したいと真剣に考えました。
パートナーである書家とMacのコンピュータフォントを作り出すためにMacの日本語フォントを開発しているモリサワさんに売り込みに行きました。
この売り込みは正式な契約となり楷書体から手作業のフォント作りは始まりました。
とても精神力と集中力のいる手仕事を数年続けておりましたが、パートナーの書家は志半ばで持病を悪化させ亡くなってしまいました。
書家 故・野尻泰煌氏
日本語の美しさ、本物の楷書体、隷書体、五体の全てを手書き文化がなくなりつつある現在、未来に残すことは出来ないかと思いました。
そんな思いを持って挑んだ仕事でしたが、この大きな夢は叶えることは出来ませんでした。
しかし、ビジネスのシーンで御礼状や年賀状を手書きでしたためる時、今でも日本の書道という文化のことを思います。
文明の進化のきっかけとなった、カリグラフィーをデジタルに取り入れたアップル、それは”書く”という文化を終焉させるのか。
書道という日本が生み出した芸術はこれからどのように保存されていくのか。
そんなことを思いました。
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