はじめまして。 わたしは魁(かい)と申します。 このnoteはわたし自身の事を綴った 日記のようなものになります。 わたしは様々なことを経験しています。 虐待、自殺、ハラスメント被害、性被害など。 ですが公にする場がどこにもありません。 病気をきっかけに何も出来なくなった今だから わたしの全てを記してみようと思って はじめてみました。 基本、時系列順に記していきます。 たまに趣味や好きなもののことを挟みますので 気楽にご覧いただければ幸いです。 大まかな内容はアイ
2016年、夏。 学校の課題や家庭の整理に 時間を要していた時に息抜きとして テレビ局での派遣バイトをすることにした。 昨年に比べて 当然だが働いた日数は少なかった。 しかし様々な出会いが 大きな変化をもたらした。 担当した場所では昨年と同様に女性が多く わたしとエリア担当の方以外の 6、7人が全て女性だった。 皆年上ということもあって わたしとしてはとても仕事がしやすかった。 おっとりとした方やガツガツしている方 ずっと休憩所で勉強している方など 多種多様な方ばか
高校の先生とご飯に行く事があった。 父が亡くなってから 数週間後くらいだった気がする。 当時のわたしを心配して 学校の行事をついでとして誘ってくれた。 前にも記した 海外のパフォーマーとショーを作る行事の 発表があり卒業生として よかったら見に来てと。 この行事には思い出がある。 表現をするのが好きだったというのもあるが 数ある高校の行事の中で 唯一父が見に来た行事だった。 わたしたちの代は2回行われたが 2回とも見に来た。 父は海外ドラマのgleeが好きで みんな
父が死んでからというものの 学校の授業に出られないことも増えた。 特に父を発見した曜日の授業。 毎回授業中に父の様子を想像したことを 思い出してしまった。 ある日を境にその曜日は 常に午後から登校するようになった。 そんな日でも好きな授業があった。 それは先生が紹介する作品を観る授業。 毎回テーマがあり それに沿った作品を観た。 アニメだったり、映画だったりと様々だったが その先生のセンスがわたしには激ハマりした。 父が亡くなってから はじめて授業で観た作品は
ずっと過去の話ばかりでは わたし自身も飽きてくるので 映画の話を挟もう。 ここで紹介するのは わたしに起きた出来事を追体験できる作品。 これまで記してきたことは 文字だけでは想像できないことも多い。 なのでわたしの体験と 重なる内容のものを紹介する。 まず1つ目は 『マイ•ブロークン•マリコ』 『その日死んだイカガワ マリコという人は わたしのダチだった』 シイノ トモヨ(永野芽郁)の友達 イカガワ マリコ(奈緒)は突然死んだ。 トモヨはマリコの実家を訪ね
『愛』 それはわたしが1番わからない感情。 人はすぐに人を好きになる。 その人に好かれたくなったり その人と手を繋ぎたくなったり その人と付き合いたくなったり。 わたしはあまりというか ほとんど感じた事がない。 でも好きという気持ちが 一切ないわけじゃない。 餃子が好きとかあの芸能人が好きとか あくまでそのなかのひとつ程度にすぎない。 その人に好きになって欲しいとか その人と関わり続けたいとか別にない。 わたしは好きになったら それをずっと好きでい続ける。 ただ
※この記事は わたしの体験をありのままに伝えるため 一部直接的な表現が含まれています。 あらかじめご了承の上 ご覧頂けますと幸いです。 父が亡くなってしばらくの間 母と同居することになった。 やる事が沢山ある中で親戚等の意見を踏まえ こればっかりは仕方なかった。 虐待を受け育児放棄されてから数年。 流石にこの状況下で同じことを繰り返すはずは ないと思っていた。 案の定、暴力は振るわれなかった。 だが人間性というものは変わらないものだ。 この先自宅に居続けられ
父が亡くなって1週間。 通っていた専門学校を忌引きした。 授業や課題でとても忙しく いろんな人に迷惑をかけたと思う。 すぐに仲のいい友人や課題仲間には しばらく行けなくなる旨は伝えていたが 詳しくは話さなかった。 担任には父が亡くなったことだけ伝え クラスメイトには なるべく話さないようにとお願いした。 1週間後、学校に戻った。 友達やクラスメイトは 特に変わらず接してくれた。 でもなんとなく理解してたみたいだった。 課題の多すぎる学校で急に1週間休んだら なん
青森から帰ってきたわたしには まだやることが山積みだった。 正確にいうと 3つのことが同時進行で進んでいた。 •父の埋葬 •父の経営していた会社の清算 •専門学校の卒業制作 父は会社を経営していた。 資金繰りなど誰も介さず 1人でおこなっていたらしい。 父亡きあとでは出来ることが限られており 破産申請をして清算するしか方法がなかった。 父もお世話になっていた弁護士事務所に 父の学生時代の友人だという方と向かった。 その方は何もわからないわたしと一緒に 会社清算の手
これは過去にわたしのせいで父が傷つき 親戚に迷惑をかけた話。 父も祖父もいた頃。 祖父が入院したので父と一緒にお見舞いがてら 青森にいったときのこと。 親戚が実家に集まって飲み食いしたあと 1番歳の近い従兄弟と叔父さんが家に帰る。 父とわたしは見送るため玄関を出た。 青森は雪国である。 防寒や積雪での閉じ込めを防ぐために 玄関が2重扉になっている。 玄関の前に少し空間があり ガラス戸が1枚。 わたしは特に何も考えずにガラス戸を閉めた。 見送ったわたしと父。 父は
翌日、父の遺骨をお墓に埋めにいった。 そこは父の父である祖父も 一緒に埋まっていた。 お墓を綺麗に掃除したあと お墓の中を開けて わたしが遺骨を土に埋めた。 そこが深くて下に落ちそうになった。 〇〇まで埋まったら洒落にならないよと まわりは冗談まじりに話す。 やっと安心して家族一緒にいれるよ。 別の場所でお酒でも飲んでてね。 そんな気持ちで埋めた。 終わった後親戚一同でご飯を食べた。 父は姉がいて親戚とは全てその家族だ。 叔父さん叔母さん、わたしの従兄弟が3人。 中
叔父が青森に帰ると同時に お墓に埋める為 わたしは父の遺骨を持ってついていった。 青森の家に帰るのは毎回父と一緒だった。 今回が一緒に帰る最後となった。 家から上野駅まで約30分。 そこから新幹線で新青森まで約3時間半。 その間ずっと箱に収まった父を抱えていた。 とても隠せる大きさではなく 他者が見てもなにかわかる。 近所を歩く人。 電車に乗る人。 新幹線ですれ違う人。 全ての人の目がとても冷たく感じた。 やっと帰れるね。 4時間寝ることなく優しく抱き続けた。
式場から少し離れた火葬場に わたしと母、叔父の三人で向かった。 順番が来るまで待つ。 ずっとこのまま呼ばれないでくれ と思う気持ちが強かった。 燃やされてしまえば 父という形のあるものがなくなってしまう。 命がなかったとしても 形を成していれば父の存在を認識できていた。 その思いも虚しく順番がきた。 説明を受け棺を火葬場に入れる。 正真正銘のお別れ。 焼きおわるまで待つ。 最後で何もできなかった。 そんな気持ち。 焼き終わった。 変わり果てた姿を見る。 かっ
母が親戚に連絡をした。 すると青森の実家のわたしのおじにあたる人が 急遽仕事を休んで東京に来てくれた。 わたしは感謝と申し訳なさでいっぱいだった。 保険や葬儀の手続きなど一緒にやってくれた。 司法解剖や葬儀前の死化粧など 葬儀を行うまでは少し時間があった。 棺に入れる父のお気に入りのものを選んだ。 ONE PIECEのゴーイングメリー号の フィギュアや矢沢永吉のタオルなど。 わたしはどうしても入れたいものがあった。 それは手紙。 父の日に渡せなかった手紙だ。
※この記事には わたしの体験をありのままに伝えるため タイトルのもの現物の写真が出てきます。 あらかじめご了承の上 ご覧頂けますと幸いです。 警察から証拠品が返却された。 個人情報がわかる書類や貴重品。 そして遺書。 発見してからすぐに消防に連絡したので 内容を一切見ていなかった。 父は最後にどんなことを残したのか。 何を伝えたかったのか。 書類の裏に殴り書きでただ一言。 すべてにつかれました。 父 その横には父の実家である 青森の連絡先が書いてあった。
食欲など どこにもないくらいに消え去っていた。 何も考える事すら出来ない。 でもやる事はしなければならなかった。 数日経って司法解剖の結果が出た。 書斎本棚に結束バンドを掛け これを頸部に巡らせ縊首。 要は首吊り自殺だった。 驚くべきは死亡推定時刻。 7月4日頃。 わたしが発見した3日前には すでに死んでいたらしい。 わたしはその日何をしていたかを思い出した。 いつも通り学校に通い 帰りに展覧会に行った。 『シリアルキラー展』 連続殺人を犯した人間が作ったア