魁(かい)

うつ病(虐待+自殺+性被害)のわたしのこれまでと 好きなものを。 あなたにわたしの何かが届きますように。

魁(かい)

うつ病(虐待+自殺+性被害)のわたしのこれまでと 好きなものを。 あなたにわたしの何かが届きますように。

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【#0】はじめに

はじめまして。 わたしは魁(かい)と申します。 このnoteはわたし自身の事を綴った 日記のようなものになります。 わたしは様々なことを経験しています。 虐待、自殺、ハラスメント被害、性被害など。 ですが公にする場がどこにもありません。 病気をきっかけに何も出来なくなった今だから わたしの全てを記してみようと思って はじめてみました。 基本、時系列順に記していきます。 たまに趣味や好きなもののことを挟みますので 気楽にご覧いただければ幸いです。 大まかな内容はアイ

    • 【#73】息抜き

      2016年、夏。 学校の課題や家庭の整理に 時間を要していた時に息抜きとして テレビ局での派遣バイトをすることにした。 昨年に比べて 当然だが働いた日数は少なかった。 しかし様々な出会いが 大きな変化をもたらした。 担当した場所では昨年と同様に女性が多く わたしとエリア担当の方以外の 6、7人が全て女性だった。 皆年上ということもあって わたしとしてはとても仕事がしやすかった。 おっとりとした方やガツガツしている方 ずっと休憩所で勉強している方など 多種多様な方ばか

      • 【#72】2千円

        高校の先生とご飯に行く事があった。 父が亡くなってから 数週間後くらいだった気がする。 当時のわたしを心配して 学校の行事をついでとして誘ってくれた。 前にも記した 海外のパフォーマーとショーを作る行事の 発表があり卒業生として よかったら見に来てと。 この行事には思い出がある。 表現をするのが好きだったというのもあるが 数ある高校の行事の中で 唯一父が見に来た行事だった。 わたしたちの代は2回行われたが 2回とも見に来た。 父は海外ドラマのgleeが好きで みんな

        • 【#71】授業

          父が死んでからというものの 学校の授業に出られないことも増えた。 特に父を発見した曜日の授業。 毎回授業中に父の様子を想像したことを 思い出してしまった。 ある日を境にその曜日は 常に午後から登校するようになった。 そんな日でも好きな授業があった。 それは先生が紹介する作品を観る授業。 毎回テーマがあり それに沿った作品を観た。 アニメだったり、映画だったりと様々だったが その先生のセンスがわたしには激ハマりした。 父が亡くなってから はじめて授業で観た作品は

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        【#0】はじめに

          【#70】追体験

          ずっと過去の話ばかりでは わたし自身も飽きてくるので 映画の話を挟もう。 ここで紹介するのは わたしに起きた出来事を追体験できる作品。 これまで記してきたことは 文字だけでは想像できないことも多い。 なのでわたしの体験と 重なる内容のものを紹介する。 まず1つ目は 『マイ•ブロークン•マリコ』 『その日死んだイカガワ マリコという人は   わたしのダチだった』 シイノ トモヨ(永野芽郁)の友達 イカガワ マリコ(奈緒)は突然死んだ。 トモヨはマリコの実家を訪ね

          【#70】追体験

          【#69】愛

          『愛』 それはわたしが1番わからない感情。 人はすぐに人を好きになる。 その人に好かれたくなったり その人と手を繋ぎたくなったり その人と付き合いたくなったり。 わたしはあまりというか ほとんど感じた事がない。 でも好きという気持ちが 一切ないわけじゃない。 餃子が好きとかあの芸能人が好きとか あくまでそのなかのひとつ程度にすぎない。 その人に好きになって欲しいとか その人と関わり続けたいとか別にない。 わたしは好きになったら それをずっと好きでい続ける。 ただ

          【#68】人でなし

          ※この記事は  わたしの体験をありのままに伝えるため  一部直接的な表現が含まれています。  あらかじめご了承の上  ご覧頂けますと幸いです。 父が亡くなってしばらくの間 母と同居することになった。 やる事が沢山ある中で親戚等の意見を踏まえ こればっかりは仕方なかった。 虐待を受け育児放棄されてから数年。 流石にこの状況下で同じことを繰り返すはずは ないと思っていた。 案の定、暴力は振るわれなかった。 だが人間性というものは変わらないものだ。 この先自宅に居続けられ

          【#68】人でなし

          【#67】憂い

          父が亡くなって1週間。 通っていた専門学校を忌引きした。 授業や課題でとても忙しく いろんな人に迷惑をかけたと思う。 すぐに仲のいい友人や課題仲間には しばらく行けなくなる旨は伝えていたが 詳しくは話さなかった。 担任には父が亡くなったことだけ伝え クラスメイトには なるべく話さないようにとお願いした。 1週間後、学校に戻った。 友達やクラスメイトは 特に変わらず接してくれた。 でもなんとなく理解してたみたいだった。 課題の多すぎる学校で急に1週間休んだら なん

          【#66】パスワード

          青森から帰ってきたわたしには まだやることが山積みだった。 正確にいうと 3つのことが同時進行で進んでいた。 •父の埋葬 •父の経営していた会社の清算 •専門学校の卒業制作 父は会社を経営していた。 資金繰りなど誰も介さず 1人でおこなっていたらしい。 父亡きあとでは出来ることが限られており 破産申請をして清算するしか方法がなかった。 父もお世話になっていた弁護士事務所に 父の学生時代の友人だという方と向かった。 その方は何もわからないわたしと一緒に 会社清算の手

          【#66】パスワード

          【#65】雪国

          これは過去にわたしのせいで父が傷つき 親戚に迷惑をかけた話。 父も祖父もいた頃。 祖父が入院したので父と一緒にお見舞いがてら 青森にいったときのこと。 親戚が実家に集まって飲み食いしたあと 1番歳の近い従兄弟と叔父さんが家に帰る。 父とわたしは見送るため玄関を出た。 青森は雪国である。 防寒や積雪での閉じ込めを防ぐために 玄関が2重扉になっている。 玄関の前に少し空間があり ガラス戸が1枚。 わたしは特に何も考えずにガラス戸を閉めた。 見送ったわたしと父。 父は

          【#64】親戚

          翌日、父の遺骨をお墓に埋めにいった。 そこは父の父である祖父も 一緒に埋まっていた。 お墓を綺麗に掃除したあと お墓の中を開けて わたしが遺骨を土に埋めた。 そこが深くて下に落ちそうになった。 〇〇まで埋まったら洒落にならないよと まわりは冗談まじりに話す。 やっと安心して家族一緒にいれるよ。 別の場所でお酒でも飲んでてね。 そんな気持ちで埋めた。 終わった後親戚一同でご飯を食べた。 父は姉がいて親戚とは全てその家族だ。 叔父さん叔母さん、わたしの従兄弟が3人。 中

          【#63】帰郷

          叔父が青森に帰ると同時に お墓に埋める為 わたしは父の遺骨を持ってついていった。 青森の家に帰るのは毎回父と一緒だった。 今回が一緒に帰る最後となった。 家から上野駅まで約30分。 そこから新幹線で新青森まで約3時間半。 その間ずっと箱に収まった父を抱えていた。 とても隠せる大きさではなく 他者が見てもなにかわかる。 近所を歩く人。 電車に乗る人。 新幹線ですれ違う人。 全ての人の目がとても冷たく感じた。 やっと帰れるね。 4時間寝ることなく優しく抱き続けた。

          【#62】別れ

          式場から少し離れた火葬場に わたしと母、叔父の三人で向かった。 順番が来るまで待つ。 ずっとこのまま呼ばれないでくれ と思う気持ちが強かった。 燃やされてしまえば 父という形のあるものがなくなってしまう。 命がなかったとしても 形を成していれば父の存在を認識できていた。 その思いも虚しく順番がきた。 説明を受け棺を火葬場に入れる。 正真正銘のお別れ。 焼きおわるまで待つ。 最後で何もできなかった。 そんな気持ち。 焼き終わった。 変わり果てた姿を見る。 かっ

          【#61】手紙

          母が親戚に連絡をした。 すると青森の実家のわたしのおじにあたる人が 急遽仕事を休んで東京に来てくれた。 わたしは感謝と申し訳なさでいっぱいだった。 保険や葬儀の手続きなど一緒にやってくれた。 司法解剖や葬儀前の死化粧など 葬儀を行うまでは少し時間があった。 棺に入れる父のお気に入りのものを選んだ。 ONE PIECEのゴーイングメリー号の フィギュアや矢沢永吉のタオルなど。 わたしはどうしても入れたいものがあった。 それは手紙。 父の日に渡せなかった手紙だ。

          【#61】手紙

          【#60】遺書

          ※この記事には  わたしの体験をありのままに伝えるため  タイトルのもの現物の写真が出てきます。  あらかじめご了承の上  ご覧頂けますと幸いです。 警察から証拠品が返却された。 個人情報がわかる書類や貴重品。 そして遺書。 発見してからすぐに消防に連絡したので 内容を一切見ていなかった。 父は最後にどんなことを残したのか。 何を伝えたかったのか。 書類の裏に殴り書きでただ一言。 すべてにつかれました。 父 その横には父の実家である 青森の連絡先が書いてあった。

          【#59】最後の晩餐

          食欲など どこにもないくらいに消え去っていた。 何も考える事すら出来ない。 でもやる事はしなければならなかった。 数日経って司法解剖の結果が出た。 書斎本棚に結束バンドを掛け これを頸部に巡らせ縊首。 要は首吊り自殺だった。 驚くべきは死亡推定時刻。 7月4日頃。 わたしが発見した3日前には すでに死んでいたらしい。 わたしはその日何をしていたかを思い出した。 いつも通り学校に通い 帰りに展覧会に行った。 『シリアルキラー展』 連続殺人を犯した人間が作ったア

          【#59】最後の晩餐