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「休む」ってアイテムじゃない。権利でも義務でもない。

 どうしようもなく疲れた時、あなたは休むはずだ。険しい道程がまだ先に見え、しかし予定されていた時間よりはまだかかりそう。それでも身体が動きたがらなず、精神が悲鳴を上げている時。あなたは休む。それは必然だ。
 そして、そうでなくとも、なんだか気怠い時も、あなたはもしかすると休むかもしれない。ノルマには余裕がある。日々を生きていくことはまったく可能だ。でもだるい。何かが嫌だと感じる。そういうときにも、あなたは休むことを選択できる。

 おおよそ、私達が認識している「休む」というのはこういうものだ。それは必要な時に引き出される。普段はその選択肢はなくて、ここぞという時に登場する。お助けアイテムかもしれない。あるいは、休むというのは、必殺技でもある。それは使ったら決めなければならないものだ。バシッと。休んで、あなたの中の何かが回復したのなら、またあなたは動き出せる。活動を再開するための休憩。充電。準備期間。

 でも、休むにはまだ使うべきタイミングがある……というよりも、別に休むという行為に、「~ねばならない」という条件はつかない。それはいつでも、どんなタイミングでも、何があっても、行使していい私達の権利であり、能力である。だって、どう考えてもそれはいつだって使えるものだろう。あなた自身のことを振り返ってもみて欲しい。別に、今この瞬間、何かやっていることを止めて、いきなり休んだっていいはずだ。それをすることができる。できないはずがない。なぜなら「休む」とは、あなた自身の能力なのだから。

 それでもあなたが休むことができないとすれば、それはあなた以外の何かのせいで、そうできないとするのが自然である。それは目に見えるものかもしれないし、そうではないものかもしれない。それは物理的なことかもしれないし、精神的なことかもしれない。でも、なんにせよ、あなた以外のそれらは全て、あなたに休むことを止めさせる可能性のある、邪魔な障害物なのである。
 考えすぎだろうか? しかし、そう思わなければ、あなたはきっと休むことを最後の手段にしかねない。あるいは休むことを、何か特別なことのように、貴重な、回数制限のあるアイテムか何かだと思い込みかねない。休むことはそうではないのだ。それは「~ねばならない」義務でも、「~に与えられた」権利でも、「~で手に入れた」道具でもない。それはあなた自身の能力だ。休むというスキルであり、力だ。それを行使するのはあなたの勝手である。しかし同時に、それを邪魔する障害物達のために、あなたがそれを出し惜しみする必要はない。そしてそれは、もちろん、1度使ってしまったからといって、再度使うのに時間がかかるものでも(スキルゲージなどない)、なくなってしまうものでも(アイテムではない)、使うべきタイミングも何もない、そのようなものなのである。

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