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形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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2019年2月の記事一覧

他人の考えを聞く前に自分の考えを確かめてみよう

他人の考えを聞くことが大事なことだとはよく言われることであるし、他者の立場に立って物事を見ると視野が広がるということもよく言われる。しかし、その前にそもそも、自分の考えを確かめることは少ないように思われる。自分がどうしてそのような考えを持っているのか、他人の考えを聞いて納得する前に、よくよくと吟味してみよう。

たとえば、何でもいいが…………えー、何も思いつかないので、ヤフーニュースのエンタメアク

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時の贈り物

今朝、noteを開いたとき、「あなたのnoteが話題になっています」という知らせが飛び込んできて、ある方がわたしのnoteをご自分のnoteで取り上げてくださったことを知った。そのnoteを読ませていただいたところ、好意的なことが書かれていて素直に嬉しかった。わたしは、好かれるためにnoteを書いているわけでは全然ないけれど、肉を持つ人間であるので、好意をいただければそれはもちろん嬉しいに決まって

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傷つくのは心があるから

極めて私憤に近い義憤によって、このnoteを書きたいと思う。世の中、嫌なことが多い。その「世の中」には、このnoteの中も含まれていて、ここで嫌な出来事が発生することもある。わたしもつい昨夜そういう出来事に遭遇したし、これを読んでくださっているあなたも遭遇したことがあるかもしれない。そのできごとの中には、ひょっとしたら自分の方が悪いかもしれないと思われるものもあるかもしれないが、「どう考えても、あ

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noteを読んでもらえるのはありがたいが、

ただ読んでもらうだけでは何もありがたくはない。ただ消費されるための文章を書いているつもりは全く無い。読んだからには、何かを得て帰ってもらいたい。その何かとは「問い」である。納得なり反感なりは、まあ勝手にすればいい。しかし、そんなものを得ても何にも意味が無いということは以前書いた。大事なのは問い。問いとは、そこから自分で考えることができるきっかけのことだ。

あるnoteを読む。読んだnoteから問

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やるか、やらないかだ。やってみる、なんてものは無い。

表題は、スターウォーズ・エピソード5というSF映画の中のセリフである。ジェダイの騎士というスーパーマンになるために修行する主人公ルークが、師匠から出されたトレーニング課題について、「やってみます」と言ったのに対し、師であるマスター・ヨーダが言うのである。原文の英語ではこんな感じ。

Do, or do not. There's no try.

試しにやってみる、などという半端な気持ちでやるなら、

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もっともらしい批判の底にあるもの

堀ちえみが舌がんを公表したことに対して、松嶋尚美が、生放送中の情報番組で、「かわいそう」と涙を流したことについて、「『かわいそう』は失礼じゃないか」という声が上がっているようである。松嶋尚美という人は、前にも何かこの手のことで話題になったことを覚えている。……ああ、あれだ、南青山の児童相談所建設に関して、自分が住んでいるところの近くに児童相談所が建設されたら引っ越すと言った人だった。そのような物議

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心と体に関する簡単な話

何度か、わたし自身の肌荒れの話をしたことがある。調べてみると、アトピーではないようなのだけれど、それじゃあ一体何なのかとさらに調べてみようとしても、よく分からない。何にでも病名がつく世の中――足の指を曲げたとき、親指だけ痛かったときがあって、そんなピンポイントな病気なんてあるのかなと思って調べてみたら、あって驚いた!――で、分からないということが、もうそれだけで不気味である。その上に、見た目もグロ

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人はどんなものからでも学ぶことができるけれど、

果たして、それは学ぶべきものだったのかどうか、と考えることは少ないように思われる。そもそもからして、学ぶということは、無条件に良いことだと思われている。しかし、本当にそうか? この前、「察してちゃん」のことを書いた。(→「察してちゃんを脱してちゃんと要求せよ」) 察してちゃんからでも学ぶことはできる。たとえば、何がその人をして察してちゃんたらしめたのか、人が察してちゃんになる心理的条件であるとか、

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何を書いてもいいと思うな

SNSによって、ポンッと思いついた言葉を何でも書いて、見も知らぬ他人に見せられる世の中だが、それは、路上でペッと痰を吐き捨てるに等しい行為だと知るべきだ。

書くということは、読まれるということだ。だったら、読まれるに値するものを書こうと思え。そうすれば、それだけで、価値あるものになる。誰にとって? 他人にとってじゃない。読まれるに値するものを書こうと思っても、他人がそれを評価してくれるかどうかは

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謝罪すればいいという覚悟の無さ

あるお笑い芸人が……という出だしで始めようとしたのだけれど、その方が、このnoteにいるらしいということを知ったので、はっきりと、ウーマンラッシュアワーというお笑いコンビの一人、村本さんが、と名前を出しておくことにする。同じnoteで書いているからと言って遠慮するくらいならそもそも書くんじゃねぇよ、と思われたら沽券に関わる……と、まあそんなこと考える人もいないかもしれないけれど、自分が考えたわけだ

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察してちゃんを脱してちゃんと要求せよ

近くに、「察してちゃん」がいて、今日もまた察してオーラを出しているので、察してちゃんについて書いてみる。しかし、書くことは多くない。一言で足りる。

やめろ。うっとうしいから。

あ、二言になった。一言で足りなかったついでにもうちょっと書けば、察してちゃんが可愛いのは、せいぜいが小学校の低学年まで、それより大きくなった人は、ちゃんと何をしてほしいか、自己主張しなさい。何のために言葉があるのか。犬だ

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自分の頭で考えるヒント8 ~自分の身に置き換えてみる~

日々くだらないニュースが報道されており、ああいうものは見ない方がいいのだけれど、バカとハサミに使いようがあるように、くだらないニュースにも使いようがある。たとえば、数日前にこんなニュースがあった。五輪相が、白血病を発症した競泳の選手について、「本当にがっかりしている」などと発言したというものだ。(今ちょっと調べてみたら、これには裏があって、どうも、マスコミの誘導尋問と悪意編集というスキルがかなり効

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ありのままを見る

見ることの難しさ昨日、現実の中に自分が望んだものを見ることと、現実のありのままを見ることの違いは重要だと書いた。しかし、望んだものを見ることは簡単だが、ありのままを見るということは、言うほど簡単なことではない。「わたしは物事をありのままに、客観的に見ることができる」と簡単に言う人がいるが、こういう人はまずもって信用しないことにしている。ありのまま見るということがどういうことか知らない輩である。あり

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ロマンスあふれる福島

わたしは福島に住んでいるが、福島県がどのような目で見られているのかということは、現に福島にいるとどうもよく分からないところがある。8年前の震災が起こる前は、福島県などと言っても、まあ、東北や関東住まいの方は違うかもしれないが、少なくとも中部地方以西の方にとっては、どのあたりにあるのかさえよく分からない県だったことだろう。今はかなりの程度、福島県の位置は知られているのではないだろうか。例の震災が起こ

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