何を書いてもいいと思うな

SNSによって、ポンッと思いついた言葉を何でも書いて、見も知らぬ他人に見せられる世の中だが、それは、路上でペッと痰を吐き捨てるに等しい行為だと知るべきだ。

書くということは、読まれるということだ。だったら、読まれるに値するものを書こうと思え。そうすれば、それだけで、価値あるものになる。誰にとって? 他人にとってじゃない。読まれるに値するものを書こうと思っても、他人がそれを評価してくれるかどうかは分からない。でも、読まれるに値するものを書こうと思えば、自分にとっては価値あるものとなる。

読まれるに値するものを書こうと思うこと、他人をおもんぱかること、重んじること、面白がらせようとすること、そういう意識によって書かれたものは、必ず自分にとって価値あるものとなる。逆に、なんとなく書いたものは、必ず無価値なものとなる。人を傷つけるものになる。人を傷つけるといっても、他人じゃない。気をつけろ。傷つくのは自分自身だ。くだらないことを書いたとする。他人は笑ってくれるかもしれない。しかし、自分自身だけは笑えない。書いた言葉は、全て己の魂に刻まれる。くだらないことを書けば、くだらないことを書く自分であることが明らかになる。

書くときは、いつでも渾身で書け。魂を込めろ。渾身で書けば、自分について大切なことが、明らかになる。ペンは剣となって、自分という迷妄の闇を切り裂く。自分自身が何を考えているのか分かるようになる。

うまいこと書こうとするな。うまく書けたからといって、それがどうだということもない。うまく書くことは手段に過ぎない。目的にするな。うまく書いているヤツらをうらやむ必要は全くない。安心しろ、うまく書けているもののほとんどがクソみたいなもんだ。ウソじゃない。

書いたものは、必ず読み返せ。夜中に書いたラブレターは、そのときは最高に思えても、朝読み返すとたいていサイコじみている。読み返してみて、おかしなところがあれば、書き直せ。渾身で書いたって間違えることはある。間違えたものは直すしかない。

書くことは楽しい。その楽しさは無類だ。この楽しさに、あなたを誘おう。しかし、思いついたことを書いて終わりじゃ真の楽しみは分からない。読むに足りるものを書こうとして、実際に書いて、読んで書き直す。それによって、自分自身という謎が明らかになる。これ以上の楽しみを、寡聞にして、わたしは知らない。

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