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形而上エッセイ「分かる人にしか分からない話」

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記事一覧

誰かのために書いたことが自分のためにもなる

わたしが書くものは、わたしならぬ誰かのためのものだけれど、それが他ならぬわたしのためになることもある。この頃、以前書いたことを読み返していると、以前よりも腑に落ちることがある。なぜそんなことになるのか。以前よりも腑に落ちるということは、以前は今よりも腑に落ちていなかったということになる。そういう中途半端なことを書いていた。いや、そんなことはありえない。物を書くなら魂で書いているはずで、それを守って

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Chat-GPTが変える「世界」とは「生活」の意味に過ぎない

ちまたで話題のChat-GPT。なにやらすごいことができるということで話題になっている。世界を一変させるかもしれないということだけれど、そういう話は大好きで、本当に世界が変わるのであれば、変わる瞬間を見てみたいものだと思い、触ってみた。

なるほど、これは便利である。実際に使ってみて、つまらない書類作成の用はかなり事足りた。それ以外にも色々できるのだという。確かに、ビジネスシーンや日常においても、

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時間術の限界

世に時間術なるものは多い。
時間術とは、いかに有効に時間を使うかを説くものである。
より短い時間でより効率よく、よりたくさんのことを!
しかし、そうやって時間を有効に使って、それが一体何なのだろうか。
……ということは、以前説いたような気がする。
ネットショッピングで実際に買い物に行く時間を省いて、節約した時間をさらなるネットショッピングに使う。
永遠にくだらないことを回している人生とは味気なくな

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カミングアウトできる人はそれだけですでに多少は幸福な人である

前回の記事に続いて、幸福について。

タレントのりゅうちゅるさんが結婚後のご自分の状況に関してカミングアウトされた。

まあ、内容に関しては賛否両論あるみたいだが、そんなことを取り上げたいのではない。別段面白くもないし、所詮は他人の家庭のこと、外野が何を言ったところで当人同士に任せるしかない、ということにしかならないからだ。

わたしが取り上げたいのは、カミングアウトできることの幸せということにつ

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幸福になる条件 ~幸・不幸空間の中にいること~

今朝、起きて、いつものようにパソコンを起動してみると、青い画面になって、「BitLocker回復キー」という謎のキーの入力を求められた。何のこっちゃと調べてみると、これ、Windows11の更新プログラムの不具合らしく、そのなんちゃらキーが不明だとデータ消失して詰むということらしかった。画面と同じくらい真っ青な顔になったわたしはネット記事を参照しつつ、キーの所在を探し出して何とか事なきを得た。

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人を論破しても意味ない件

人を論破しまくる「論破王」として有名な、ひろゆき氏がどこかで言っていたが、本当に頭のいい人は他人を論破などしないということである。というのも、論破することなく他人を思い通りに操るのが本当に頭のいい人だから、と。

なるほど。

ひろゆき氏の話と通じるところがあるのか無いのか分からないけれど、わたしは、論破の無意味について語りたい。

人を論破しても意味ないです。

なぜか。

それは、論破したとこ

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人生哲学と哲学の関係

みなさん、人生哲学を持っているだろうか?

人生かく生きるべしという教訓的なアレである。

この「人生かく生きるべし」という教訓的なものは哲学の名に値しないのではないか、という主張をちらほら耳にする。哲学っていうのは、この世界に関しての普遍的な真理を求めるものであって、個人の人生にのみ当てはまる法則なんていうのは哲学じゃないだろう、そういうのは、人生論というのであって、哲学ではないのだ、と。

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物入りな暮らしと生きる意味

「暮らすって物入りね~」

スタジオジブリの名作アニメ「魔女の宅急便」の中で、一番好きなセリフが、上記のものである。ヒロインのキキが海辺の街に来て、生活を始めるのだが、着の身着のまま気の向くままで来たものだから、生活道具が何も無くて、住む部屋が決まったあとに、道具一式を買いに出るのですが、都会の物価が髙くて、つい漏らしてしまう一言。

なんでこんなセリフが好きなのかはっきりとは分からないが、おそら

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足がつることの幸福と本当の不幸

久しぶりに、足がつった。足がつったことある方は、あの何とも言えない痛みが分かるだろう。今朝の明け方、激痛で目が覚めたところが、足がつっていたという話で、実にすがすがしい目覚めになった。

なんで足がつったのか、と考えてみたところ、昨日、若くもないのにいろいろはしゃぎすぎたのではないかと、とりあえずは、そう結論づけてみた。ドライブに行って、買い物をして、家の中でも階段を昇ったり降りたりを何度も繰り返

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喉元過ぎれば熱さを忘れる人生の形式

前の記事で、「嫌なことをしなければいけない、ああ、嫌だ、嫌だ」と書いたが、それが無事終わった。ああ、よかった、よかった。そうして、終わってみると、「別に、そんなに嫌なことじゃなかったんじゃないか」と思っている自分がいる。なぜか、と言えば、それはもう終わってしまったことだからだ。終わってしまって今は無い。それによって、そもそも大騒ぎするほどのことじゃなかったのではないかと思うこと、これを、巷間のこと

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嫌なことの効能

しなければいけない嫌なことというのは大人になると減るのだろう、大人は嫌なことなどしなくていいのだろう、漠然とそう思って中年を迎えたわけだが、特にそんなこともない。嫌なことは、年齢にかかわりなく、存在する。

たとえば、会いたくない人と会わなければいけないこと、など。

そんなもん、断ればいいだろう、という話なのだが、まあ世のしがらみというやつにいっぱしわたしもとらわれまして、なかなかそうもいかない

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努力と偽の幸せ

努力は尊い、たとえ結果が出なくても結果に向かって努力したこと自体が価値あることなんだとはよく言われることだが、果たしてわたしたちは、日常普通の生活において、それほど努力に価値を置いているだろうか。

たとえば、好きな人に告白したとする。好きで好きでたまらない人に、やっとの思いで告白したとして、しかし、断られた。そのときに、「断られたけど、告白したわけだし、『付き合う』という結果に向かって努力したわ

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生きるということは、「漫然と」生きるということ

髪が伸びてきたので、そろそろ切ろうと考えているのだが、この頃、髪を切るときに一抹の不安がある。それは、

ちゃんとまた生えそろうんだろうか?

というものである。いい年なので、そろそろ禿げてもしょうがないわけで、そのそろそろの兆候が、そろそろ見えてくるのではないか。

まあ、禿げたら禿げたでしょうがない、ということは、割と若い頃から思っていたことなので、禿げても割り切っていけるような気もするのだが

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不思議感覚とあなたの哲学

哲学らしきもの、カント哲学とか、実存主義とか、いわゆる、お勉強的な哲学もそれはそれで面白いのだが、そういうものを利用しなくても、哲学は今のこの場にちゃんとある。

人が何かを考えるところに現われるもの、何かを不思議と思ってその不思議を知りたいと思うところに出てくるもの、それが哲学である。

特にお勉強する必要はない。

子どもが、「ぼくも死ぬの?」と思って、死ぬってどういうことだろうと不思議に思っ

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