Chat-GPTが変える「世界」とは「生活」の意味に過ぎない

ちまたで話題のChat-GPT。なにやらすごいことができるということで話題になっている。世界を一変させるかもしれないということだけれど、そういう話は大好きで、本当に世界が変わるのであれば、変わる瞬間を見てみたいものだと思い、触ってみた。

なるほど、これは便利である。実際に使ってみて、つまらない書類作成の用はかなり事足りた。それ以外にも色々できるのだという。確かに、ビジネスシーンや日常においても、いろいろと役に立ちそうではあった。

でも、それで?

これで世界が変わるというのは、ちょっと大げさすぎやしないだろうか。なるほど、いろいろ便利になった。もっと便利になるのだろう。しかし、いくら便利になったところで、人間は相も変わらず、無目的に生きて、子どもを為したり為さなかったりして、年老いて死んでいるだけではないだろうか。それで、世界の何が変わるというのだろう。生活がさらに便利になっただけだというのであれば、ほんのちょっとしたマイナーチェンジに過ぎない。

IT革命以来の大変革なのだと言う人もいる。しかし、IT革命の前だって後だって、人間は全く同じことをしていたではないか。意味なく生きて、意味なく死んでいるわけである。それで何が変わったというのだろう。Chat-GPTに代表されるGenerative AIは、生活を変えるかもしれないけれど、世界を変えることはできない。

AIが人間の知性を超えるシンギュラリティが起こると言われているが、何もそんなもの起こらなくたって、現状で果たして自分の知性によって生きている人間がどのくらいいるのだろうか。そもそもが、自分の知性や意志によって生きるとはどういうことか。自分の意志によらずに生まれてきて、自分の意志によらずに生きている人間の知性を超えたからといって、それが一体何なのか。そういうこともAIが答えてくれるというのであれば、それはちょっと楽しみではあるのだが。

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