物入りな暮らしと生きる意味

「暮らすって物入りね~」

スタジオジブリの名作アニメ「魔女の宅急便」の中で、一番好きなセリフが、上記のものである。ヒロインのキキが海辺の街に来て、生活を始めるのだが、着の身着のまま気の向くままで来たものだから、生活道具が何も無くて、住む部屋が決まったあとに、道具一式を買いに出るのですが、都会の物価が髙くて、つい漏らしてしまう一言。

なんでこんなセリフが好きなのかはっきりとは分からないが、おそらくは、自分自身が物入りな生活をしているからだろう。手には夢だけあればいい、というようなシンプルライフで行きたいのだが、なかなかそうもいかない。あれにもこれにも金がかかる。物入りとはつまり、金入りということである。わたし自身は金への欲求というのは少ないとは思っているのだが、わたしの欲求が少なくても、この身を一つ社会に置くだけでかかるものはかかるのである。やれやれ、大変だ。

そう、大変。でも、どうして、わたしたちはそう大変な思いをしてまで生きていかなければいけないのだろうか。わたしたちの存在意義というのは一体なんなのか。なぜ生きるのか、いかに生きるべきか。これはなかなか大変な問いである。大変すぎて、普段はあんまり考えもしない。

あなたは、なぜ生きるのか?

それは、それぞれに考えていただくことにして、どうして、この「なぜ生きるのか?」という問いが大変なものなのか、というこのこと自体を、ちょっと考えてみたい。どうしてその問いが答えにくいのか。

それは、わたしたちがこの問いを抱えたときには、すでに生きてしまっているからである。生まれたあとに、なぜ生まれたのかと考えている。この構造が、この問いを難しくしている原因である。

なんだ、そんなこと当たり前じゃないか、と切って捨てずに、このことについてとくと考えてみてもらいたい。当たり前なことほど不思議なことは無いし、当たり前なことほど面白いことは無い。わたしたちは、「なぜ生きるのか」という問いを、すでに生まれてしまってから、初めて所有する。生まれる前に所有する人はいない。生まれる前に、「なんで生まれるのかな、別に生まれなくてもいいんじゃね?」と考えて生まれないようにするなんてことはできない。自分の意志によらずになぜだか生まれてしまったあとに、生まれた理由を考えるわけだから、これは難しくて当然である。

生まれたあとじゃないと、なぜ生きるのかという問いを考えることができない。ということは、生まれたあとは、もう生まれてしまって人生を生きてしまっているわけだから、なぜ生きるのかという問いを考えても、手遅れなのかもしれない。

それでも、どうしてか、わたしたちは、生きる意味、存在理由、人生をかけた目的、というものを知りたいと思って考える。もしかしたら、そうして考えることこそが、生きる意味それ自体なのかもしれない。

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