傷つくのは心があるから

極めて私憤に近い義憤によって、このnoteを書きたいと思う。世の中、嫌なことが多い。その「世の中」には、このnoteの中も含まれていて、ここで嫌な出来事が発生することもある。わたしもつい昨夜そういう出来事に遭遇したし、これを読んでくださっているあなたも遭遇したことがあるかもしれない。そのできごとの中には、ひょっとしたら自分の方が悪いかもしれないと思われるものもあるかもしれないが、「どう考えても、あっちが悪いだろう、クソが!(失礼)」と憤懣やるかたない思いを抱き、傷心することもある。

傷心とは、心が傷つくことを言うが、なぜ傷心するか。それは心があるからである。心があるからこそ傷つく。優しい人、繊細な人、思いやりがある人、これらの心ある人は、心あるがゆえに傷つくことになっているのである。残念ながら、これは、覆すことのできない世の理である。小さなことにくよくよするな、というようなタイトルの本があったような気がするが、それは、鈍感になれ、心を捨てろ、と言っているに等しい。心を捨てればどうなるか。彼岸に行くのである。向こう側に行って、自分のすることを小さなことだと思いみなして、このくらい構わないだろうという意識のもと、人を傷つける側に回るわけだ。こちら側にとどまって人のままでいたいと思えば、傷つくことを覚悟しなければならない。覚悟をしたところで、痛みが少なくなるというものでもないのだが、少なくとも、その痛みが自分が心ある人間であることを明らかにしてくれていることを認識できる。流す血の涙に意味があることを知ることができる。

傷心しないために、他者と自分の間に明確なラインを引いて、あっちはあっち、こっちはこっち、あっちから何されても気にしないという、「他者と自分の課題を分離する」という理論があるが、これはちょっと都合が良すぎる話だろう。こっちはこっち、あっちはあっちで済ませようとしても、あっちから手を伸ばしてくるのである。あっちとしては、こっちに手を出すことは自身の課題であって、それに対してこっちがどう対応するのかはこっちの課題だと思っているのかもしれない。おおっ、だとしたら、理論通りになるな。まあ、冗談はそれとして、あのイエス・キリストだって、頬をぶたれたときに何もしないでいるのではなく、もう一つの頬を差し出せと言っているのである。他者の行動に対処せよと言っている。まことに残念なことながら、この社会に暮らす以上は、他者に対処せざるを得ない。やれやれ。

今、「この社会に暮らす以上は」と書いたが、なに、いざとなれば、この社会から抜け出せばいいだけの話ではある。「別天地」という言葉がある。李白(だったかな?)の詩の一節に、「別に天地の人間《じんかん》に非ざるあり」というものがあって、天地、すなわち世界が、人間、すなわち人間社会の外にもあると言っている。それは自然のことを指すわけだけれど、わたしは、この「別天地」を、今の社会の他にある社会のことだとしたい。今自分が所属している社会の外にもいくらでも社会はあって、あるいは、そちらの方が居心地が良いかもしれない。そういうところに行けばいいのである。学校が嫌だったら学校をやめればいいし、会社が嫌だったら会社をやめればいい。あるいは、別天地の原義どおり、人間社会を全く離れて、山中や離島なんかに行ってもいいわけだ。

noteが嫌になったら、やめればいいだけの話。

少なくともわたしはそういう気持ちでいる。別に頼まれて書いているわけでなし、友だち探しに来たわけでなし、ここでなければ書けないということもない。noteにしがみつく必要性は特に無い。……とこう書くと、昨夜何があったか知らんがそうスネなくてもいいのに、かまってちゃんですか? と思われるかもしれないが、まあ、そういう風にとってもらっても構わない。だから、冒頭で、「極めて私憤に近い」と書いた。じゃあ、やっぱりかまってちゃんなんだなと、そうとってもらっていいけれど、そういう類のコメントなり、あるいは慰めのコメントなり、そんなもんはいりませんので、あしからず。

……そうだ、この、コメント! コメントを受け付けないようにはできないんですかね。……「つながる」がモットーのnoteじゃ、無理か。プレミアム会員になればできるのかな。いや、でも、月々お金支払うと、やめるべきときにすぱっとやめられなくなるからな。「これまでお金払って来たのに」みたいな思考にならんとも限らんし。

ちょっと、まとまりがなくなりましたので、強引にまとめておくと、他人の行為に傷ついた方は心ある人であり、傷つけて平気な人は心ない人であり、心ない人は人ではないのであり、傷ついたあなたは、そのような人ならざる人を恨むことなく、ただ傷を癒やすことに専心してください。もしもたびたび傷つけられるようであれば、「それは自分が悪いのだ」と思うのも一つかもしれませんが、それと同時に、今いる場所が悪いのかもしれないと思って、別の場所に行くことを検討しましょう。

……と、こんなところかな。いやいや、嫌なできごとからも色々学べるもんだ。本当に学ぶ価値があったかどうかは分からないが、書いて、さらに読んでもらった以上は、その価値があったと思いたいところである。

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